ハリウッド映画……そげぶ! | リュウセイグン

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ハリウッドの映画、似ている作品が多い理由



                       ヘ(^o^)ヘ いいぜ
                         |∧  
                     /  /
                 (^o^)/ ハリウッド映画が何でも
                /(  )    同じに見えるってなら
       (^o^) 三  / / >
 \     (\\ 三
 (/o^)  < \ 三 
 ( /
 / く  まずはそのふざけた
       幻想をぶち殺す!





この話自体は、恐らく事実だろう。
けれどもこういう部分を承知したからと言って、十把一絡げに映画を語れる(ハリウッドに限定したとしても)と思ったら大きな誤り。
これは僕が最近になって気を入れて映画を観るようになって、朧気ながら分かってきたことだ。極端に言えば二つの理由がある。



まず一つは物語の構造、ということ。
ハリウッドの脚本は型が出来ている、それはその通り。
特に映画は時間の拘束があるので、プロット面では時系列と事象が大体に於いて決まっていると言われている。
だから物によっては判別がつきやすいのだが、頭を巡らせて他の物語を考えるとどうなるか。

結論から言えば、殆ど変わらない。

物語の構造は聖書に全て出尽くしているという言葉もあるが、聖書に限らず物語の構造は神話など殆どのものに共通している(この辺りは大塚英志の本でも読めば分かり易いです。学問的に遡っていくとレヴィ・ストロースとかになっちゃうんでしょうけど俺は読んでないので無理にとは言いません)
抽象化のレベルにも依るが、邦画にしろ小説にしろ、あらゆる物語を他の物語と結びつけることは難しくない
困難を乗り越える、目的の為に彷徨する、強大な存在と戦う。
固有名詞を入れ替えたり、途中で展開の起伏を入れたりすることはあれども、その形式は同じだ。
また人間が楽しめる物語、ともなれば更にその選択肢は狭まる。
脚本学校では、まずその事実に目を向けてシステマティックに教えているに過ぎない。
また意外性を与えるような作品であっても、実のところ基本からどう外すか、という話だ。
日本にも「守破離」という言葉があるが、基本を把握して守った後に独自に破り、皿に離れるところから個性や多様性が生じる。



そしてもう一つ。
超大作や話題作が似ている、では……どれとどれが似ている?
果たして具体名をどれだけ挙げられるというのか。
僕は未見だが『アバター』『ダンス・ウィズ・ウルブス』が酷似しているのは色んな人が語っているし、監督の作家性という意味に於いて良くも悪く も『タイタニック』にも似ていることだろう。『ベンジャミン・バトン』『フォレスト・ガンプ』も似ていると言われた(比較動画が分かり易い)。
『トランスフォーマー・リベンジ・オブ・フォールン』『2012』迫力以外は内容メチャクチャという意味に於いて似ているかも。
……あとは?
大抵の場合、「ハリウッドなんてものは」と怪気炎をあげる人は、その多くが具体的に名前を挙げない。挙げるとすればせいぜい上述したマイケル・ベイとか ローランド・エメリッヒ(意見は分かれるだろうが、キャメロンも入れて良いかも)辺りの映像に重点を置いた作品や日本原作を改悪した『ドラゴンボール・エボリューション』とかについて言及するくらいだろう。
けれどそれらは一面に過ぎない。
一昨年で言えば

『ノーカントリー』
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』
『ミスト』
『ダークナイト』
『クローバーフィールド』(これは性質上脚本があって無いようなもんだがw)

去年で言えば
『グラン・トリノ』
『レスラー』
『ウォッチメン』
『イングロリアス・バスターズ』
『チェンジリング』


「いわゆるハリウッド」的では無い映画
地味であったりバッドエンドであったり解釈が一筋縄ではいかなかったり、その理由は様々だが、逆説的に言えば、ハリウッド的でない理由の多用さこそが「いわゆるハリウッド」が幻想である事を保証している。
「いわゆるハリウッド」映画は、単体ではなく総体の印象……ようするに偏見なのだ。
70~80年代の少女漫画のテンプレが食パン激突だと思われがちなのと同様である(ソースはどこだか忘れてしまったが、確か1~2作品しか無かったという話を聞いた)

型どおりでない映画は、他にも沢山あるだろうけれども、僕が観て且つそれなりに他者の知名度や評価もある作品だけに限定した。それでもこれだけ普通に並べられた。


もちろん、これらの作品の中には相互に似た傾向を持つ物もある。
『ダークナイト』『ウォッチメン』なんかはそうだし、物語の構図的には『グラン・トリノ』『レスラー』も似ている。 更に言うと『グラン・トリノ』冒頭は『カール爺さんの空飛ぶ家』冒頭に、『レスラー』はドキュメンタリ映画『アンヴィル!』に似ている。

しかし僕は似ているからと言って魅力が同じで片方を観なければもう片方は要らない……などとは露ほども思わない。それぞれにテーマがあり、それぞれに物語があり人間ドラマがあり、表現がある。みんな別の作品であって、みんな別の面白さを持っている
オリジナリティ信仰が蔓延りすぎている御時世であるが、実のところどんなオリジナリティも従来要素の組み合わせであり、組み合わせ方や見せ方にこそ多様性が存在する



畢竟、脚本の構造が同じだから物語が同じだ……というのは、

寿司という形が同じ料理なのだから
赤身だろうが
白身だろうが
貝だろうが
軍艦巻きだろうが
材料の鮮度や質がどうであろうが
握りの型がどうであろうが
キッツケがどうであろうが

みんな同じような味だ、と語るに等しい暴論だ。
これらをないがしろにする人間に寿司を語る資格など無い
しかもその根拠が、たかだか2~3件の大手チェーン回転寿司を食べて大差なかったから……などというのは、もはや恥を通り越して恐れおののくべき領域だと思う。



かくいう僕も、キチンとした形で映画を見始めたかどうかという小僧に過ぎない。
寿司で言えば、漸く時価の店を数軒回った程度。まだまだ奥は深いし、見えてない所も多い
でも見所を、味わいを、しっかりと見据えようとすれば多少なりとも分かってくる所があるのではないか……と信じたい。