外国籍の友人と話していて訊かれる事。
「どうして日本人は『愛してる』と言わないの?」
私も昔から不思議だった事である。
日本では無い文化(というか伝統というか慣習?)だが、私の知っている範囲でだが外国籍の人たちがまず「愛してるよ」という言葉を聴くのは、乳幼児期に親から子供へ対してへである。
ソフィーも自分のフランスにいるご家族には「愛してるよ」と言うし、ご家族も勿論彼女にそう言うのが「普通」である。
私が恋人なり付き合っている人に、相手が日本人で「愛してるよ」と言うと、大抵とても驚かれる。
「そんな事を言う人だと思わなかった」と言われた事もある(「どういう人」だと思われてたんだろう…とちょっとショックであった)。
「好き」と言うなら、私は友達は皆「好き」だから、自分の恋愛対象の人はやはり「愛してる」が相応しい言葉だと思うので、そう言うだけである。
先日、ある人と話していて「愛してると言うなら、自分がその相手を守れる経済力とか責任が持てるようになるまでは言えない」という話を聴いた。
だから、経済力のない子供や今の自分には相手に「愛してる」なんて言う資格はない、と言うのだ。
実に「日本的」発想だな…と感じた(こう言うと「あなたは何人ですか?」と言われるが、国籍はれっきとした「日本人」である)。
私はその意見には反対だ。
「好きな人に好きって言うのは恥ずかしい」と言う日本人の友人・知人もいるが、私から言わせれば「愛してる人に愛してると言えない自分が恥ずかしい」、になる。
発達心理学で興味深い実験がある。
ハーリー・F・ハーロウ(1905-1981)がアカゲザルを使って行った乳児期における「愛着」の実験である。
2つの違う条件で「代理母模型」を作り、檻の外部に「恐怖」を与える物を置いてどちらに「子供」が「愛着」を持つか、という実験である。
<条件1>「代理母模型」を針金製で作り、哺乳瓶をつけてミルクを飲ませる事を可能にする。
<条件2>「代理母模型」には哺乳瓶をつけずに、毛布で「子供」をただ暖かく肌触りが良くなる状況だけを作る。
さて、「子供」はどちらの「母親」に強い愛着を示すと思われるだろうか?
答えは<条件2>である。
「子供」は食べ物を与えてくれるから心理的愛着が形成されるのではなく、あたたかさやぬくもりがあって自分を守ってくれる対象に「愛着」が形成されるのである。
発達心理学者で精神分析家のエリク・H・エリクソンが提唱した「人格発達論」の中には、発達段階に応じて必要な「課題」と「重要な関係性」があり、乳児期には母性と呼ばれるものであったり親との関係から本人の安心感や信頼感を育てる「愛着の形成」が挙げられている。
乳児(赤ちゃん)にとって、健全な発達の傾向を伸ばすには、スキンシップや親からの愛情やぬくもりを与えて、安心感や愛着を形成する必要がある、という事である。
前述した「愛してると言う資格が無い」と言った人は、極めて性格が真面目である。
だから、守れもしないのに無責任に「愛している」と言ってはいけない、と言うのだ。
「一生愛し続けるよ」とか「絶対自分が守るから」と言う言葉は、守れない約束なら無責任に安易に言うべきでない、と言うのなら私も賛成する。
でも、子供だって人を愛するし、子供には大人と違う形の「愛」がある。
本当に愛しているなら、その時の気持ちとして「愛してる」は伝えるべきだ、と言うのが持論だ。
経済力が無ければ相手の生活は守れないかもしれない。
でも、そうして愛情を伝えたら何が守れるかというと、相手の「心」である。
自分はこの人に愛されてる存在なんだな…という、安心感である。
無責任になるのは、言動が伴わないからだろう。
簡単に軽い発言で「愛してるよ」と言って浮気をしていたり「愛情の伴わない行動」をしていては、信頼も安心感も相手には伝わらないし、むしろ不信感や猜疑心で不健全な人格を育ててしまう結果になる。
「言葉の重み」を理解して言うべき大切な言葉だと思っている。
外国籍の友人がよく言うのは「like」と「love」は全く別物なのに、なんで日本人は恋人でも家族にも「愛してる」って言わないんだ!?という意味である。
私もいつからか憶えていないが、そういう考えが自分の中にあった。
だが、私も決して親に「愛してるよ」と言われて育った訳ではない(哀しいかな親にそんな事はかつて一度も言われた事はない…)。
中学生の時。
同級生の男子学生に「好きなんだけど…」と言われて「?…私も好きだけど?」という発言をしてとんでもない事になってしまった。
私は友達だと思っていたから「友達なんだから私も好きだけど?それがどうしたの?」いう意味でそう返事をしたのだが、これは周りの同級生から「両想いなんだね!おめでとう!」と言われて意味が分からず、「どうしてそんな理屈になっちゃうんだ…?」と頭を抱えた。
それ以降、その手の発言にはとても気をつけるようになった。
外見でもしばしばそう言われるが、私はこういうところが本当に「日本人らしくない」のである。
でも、日本人でも子供の為に、自分が愛している人にその気持ちを伝える為に、その気持ちが嘘でないなら「愛してる」は言うべきだと思う。
「好き」と「愛してる」は、やはり気持ちとして別物なのだ。
「経済的に守れるようになったら『愛してる』と言えるようになりたい」とその人は言ったが、社会的に地位を得てそう言えるようになったとしても、もしリストラされたりして職を失ったらまた「愛してる」を大切な人に言えなくなってしまうだろう。
「~になったら言う」とか「~が出来るようになったら」という条件の方が変である。
そんな条件を課していたら、いつ言えなくなってしまうか分からないので相手の方が(言い方は悪いが)可哀相になってしまう。
経済的に生活が困窮していようが、「本気でその人を愛していて相手を守りたい」のなら、守れるように苦労して賃金の安いアルバイトをしてでも精一杯今いる立場でその人を守る努力をすればいい。
その気持ちは、きっと相手に伝わると思うから。
「愛している」相手が死んでしまったり、もう伝えられなくなってからでは、どんなに愛していてもその気持ちは相手に伝わらないし、伝える事は出来なくなるのである。
経験者は語る、のお話でありました。
愛している人がいるのなら、家族でも恋人でもいいから、どうぞその気持ちを伝えてください。

