冒険野郎は高地を目指す
『カールじいさんの空飛ぶ家』を観て参りました。
『WALL・E』までピクサーアニメってちょっと敬遠してたんだけど、やっぱり面白いんだよなぁ。
普通は字幕で観るんだけど、今回は3D&吹き替えで。
だってカールじいさん役は飯塚昭三さん
!
こりゃ吹き替えしかないな、という。
全体的に言えば、ちょっと引っ掛かる部分はあるもののそこも色々解釈出来ない程ではなく、出来の良い映画でした。家族物としても、疑似家族物としても、冒険物としても秀逸。
冒頭のエリーと出逢ってから別れるまでに、もう泣けそう。
冒険映画に憧れて、同じ様な女の子に出逢って、結婚して、でも子供は出来なくて、冒険を望んでも生活によってままならなくて……
『グラン・トリノ』と非常に雰囲気がよく似てるんだよなぁ。
妻と死別した孤独な老人、そこへやってくるお手伝いの少年、犬……。
コワルスキにとっては、執着の対象はグラン・トリノだったんだけど、カール・フレドリクセンにとっては家でありエリーとの思い出であり、冒険の約束でもある(この三つは不可分)
コワルスキは家のデッキ(って言うんだろうか?)に座り、流入する外国人を睥睨して舌打ちをして、痰を吐くが、フレドリクセンにとっては周囲に建ち並び始めたビルを睨め付ける行為になっている。
多少の違いは在れども、流れから取り残され周囲から孤立する老人という像は、殆どおなじだと言っても過言ではないだろう。
はじめは煙たがっていた少年と行動を共にする内に、自らを仮託するような関係になっていく部分も同じ。
また少年に(事実上)父親が居ない、老人に(心を許せるような)子供が居ないのも共通している。
これは模倣と言うよりも、疑似家族物として考える時、結構必然的に共通してしまう部分なのかもしれない。
孤立の結果、フレドリクセンは家に風船を付けてエリーとの約束の地である「パラダイスの滝」に向かう。
感動的にも思えるシーンなのだが、この時点での動機はむしろ消極的だ。
もしカールに自らの子供が居たとすれば、選択肢も違っていただろう。
だからこの出発は「願望」であると同時に「逃避」でもある。
お話としてちょっと以外だったことの「その1」は、存外早く目的地近くまで辿り着いてしまった事かな。
ぶっちゃけずっと空飛んできて、最後に滝に降り立つと思っていたからやや拍子抜けの感もあった。
もちろんそこからが長いんだけどね。
ちなみに「パラダイスの滝」及びその周邊のモデルはギアナ高地
。
そう……
チャレンジャー教授一行が目指し、
川口浩探検隊が目指し、
ドモン・カッシュが明鏡止水に目覚めた
ギアナ高地。
やはり男だったら一度はギアナ高地を目指すというその心意気はよく分かる!
俺は行けないとは思うが、やはりあの非現実的な光景は冒険心をくすぐる何かがある。
ちなみに、敵キャラに当たるのはフレドリクセンが憧れた、精神的な師とも言える探検家チャールズ・マンツ。
ギアナ高地で師匠と対決。
Gガンかよ! っていうね。
それは兎も角、マンツの求める怪鳥を巡って二人は対立するんだが、ちょっと最後が可哀想な気もした。
それと共に、マンツにしろフレドリクセンにしろ夢を求めてこの地に降り立ち、夢を探し続けているという意味に於いて両者は極めて近しい存在だ。師弟関係、というのもそれを示唆している。
でもちょっとマンツが悪役化し過ぎに見えるような所もあって、もう少し相対化して欲しいかなとも感じた。
ただし両者には大きな違いがある。
それは家族との絆、そして優しさだ。
マンツは愛犬家だが、実質的に彼らとは主従関係に過ぎず、孤高の存在だ。
フレドリクセンは物語当初こそ、そういう傾向もあったけれども、彼にはエリーが居て、ラッセルや犬のダグが付いてきて怪鳥ケヴィンも居た。それは何処かで断ち切ろうと思えば断ち切れなくはなかったが、結局彼はそれを許容する。そして見捨てない。
一度だけ、見捨てようとした時があったが、それもエリーの冒険ブックの言葉で立ち直り、救いに行く。
そこが一番の大きな違いだろうと言える。
エリーの冒険ブックもとっても素敵で、「冒険」とは本来的な意味で秘境や変わったところを探索する事もさることながら、大切なのはそれだけではないんだ、というのを映像として見せ、さらにフレドリクセンの行動として現れてくるところが素晴らしい。
こういった絆の描き方もまた、『グラン・トリノ』に通じる。
さっきも少し言ったが、最後のマンツの描き方に関してもちょっと「?」な部分はある。
だが利己に執着した者と、利他の為に何かを出来る者(そして大事なものを託せる家族の有無)と対比した結果と考えれば、やはり理解出来なくはない。この両者は冒険の動機からして利己と利他の対比があるのだ。
またマンツ自身の「その後」は描写こそされていないものの、充分にあり得る訳で、そこは観客としての想像の働かせどころとも言える。
ちなみに俺は
足腰ダメになったけど、ケヴィンに介護されて仲良く暮らすようになりました
……って可能性を思い描きました。
ともあれ、本作の魅力はこういったテーマ的なところもさることながら、ガジェットの使い方の巧さ、また動きや展開のコミカルさも大きなウェイトを占めている。そういった短期的な面白味と長期的なプロットの巧みさドラマ性の高さが組み合わさっている。
個人的には『WALL・E』のがやや評価は高いけれども、やはり観て損はない名作であることは間違いないですね。