久しぶりにインターネットで
小澤征爾さんの曲を聴いた
小澤さん指揮はCDを一枚持っていて
とてもお気に入りだった
でも「なんかすきだなあ」と思う程度だった
でもこの間、ネットで聴いていたら、
ほんとうに、ほんとうに、涙が出てきた
⭐︎
自分の思うことや感じること、考えていることが、どうにも、どうにも、世間というか、周りというか、そういうものに合わない
そのように考えたほうが幸せ、前向きになれるのかもしれないけれど、なんか自分のこころのそれとは、ちがうような気がする
でもあまりにも、年上のひとや、きちんと生きてきた人にそんなことを言われてしまうと、
「やっぱりわたしがおかしいんじゃないか」と、自分を押し込めるような、ちょっとつぶしてしまうような、そんな感じがする
そんなとき、小澤さんの音楽を思い浮かべた
あのとき涙が出たときのことを思い出す
小澤さんの音楽は、やさしくて、
あたたかくって、小さい頃から家にあった毛布のようだ
毛布にくるまり、あたたかなストーブの前で、ほかほかのココアを飲んでいる
遠くでは、母がごはんを準備する音がきこえる
そういう、華美でない、
しっとりとした安心の、けれど失ったときにしんみりと思い出す、やさしくあたたかいぬくもり、、
そう。
わたしはそういうやさしさを、持ちたいんだ
なにかをなにかに合わせるために、
切り捨てたり、封じ込めたり、喧嘩したり、追いやったりするんじゃなくて
いやなこともかなしいこともあるけれど、
それらを抱きしめて、ときには涙をながして、
時間がかかってもいいから、
「ありがとう」と言ってそれらを手放し、ちょっとずつ自分をきれいにしていきたいんだ
そしてそのやさしさは誰かに、
外に求めるとかじゃなくて、自分の中に見い出し、わたしがわたしにやさしくする、ということなんだ
小澤さんの音楽(到底理解できたと言えるレベルじゃないけれど)を通して、わたしはすてきなやさしさを見つけられた
誰がどんなことを言おうと
病気だと言われようと
このやさしく、淡いひかりを大切にしたい
それが「わたし」であることのひとつで
そしてわたしが「わたし」でいることで
地球のどこかの、だれかにも、
ひかりが差すはずだから