運命というものがあるとするなら。
CANDYからの投稿
それはいつどのように決まるのか。
それはきっと、誰にも分からない。
私には、身体障害があります。
障害を負ったのは、7つの春でした。
障害は私から色んなものを奪いました。
音、平衡感覚、そして親。
……私の障害をめぐって、両親は仲違いを始めました。それはとても醜いものでした。子どもに耐えられるものでは、ありませんでした。
やがて両親は離婚しました。
決定打は、母親の不倫です。
父は暴力を振るう人でした。
それと分かっていて、父のところへ私を置いていった母親を、私は到底許せませんし、今後も許さないでしょうーー虐待は父からだけでなく、母親からも育児放棄を受けました。
学校ではいじめ。家庭では不和。
私の居場所はありませんでした。
少し前のブログに書いたと思うのですが、私が「生まれてこなければ」「あのとき死んでいれば」と、ifの考えをめぐらせていたのは、それらが原因です。
成人してからも、私は「愛されたことなど無い」と感じていました。
そんな頃、今は連絡すらも取り合ってはいませんが、懐かしい仲間に出会いました。
彼らから見れば、私はさぞかし無礼に見えたでしょう。生意気に、また、物知らずに見えたでしょう。
それでも彼らは、優しくしてくれました。もしも私が優しさを覚えられたとしたら、それは彼らのおかげにほかなりません。
彼らが居て、私が今存在しています。
ありがとうを幾ら言っても足りないくらいに。
ーー運命というものは。
意地悪ではありません。
出逢うべき場所に、出逢うべき人が居ます。私が今こうして命があるのも、腕の良い医師たちと出逢えたからです。
ーー死ぬはずの命を、
彼らは助けてくれた。
私の命は、もう私ひとりだけのものではなく、助けてくれた人のものでもあり、大切に思ってくれる友人や仲間たちのものでもあります。
もう、死にたいとは考えていません。
せっかくの命だから、咲かせたいです。
どんな命にも。
花は、咲きます。
それがいつなのか、どんな花か。
それは咲いてみなくては分かりません。
こんなことを書きながらも、私は色んなプレッシャーで潰れそうになっていたりします。
でも、大丈夫です。
咲かせたい花があるから。
命が、あるからーー。
悩むことがあっても。
絶望するようなことがあっても。
私は、魂の奥底で知りました。
命って、そんなヤワに出来ていないんです。儚いけど、強いです。
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