ゆっくり呼吸をすると見えてくる。
ゆっくり身体を伸ばして歪を調整すると思い出す。
そんな時間と場所が大切。
そんな心が大切。
自分を解き放ち、本来の自分を展開していくこと。
それが私たちの生きる。
その生きる・・・が、実に見事に掛け違ってしまう。
本来の生き方を見つけても そこに今までの習慣や癖があり、その呪縛からなかなか一歩を踏み出せない。
その一歩を踏み出したら、実は逆にすごく楽になるのだけれど。。。
もし、目の前に線があったとしたら、それを越えること。
その越えるは人により、大きな山だったり、小さな山だったり、平坦な野原であるだろう。
その線を作るのは誰でもなく、自分自身だ。
みな祝福という美しい響きが好きである。
ところが親族への祝福はみな好きだが他への祝福はなかなか難しい。
他が潤うことに危機感を持つ。
実は逆である。
他が潤ったとき、自らも潤う。
ご飯は誰かの努力で目の前に現れる。
衣服も
住まいも。。。
自分だけが潤うことを目指すなら、いつしか周囲になにもないことに気づくときがくることを忘れて自らのことしか考えない。
とても大切なことがある。
智慧を使う必要がある。
祝福を始めるとき、何に対して祝福するか・・・である。
正常なものに対して祝福することが開運の道である。
正常なもの・人・場所・・・・。
これを知ることが大切である。
これを見極めるためには、また自らも常に心と身体の歪を解消していくことが日々大切である。
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
写真の場所は恩納村工房(沖縄)近くの正常な海です。
5月29日、恩納村工房でパステルワークショップに行ってきま~す!!