劇場版『天元突破グレンラガン 紅蓮編』のDVDを買ってきて視聴。
TV版は十指に入る程すきな私なので、コレは買っておくべしと思った訳です。
………………アレ、あんま面白くないぞ?
いや、決してつまらない訳じゃないんだよ。
作画は綺麗なの追加されたりしてるし、2時間程の尺をそれなりに上手く纏めていたと思う。
けど、TV版を観た時のような、あの熱い魂が欠けている……そう感じてしまうんですね。
取り分け兄貴の死と、シモンの復活の箇所は
「こんな感じだったっけ?」
という印象が残った。
まぁ、兄貴は何度も観てるせいなのかもしれん。
ここはほぼ展開同じだしね。
でも何かが足りない。
そしてシモン復活シーンは展開から決定的に違う。
そう、違うんだ。
俺が観てたグレンラガンはもっと面白かったぞ!!
これは致し方ない話ではある、何しろ尺がずっと短いのだから上手くやっても同じ事が出来ようはずもない。
でも俺は11話の、みんなが閉じこめられてからシモンが一人穴を掘って、ヨーコが語り出すところからホントに好きなんですよ。
今回、書くにあたって見返しましたがやはり素晴らしいシーンだ。
確かに、劇場版と比して感動の度合いが違う。
穴を掘るって物凄く地味な作業だけれど、それが色んな所に繋がっていくし、シモンにだってそればっかりだけど、常に諦めずにやっていく強さがある。
穴掘りと精神のギャップのある一致みたいなのが堪らない。
それにシモンの語るアニキ像が前の話で語られていて、時間差でヨーコがカミナから聞かされた話をみんなに言う。
これ、ヨーコだからこそ語って貰えた話だろうし彼女もカミナが生きてたらみんなには言わなかっただろう。
そして「アイツの背中に笑われないように」とカミナのセリフに合わせてシモンの背中が見えてるんですね、そこにまたグッと来てしまう訳です。
またニアもシモンを信じると。
シモンがアニキさんを信じたように、とここでニアは言っています。
本人は知らないけれども実際には「カミナがシモンを信じたように」ニアはシモンを信じている。
その意味で、ニアはカミナの後継者なんですね。
ここでまたググっと来る。
で、「アニキは死んだ、もういない!」とシモンの口上が述べられる。
ここで流す涙はアニキとの決別の涙。
アニキの死。
認めたくない。
認めたくなかったけど、その現実と向き合うシモンが涙を振り払ってのギガドリルブレイク。
二人は違う人間で、性格も立場も能力も違います。
シモンは技術者でカミナは先導者。他にも違いを挙げたらキリがない。
でも魂は……魂を受け継ぐ事は出来る!
そういうシーンだから感動出来る。
残念ながら、映画ではそこまで上手くはいってませんでした。
しかしですね、私はそれでも良かったと思います。
『天元突破グレンラガン』という作品は、TVアニメだからこそ意味があるんだと。
アニキの死にしてもそう、シモンの復活にしてもそう。
時間を共有し続けてきたから悲しみも感動も出来るんです。
2時間きっかりという尺で余分な物を削っていくから面白いという作品じゃなく、様々な積み重ねが結集して素晴らしいドラマをうみだす作品なんだと。
つまりこれは、TVアニメも映画に対して優位な部分があるって事に繋がります。
TVアニメの存在意義にも関係してくる。
映画のが面白かったらTVでやる意味はあんまり無いですからね。
螺厳編も現在公開中で、すぐに観れるとは思いませんけれども楽しみではあります。
最後の戦闘シーンが凄いって話らしいけど、正直グレンラガンの良さは作画のみに非ず……と思っています。
だから戦闘シーンが凄くっても、必ずしも感動するとは限らない。
TV版はドラマとバトルが渾然一体になった感動がありました。
それ以上になれば確かに面白いとは思いますが、違っても全然構わないんですよね個人的には。
TV版で充分楽しんだし、TVのが面白かった方が価値があると思っています。
映画で優秀な作品ばっかり観てましたから、僕の中で最近そっちが優位に立ってるんです。
けれど、やはりTVアニメにも独自の素晴らしさがあると信じたいじゃないですか。
螺厳編を観るのは、それまでに楽しませてくれたから……っていう、いわばお礼参りなのかもしれません。