『トランスフォーマー・リベンジ』
最高に酷い映画でした
バカも行き過ぎると凄いとしか言いようが無くなる。
まさにトランスフォーマーは「迫力だけは一流」と揶揄されるようなカリカチュア的なアメリカ映画でした。
しかし凄いのは「迫力だけ」を極限まで追求する事によって、感心させる域まで持っていけるという事。マイケル・ベイはしばしばバカにされてはいますけれども、やはり並大抵の器量ではありません。
地理やら戦闘配備やら人間ドラマやら作品デティール全てが考え抜かれてない。
でも映像だけは凄い。映像の凄さ、見た目の面白さに全てが追従している感じなんですね。
僕は中東地域の地理がアバウトでしたけれども、それでも冷静に考えると「???」な部分って沢山あるんです。
しかしそれをツッコむ隙すら与えずにバリバリやっていってしまうので逆に何も言えなくなる。
ワザとメチャクチャにやってるんじゃないかというくらい。
あと如何にもアメリカ的な傲慢さがそこかしこに散見されます。
オバマに対する偏見とかね。
しかしながらそれもまた
所詮オバマなんて黒人じゃないか……
みたいな形ではなくて
オバマならきっとこんな感じだろ?
え、違う? いやぁきっとこうにきまってるさHAッHAー
とアッパーなので、こっちも笑うしかなくなる。
いやらしい描き方のハズなんだけれども、陰湿さが無いので気にならないというかね。
ピラミッドに宇宙人の平気が隠されている上に、それ平気で破壊しても
え、調査されてるって?
でも見付からなかったって事でいいじゃん!
ついでにぶっ壊しちゃえ! そっちの方が面白いだろ!
って感覚。
世界遺産を大切に……とかいう分別くさい事を誰1人として言わないので逆に爽快なんだよな~。
そこらへんは主人公造形にも表れている。
前作での主人公はイジメられっ子のヒョロ男だった。
アメリカの学園階級社会ではナード
(オタク)に属すると思われる。
でも、最終的にはコンボイ(敢えてこう呼びます)たちと戦い合う事で、学校のアイドルと付き合える。
今作でも普通になりたいという願望こそあるものの、最終的には戦地を駈けめぐりコンボイを助け、ラストでは彼と並び立って終わる。
つまりナードがナードのままで活躍するんじゃなくて、実質ジョック
(リア充)になってる。
結局アメリカ的なマッチョな男になった結果の成功って訳だ。
ちなみにサブキャラのオタクは扱いが酷い。
ここら辺も、意識して観たならば「いいのかこれで?」って思っちゃうけど、気にならない。
画面から
やっぱ最後はこんな感じじゃなきゃダメだろヒャッホー!!!
みたいな意志が感じられるので「まいっか」、もしくは前提から気にならないレベルになっている。
この如何にも「アメリカ的」なロボット映画が、日本ロボット作品の雄たるヱヴァ・破とほぼ同時に公開されたのは何となく意義深い気がするのは俺だけだろうか。
ヱヴァのメンタリティは、常に他人との距離にある。
そこで快楽を見出し、苦痛を知り、近付いたり別れたりする。
エヴァで言う「ヤマアラシのジレンマ」だ。
そりゃあ心理学用語なんだから海外でも良くあるんだろうが、殊に場の空気や内輪の繋がりを重要視する日本においては重要な問題だ。
そしてこれを最も極端に扱った作品はエヴァンゲリオンだろう。
そういう意味で、如何に聖書を引こうとも、エヴァは日本でこそ生まれ得た作品なのだと考える。
主人公も破でこそヒーローっぽかったけど、基本はナードなキャラが周りの人間関係を築きながらそのままに戦っていくところに意味がある訳で、そこらへん考えていくとホントに対照的だなぁと。
細かいデティールの積み重ねや繊細にしてハッタリの効いた感じを上手く作り出すヱヴァが
職人技
ならば、あんまり深い事考えないで兎に角迫力を追求した結果、メチャクチャ凄い物(色んな意味で)になったトランスフォーマーは
力技
といった所だ。
どちらが凄いとは言わない。ただお互いが影響を受けてより良い物が出来るならば、観客妙理に尽きる。
ヱヴァとトランスフォーマー……見比べてみると非常に楽しいと思うのだが、どうか。