『ディア・ドクター』 | リュウセイグン

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釣瓶の悲哀



ディア・ドクター [DVD]/笑福亭鶴瓶,瑛太
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昨年の映画でもかなり評判の良かった『ディア・ドクター』のDVDを買って観ました。
いや、これは確かに名作だ。
決して派手では無い映画だし、高年齢層向けの感があるし『おくりびと』を彷彿とさせるような完成度の高い人間ドラマ。
正直、邦画界はもうこういうコンテンツで世界と戦っていくしかない気がするなぁ。
日本で売り上げが伸びたエンターテイメント大作は、概ね(拙い)CGだよりで脚本が妙なのばっかりになってしまったようだ。これは国内では売れても他からは鼻で嗤われるのがオチ。
映画業界ではマジで驚くような作品を作り出しつつある韓国にも抜かれかねない

殺陣をしっかり出来る人も撮れる人も少なくなっているだろうし、ミステリ的な作品も相棒とかアマルフィとか、どうも首を捻りたくなる手合いが幅を利かせている(相棒のドラマ自体はそんなに嫌いでもないんだけど)
やはりこういった現状を鑑みると、胸を張って世に出せる類の物は丁寧でコメディ要素を交えつつもしっとりした人間ドラマではなかろうか。
去年は邦画を殆ど観てないんだけど、『ディア・ドクター』なら『グラン・トリノ』『レスラー』勝てるとは行かないまでも充分「戦える」

さてそんなディア・ドクターの主演は釣瓶師匠だ。
その事を知らない人間には「?」という感じも受けるかもしれない。
釣瓶師匠は役者が本業ではないし、そんなに上手いという話も聞かない。
だが心配は無用で、人の良い、でも何を考えているか分からない男を見事に演じている。

一番感心したのが気胸の患者を救ったあとのシーン
大歓迎する村人とは対照的に、釣瓶師匠の顔には悲痛さすら見て取れる。
いつもニヤけているようなあの顔で……いや、あの顔だからこそ悲しみが一層深く表現出来るのだ。、
釣瓶師匠の悲哀
文字で書くとなんじゃそりゃという感じもあろうが、そうとしか言いようのない絶妙な雰囲気を醸し出している。

周りの役者も粒ぞろいで良い。
八千草薫さんは、本作のヒロインと言って良い。
釣瓶師匠も結構な年だし八千草さんもかなりの年齢だ。
にも関わらず、少女のような愛らしさと母親らしい優しさが同居しているような不思議な印象を残す。
脇役の余貴美子さんや、香川照之もいい味出してる。
本作の登場人物は必ずしも一面的なキャラクタではなく、二重三重の葛藤や人間性を持っていて表層的な関係の単純さに比して内面はかなり複雑なのだが、それを上手く表現している。もちろん瑛太さんもねw

ストーリーは過去と現在が交錯するような形で綴られているのでやや分かり難い面もあるが、それがまたミステリ風味を与えていて観客を飽きさせない。
テーマについても、表層では過疎化や老人医療問題、またインフォームドコンセントに関する問題が提示され、深層では医師の資格とは何か、また善意や良心についてを突き詰めている。

ここ辺りの香川照之のやり方が物凄く面白い上に分かり易く端的で、名シーン、名台詞のひとつだと思う。

冒頭で示されるとおり、最終的に釣瓶師匠と村人との共同生活は破綻する。
その後は従来の関係も打ち壊され、あまり救いのある状況には見えなくなっている。
しかしながら、釣瓶師匠が行ってきた善意や誠意は、果たして何の意味も存在しなかったのか
全てではないにせよ、その一つの答えがラストシーンだ。

他の人は、この作品に関して釣瓶師匠の弱さが好きだ……と書いた。
そのブログは好きだし、本作を観たのも実のところそれが切っ掛けと言っても過言ではない。
しかしながら弱さだけじゃないよなぁ、と思う。
もちろん弱さはある。
恐らく釣瓶師匠がアレを始めた動機は偶然に起きた機会に誘惑されて負けてしまったからだし、最終的には逃げた。でも必死になって何年間も村に尽くし続け、あのラストシーンへ持ち込んだその精神と行動力は「強さ」じゃないかと感じる。強かさ、という方が正確かもしれない。

強いだけじゃなく、弱いだけでもない。

弱くても最後の最後まで粘ればそれは強さとも言えるだろうし、
強くてもぽきりと折れてしまえばそれは弱さかもしれない。

それは、この映画の登場人物全てに言える事だろう。
人間の複雑さと素敵さを描いたこの作品、邦画はまだ死んでいないんだという気持ちを込めて色んな人にオススメしたい。