旧友の定期検診日
再発もなく予後順調でホッとして
久々に色々話した

夫の発症から半年後の発症
経過も場所も全く違うけれど
再発の怖さを共有していた

彼女の状態は気になるけれど
夫の再発は伝えられない
彼女のほんとの怖さや不安は
私には想像でしかわからないだろう…
不用意に励ます事も、
わかったふりして話を聞くことも、
治療の経過を聞いてもらうことなど
もってのほか
彼女を不安にさせるから
怖くてできないでいた


夫の事を
一番伝えられなかったはずなのに、
亡くなった事を
自分のエゴで伝えてしまった日、
彼女はひとりで私を励ます為に
駆けつけてくれた
きっと何もかもが、
もしかしたら
自分の姿になるかもしれないと
思ってしまうかもしれない場所なのに…


彼女は私が悲観的になると
自分も頑張ってるんだから頑張れ!
なんて
私だったら使いそうな
簡単な発破はかけない

「私だったら家族には
楽しく生きててほしいな!」と、
にっこり軽い口調でいうけれど、
もしもを覚悟した重い言葉に聞こえて
器の小さい自分が恥ずかしくなるし
夫の逝った先ばかりみている私の意識を
振り向かせる最も効果的な言葉だ


彼女は私の中に
もしもの時の旦那さんの姿を
映しているのかもしれない

私は彼女の中に
いなくなった夫の生きようとする姿を
重ねている

生と死のギリギリラインで
子育ての悩みを共有するなんて
知り合った27年前には
思いもしなかったふたりは、
四十路に入って美容を気にしながら
ランチにパフェまで食べて
子供に鯛焼きを買って帰った


生も死も愛も欲も苦も楽も哀悲も
どれも横に並んで
同じ様に入り口が開いてるんだ、
じたばたしてもふさがらないんだな…

ただなんとなくそんな気がした


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