起承転結がめんどくさい

インターネットという名のごみ捨て場は誰かが投げ入れた液晶画面上の文字の羅列や動画を不特定の誰かが受け取る。それがただのただのごみ箱とも知らずにyoutubeなどは「我、真理を得たり」的な道化をする奇特な人間もいるので(有名なあの人)気の毒だ。

普通のごみは焼却炉いきだが、ネットというゴミ箱は誰かがそれを拾い、あるいは何も感じず、あるいはごくまれではあるが人生を左右するほどの強烈な体験にであう。大半の文字や動画は誰の目にも触れずにネットという無限(でもなかいのかな)空間にさまよい続ける。

私は普段、ある、統合失調症の方のブログを時々拝見しており、つつましく謙虚に生活されている姿に襟を正す思いである。

 

”同情ほど愛情から遠いものはない、尾田さん、らい病になる切るべきですよ”

 

「いのちの初夜」で気にに入った一文だ。

けさ、安楽死が合法化されたスイスにおいて、長年パーキンソン病をわずらい、体の不快感と痛みに耐えかねて安楽死を選んだ日本人女性のドキュメントをyoutubeでみた。同伴した質問者は「ほかに道はあるんじゃないか」と、他人としての立場上、道徳的な同情的な言葉をかける。これこそが欺瞞だと私は思う。そしてこの種の欺瞞によって日本の巨大な医療経済圏が成立している(長生きすべきだ、血圧は○○以下にじゃないと大きな病気になる、お医者様様様からいただいた薬を飲めば健康になる・・・etc)。このパーキンソン患者の苦痛の何が一体お前に分かるのか?死期を自分で決めて何が悪いのか?死期を自分で決めることこそが最大の人権であり、人口コントロールのシステムを築いた国が最先端の文明国だと私は思っている。他人の死期に口出しするような人間はその人間の人権を蹂躙していることに気づいていない。安易な同情、ヒューマニズムほど愛情から遠いものはない。もし私ならこの女性に何という言葉をかけるだろうか

 

「天国は絶対にいいところですよ。私は度胸がないのでだらだらと寿命を全うすると思いますが、何十年か後に天国で再開できることを今から楽しみにしていますよ。もしできるなら天国がどんな場所かちょっとだけ教えてください。って無理か(笑)」

 

かな