中学を卒業し

高校へと入学した息子。


いろんな表彰をいただき

厳しい部活生活、学校生活が

始まった。


朝は6時には家を出て

帰宅は8時


母は、朝ごはんのおにぎりと

お昼を二食分用意。


そんな生活2ヶ月続けば

慣れってすごい。

毎朝起きる時間は目覚ましなくても

起きれる身体。



その間に大会があり

足を庇うから上にはあがれないけれど

その挑む姿だけでも

母はとても嬉しい。



そして

何回かの病院。

日赤病院への紹介。


そこでまさかの。




今まで、ペルテス病と診断受け


治ること、

中学生ではこれぐらいできる、

高校生になったら完璧できる


っていう前提で診断を受けてました。



ところがどうやら違うようで

1度目の診察のときに検査も受け


その結果が先日わかりました。




両足、股関節を骨折し

片方は治り

片方は血管を傷つけ

骨頭壊死となり

違う病名がつく。



将来、症状がひどくなり

人工骨頭を、入れる


という診断を受けてしまいました。




小4発症し、

入院手術リハビリ、

車椅子から松葉杖、数分補助なしで歩く

休憩しながら歩行

中学で部活としてリハビリをかねて

ストレッチから


中3で試合に出れて

まさかの上位入賞で

いろんな試合に出れた1年前。





日赤の先生から

相撲やめろ。

一生やらないんだから今から

卓球か水泳やりなさい。


と言われて。


オブラートではなく

ほんとこのまんまに話をされて。



私たち家族の

4歳から始めて

相撲にかける思い

今に至ることは聞いてもくれなくて。



1度目に言われたペルテス病の時よりも

私も息子もショックを受けている。



わかってる

人工骨頭を遅らすため

手術を避ける

今後の人生、仕事に着くこと


わかってる。


わかってるけど


そう簡単に言われても。

変えられない。



もう少しその想い

その若い子の気持ち理解して欲しいと

期待をしてた。





そんなことを言っても。



まだわからない。



奇跡はあるし

起こるかもしれない。



一時は絶望し

その日はそのことを誰も口にしなかった。




息子は、やたらと何かを話す。

どうでもいいこと。

楽しそうに。

意味ある?


ってぐらい話す。



これは

緊張してたり悩みがあったりすると

マシンガンのように話す。




それをみると


相当ショックだったらしい。






この3年間のうちに、部屋から

声がかかったら行きたい



入学早々、そんなことを話してた。






ついこの間


それすらも叶わないのかよ



ってボソって言ってた。






息子の代わりになりたい。

できることなら変わりたい。


未来を奪わないでほしい。