とある科学の超電磁砲 第十四話 『特別講習』 | リュウセイグン

リュウセイグン

なんか色々趣味について書いています。

長文多し。

『とある科学の超電磁砲』第14話は2ch本スレでは賛否両論みたい




あのー……悪いけど今までで一番しっかり出来てるんじゃね?




唐突にレールガン記事なぞを挙げてしまったのは要するに↑こういうこと。
観てはいたんだが微妙な部分が多いので書く気にはあまりならなかった。
確かにとあるシリーズの魅力はバトル方面にあるんだろう。
そして例えば「『キミトド』はバトル要素がないからダメ」みたいな意見があったとして、そういう指摘は明らかに見当違いだ。だからもっとバトルを……という人の気持ちは分からんでもない。
でも先週の水着回に続いて、こういうシックな回があっただけでこんなにブレるとは……。
水着には文句言わなかったみたいなのにな~。

そして他にもやられやく記事であったが、『デュラララ!』をオサレアニメとしてDTBのが良いとか言っちゃう人もいる。まぁ『デュラララ!』はかなりオサレな部分もあるし、正直IWGP+バッカーノ!+スリーピー・ホロウといったところで個人的評価がそれほど高い訳でもないんだけど、少なくともDTBより遙かにギミックやプロットは頑張ってる。
ていうかDTBこそオサレアニメだと思うんだが………。


アニメ視聴者層の大半って、分かり易くパンチラとか必殺技とか説教が無いと反応出来ないものなのか?
いやまぁ映画界でも『ROOKIES』とか『20世紀少年』とか『アマルフィ』みたいなのばっかりだからみんな同じなのかもしれないけどさ。いつも思うんだよね、ひょっとしたらこういう層って『レスラー』とか『ディア・ドクター』を観ても意味不なのかもね……って。
相対的な物でもあるし、そうそうとやかく言っちゃいけないのかもしんないけど。


今回のレールガンは、当シリーズのメインストリームからは外れていたかもしれないが、少なくとも心理的ドラマとしては一番良く描けていたと思う。
細かい動きや人気のない校舎やそれに関わる小物、天候で心理や状況を表現する手法は、上記で語られているようなまったり系というのとはちょっと違う。
日本映画みたいな感じだったように思う。
人の心の機微を静かに描いただけで、演出としても出来は決して悪くない気がする。
それだけではなくてドラマの軸として佐天さんの心理、つまり負け組というか様々な意味で弱い立場の人間として描いていた。実はこの辺りの問題が、今までのレールガンにおいて致命的とも言える欠点だった。





例えば黒子は回想に於いて銀行強盗へ不屈の精神を見せる。
それは良い事なのかもしれない。本人にとっては。
しかし周囲は人質だらけ、しかも二回も独断専行で事態を悪化させた挙げ句の挑発。
しかも無策で(もしくは拙策)。
本人はカッコイイと思ってるのか分からんが、人質が裁判起せるレベルの酷い事態だった。
視聴者は黒子目線に設定されているから格好良く見えるかもしれないが、普通に考えてあの状況では最悪の手段だし、美琴の援護射撃が無ければ結果も最悪だっただろう。

美琴もまた、しばしば自分の立場を弁えない。
レベル1から努力してレベル5になった。それは分かる。
でも何百万も居る学園の中でレベル5は7人くらいしか居ないんだから、それが努力だけでどうにかなるものじゃない事は容易に判断がつくだろう。それなのに「ハードルの前で立ちすくんじゃう人もいる」とか言っちゃう。美琴にとってはそれがハードルでも、他人にとってはジェリコの壁なのかもしれないと言うことは全然考えない。0や1の中には努力不足の人も居るだろうが、努力した結果のレベル0も居るだろう。能力種としての多寡もレベルには関係有るようだし、やはりこれは才能の差によるものが大きいと考えるしかあるまい。

「もう一度頑張ってみよう」それも確かに大切、でもどうにもならない奴だって居るんじゃないの?
「無能力者の事を分かってあげられなかった」これ自体が美琴の立場からすると傲慢になりかねない……というより俺は「持てる者、富める者」がその立場を弁えずに安易な同情をしているだけに見えてとても嫌だった。
いっそのこと「超能力だけが全てじゃないでしょ!」「私はたまたま超能力に特化してただけ」とか言ってくれた方がスッキリすると思ったくらい。

この場合、美琴が超能力者として優秀だからこそ、そこに絶対的な価値観を置かないという格好良さが出てくるからだ(佐天さんに言った「レベルなんて」という言葉や、一日ジャッジメントとしてのドジッ子っぷりがあるから説得力がある)
学園都市だからこそ、この価値観が重要になってくる部分があるのだが、絶対指標ではない筈だ。
レベルアッパー使用者も無使用者も含めてこの価値観を前提としてしまっているから劣等感も出る……まぁこれは現実社会でも同じ事ですけどね。

能力レベル=学力
レベルアッパー=ヒロポン的な記憶力とかの良くなるおクスリ

と考えれば分かりやすいかな。
改変してみよう。



「○大とか全然大したことないよ~(東大でも京大でも医大でもお好きな物を)」
「私は学力テストや宿題があったら一生懸命やっちゃうけど、それが出来ない人もいるんだよね……」
「そんな物に頼らないで、もう一度頑張ってみよ」(と言ってくる○大生)
「勉強出来ない人(やらない人)の気持ちが分からなかった私達が、この事件を起こしたのかな……」



うわ……改めてこの女ムカツく!
そこまで学力で劣等感を味わったことはないけど、それでもこんな奴がいたら近寄りたくないわ。
喩えるとこんなに分かり易くなるんだな。



彼女は存在自体が上位であり、結局の所その上位を受け入れたままで物事を言っている。
上から目線だ。

当然ながら色々と擁護や反論もあるだろうが、やっぱ諦めるなとかもう一度頑張れ、じゃ無責任だと思うんだよね。
そもそも完成したのか分からんが、今の美琴達が能力にかんして努力してる描写は無い(レールガンに於いて)んだし、第一これって「夢を諦めるな」みたいな話なんだけど、こういう事を言う人は大抵言うだけで放置。
でもその後の結果は本人が負う。
自分の行動の結果を自分が負うのは当たり前だが、カッコイイ事だけ言い放しの無責任な助言者もどうかと思う訳。リスクもメリットも教えて、それだけが道じゃないと示して、その上で個人的な立場として勧めるなら分からんでもないんだが。だから「超能力だけに拘ることもない」って言えば良いなと。
超能力に費やす分、他の才能に割く時間はなくなるしな。
まぁ、でも世の中にそういう人は多いだろうから、別に良いのか。主人公がそんな奴でも。
俺は嫌だが。

ついでに言えば、この世界の超能力の有りようもかなり偏っているみたいなのでぶっちゃけ超能力が個々人の人生にそこまで大事とも思えないんだよね~。
だって学園都市でしか使うの許可されないらしいし、その中でも使うことと言えばケンカばっかり。
そんでもって研究材料にされたり、下手にレベル高けりゃクローン創らされてぶっ殺されたりぶっ殺したりするんだろ?
ロクなもんじゃねぇ~。
っていうか学園都市全体がDQN思考な気が……(彼らは彼らの目的の為にやってるんだろうから、それで良いんだろうけど)人類へのエネルギー資源とかで活用ならまだしもねぇ、個人としては殆ど意味無いじゃん。何に使える? プール掃除とIHヒーターくらいだよな?
こんな使用状況が限定された超能力なら無い方がマシなんじゃないか。


閑話休題。
木山先生を止める時も美琴は「迷惑を掛けるのは良くない」という反論しか言わない。
個人の意志ではなく、一般論だ。
木山先生はそんなの承知でやってるだけだから、一般常識なんか何の痛痒も感じないに決まってる。
だから実のところ、舌戦では全く適っていない。
木山先生の「子供を助ける」という意志を摧いてまで、果たさなきゃいけない程の物がない。佐天さんを助けるという意志を入れても良いけど、ぶっちゃけこの部分は美琴の知らぬままに回避されてしまっているのであまり説得力が出ない。
この状態のままで木山先生を倒してしまうと、美琴が悪者に見える可能性がある。
だからこそ、木山先生は途中で「暴走」という形で退場させられてしまったのだ。
主観がほぼそのままで通せてしまう。これがレールガンに通底する物語的な歪みだ。
主役に背骨が無く、相手に背骨がある場合、主役を肯定する為に相手がわざとダメになったり、状況が変化する。
これは何もレールガンだけではなくギアスやガンダム00といった近年アニメの作品群にも共通する傾向であろう。

ただ、他に悪例があるからと言って免罪される訳でも無く、僕としてはこのシリーズで一番引っ掛かっている部分だった。





対して今回のエピソード。
佐天さんは元々下の立場から眺めているから自らを着飾る必要がない。
スタッフも無理矢理佐天さんを正しく見せようとする必要がない。
そして自分の中の問題点と向き合える。
主観と客観の両面から描ける。
弱さを認めつつも、もう少しやってみようと言う気持ちで行ける。
佐天さんは正しいことを行う精神力はあるのに、武力が及ばなかった人間である(レベルアッパーを使用する前後の回を参照)弱さと強さを往復する存在なのだ。弱くても、それなりに出来ることはある。
だから、このエピソードは上から目線だった美琴の「もう一度頑張って」という言葉をも補う意味合いがある。あれだけだったら、力ある人の力有る立場からの押しつけた同情だからな(まぁ美琴自身に悪気は無いんだろうが、それが逆に厄介でもある)
今回のは力無い人の、力無い立場からの決意と選択。
だからコレを観て思ったものだ。

「スタッフ、出来るじゃん」

この佐天目線は、ぶっちゃけ上の立場を無意識に享受している美琴目線(主人公目線)からずらさないと思い付かない方向だ。だから多分、コレを書いた人達はどっかで美琴の傲慢さを悟っていたんじゃないかなぁ。
だからこの回はレベルアッパー編の補完、という位置に留まらない。
レールガンにしばしば顕れる「傲慢さ」への補完なのだ。
もっとも、元からそんなモンを感じていないであろう多くの視聴者方には蛇足でしかなかったようだが。
それにしても佐天さんはほぼオリジナルキャラだからか、無能力者だからか、一番心理的な部分が身近にというか、迫って描かれているような印象を受ける。上記のレベルアッパー使用前後の話も佐天さん絡みのエピソードは良かったしなァ。この作品の中では一番好感の持てるキャラ。

別にバナナマンとフラグが立ったって良いじゃないかなぁ、ヲタとしてはむしろ夢が広がるんじゃないの?
但しイケメンに限らない、って感じで。性格の良さが垣間見える、と解釈することも出来るし。

初春は扱いが微妙だが性格は良いっぽいし、黒子は(回想の時こそ嫌だったが)変態なのでそこでキャラが集約出来る。美琴も日常パートでは可愛い女の子というにやぶさかじゃないだろう。
ひょっとしたら問題は、シリアスドラマ中の視点だけなのかも分からんね。



補足
難しい問題なのだが、レベルアッパーはズルか否かという。
そもそもこの学園都市では木山先生の事例ほど極端では無いにせよ、超能力開発として薬物投与や脳への電気刺激などが行われているらしい。それが良くてレベルアッパーがダメなのかという理由は副作用という一点しか無い(正式認可されていない超能力開発グッズに関する法令でもあれば別)
だから境界線が物凄く曖昧なのだが、ここで佐天さんが「ズル」言ったたのは恐らく初春の見解に則って「ズルしない」と約束したからじゃないかな。