お盆に帰省できないので、今日は、妹と5歳の甥っ子と父と、お墓掃除に行きました。
父は、昨年、大動脈裂けて一命をとりとめたけど、食事制限で、20kg以上痩せてしまい、体力もすっかりなくなってしまってます。しかも、血圧上がるような暑い場所はNGだし、疲れるようなことも、してはダメ。
私は私で四六時中、関節の痛みと共存中の身。
妹は、3人の育児と、仕事と、子供の野球の代表やってて、毎日激疲れの身。
がんばって、掃除スタートしたものの、父→10分弱でダウン、私→20分弱で痛みが強くなりリタイア。
妹がほとんど1人でやってくれました。私からしたら、させてしまった感
5歳のチビスケもたくさん動いてくれて感心しました
帰宅して、足首見たら、象の足みたいに腫れてました。
身体のありとあらゆる関節が痛くて仕方ないけど、なんとか晩御飯作りました。
一段落したら、今日のことが、不甲斐ないやら、情けないやらで、涙が溢れてきました。
あたしは、長女なのに、父さんの力になってあげられない
あたしは、お姉ちゃんなのに、頼りない
あたしは、お姉ちゃんなのに、妹に迷惑かけてる
あまりにも苦しくて、感情を抱え込むことができなくなって、ちょっとだけ妹にラインで謝った。
そしたら、「頼りないとか思ったことないよ。生きていてくれてるだけでいい。それだけで、大きな存在だよ。」って。涙が止まらなくなりました。
もし、私が、ホントになーんにもできなくなったら…ただただ、呼吸してるだけで、生きる為に周りに迷惑かけるようになってしまったら…
やっぱり生きる価値ないって思う私がまだいるのです。
お母さんが、白血病で余命宣告されて、がんばって看病してた時、ほんとにいなくなる日が来るなんて思ってなかった。
ほんとに亡くなってから、入院してても、生きてくれてるだけでよかったのに…って何度思ったことか。娘にとって、母親ってそんな存在。
愚痴をきいてくれるだけで、そこにいてくれるだけで、気持ちリセットできてたなー。
今日のお墓掃除は、自分の無力感をつくづく感じました。
ここ1ヶ月ほど、もうイヤだってくらいの四六時中の痛みで、感情を抱え込めなくて。
父に対して、つっけんどんな喋り方をしてしまう。主人にも明るくできない。
電話切って自己嫌悪。
なにもできなくてもいい。
とつぶやくことが、どうしてもできない。
なにもできない私は愛してもらえない。が根っこにあるのがよくわかる。
痛いんだ
辛いんだ
悲しいんだ
やってられないんだ
痛みが私じゃない私を連れてくる
その私を私は愛せなくて。
だから、終わらなくて循環しちゃうんだろうな。
痛い身体にむち打って、がんばることが日常で。終わりのない痛みにほとほと嫌気がさして。
次男が、大人になるまでは、なんとかお母さんしてあげたいし。
「生きていてくれてるだけでいい」
妹がくれた言葉が、私を泣かせるけど、人生歩んできて、初めてもらった宝物の言葉になりました。
きっと涙もろいのは、昨日の三日月のせい?
今夜は泣ききります。