"ここ2週間くらいは忙しくなる"と言った彼に
"仕事に集中してください"と言ったのは私だった。
"来週からは無理をしないでね"と言ったのも。
単純に、彼のことが心配だったのもあるし
月の悪戯のせいで、ドラマティックすぎた1週間が怖くて
冷静になる時間が必要だと思ったのもある。
このまま溺れてしまっては、苦い思い出の繰り返しになってしまうから。
そんなことなくても、月曜日の朝は躊躇する。
休日にメールをやりとりしないのは暗黙の了解だ。
休日を家族と過ごした彼が、月曜日の朝
私を変わらず必要としてくれるかどうか、不安になる。
彼の負担にはなりたくない。
その気持ちに嘘はないけど、彼からのメールを
どこかで期待している自分がいたのも事実。
朝、彼にメールを送る代わりに、ある人からの誘いを断った。
誰とデートしたって自由なはずなのに、なんだか気が進まない。
こないだも
彼と会った後に入れていた予定を直前になってキャンセルした。
"僕と会った後に他の男の人に会うのはダメだからね(>_<)"
聞き分けのいい女になるのは悔しいけど。
気を紛らわそうと思っても、紛れもなく自分の気持ちがそこにあると
気づいてしまった以上どうしようもない。
わたしは 彼のことが 好き。
その気持ちに素直でいたいから、彼が仕事で頑張っているその時間、
私も、自分のするべきことのために頑張ろうって思った。
...にも関わらず、その日の仕事っぷりは散々で、心が折れそうだった。
そんな時に限って彼からのメールはない。
"気分転換してくる"
そんな時に限って彼の姿を見かけることはできなかった。
彼がメールをしてこないのは、それなりの理由があるわけで
私がメールをしないのは、それなりの理由を尊重しているから。
わかってるつもりだった・・・けど、無理だった。
"新しい髪色、評判いいんだけど...見たいヒト~w
あまりに仕事の効率が悪かったのでメールしてやった。
・・・・降参です"
少し待ってみたけど返信はこなかった。
あきらめて帰ろうとしたところで彼から返信があった。
"どこに行けば見れるんですか?"
いつもの場所に彼はいた。
"大丈夫? 降参早いよ"
ちょっとイジワルそうにニヤリとする。
いつもの表情。
夕方の当番を装って寄り道した場所で
ニアミスしていたことがわかってちょっと嬉しかった。
ちょっと顔見ただけで帰ろうと思っていたのに
触れてしまうと離れたくなくなる。
帰るに帰れないいろいろなアクシデントのせいもあったけど。
+++
"綺麗だよ"
嬉しかったけど恥ずかしくなって
"灯りのない場所で見てるからでしょ"
と返すと
"明るい場所でこうしててもきっと綺麗って言うよ"
って言ってくれた。
公の場で、こんな至近距離になることはないけど
明るい場所で見られるのは、自信がない。
きっと大胆に近づけるのは、月灯りの下だから。
"声が好きって言ったでしょ。もっと聞かせて"
聞いて欲しいと思う気持ちと
恥ずかしいと思う気持ちと
いろんな気持ちがないまぜになって
抑えても声が漏れる。
想いに呼応するかのように。
拒絶の言葉を口にする私に彼が
"なんで?"って意地悪な質問をする。
ダメ ナノハ ホシクナル カラ。
言葉を飲み込んだ。
どんどん欲張りになる。
危険だ。
+++
"癒された" "楽しかった"
そんな、いい思い出だけを残していきたい。
後から思い出しても、思わずニヤリとしてしまうような
そんな思い出だけを。彼の元には。
十六夜月の夜、そう決めた。
彼の前ではもう泣かない。
"ありがとう。でも絶対に無理はしないでね。
無理させることは望んでないから"
無理なんかじゃない。
彼が私を求めてくれることが嬉しい。
本当は許されないことなのだから。
それだけで十分だ。
"一緒にいたら楽しそうだなと思ったから"
"僕の癒しなんで結構前からすでに必要とされてますよ"
一緒にいて楽しい人、一緒にいて癒される人。
それが、彼が与えてくれる私の存在価値なら
せめて側にいることを許される間は
彼が求めてくれる私でありたい。
+++
映画の脱出劇のように、正門を潜って外に出た。
後部座席の足元にうずくまって
"死体みたいだね"と言うと
"そんなにしゃべる死体はいやだなぁ"と笑われた。
家に帰ると"おおきな木"が届いていた。
"樹"の入る彼の名前を
いい名前だなって思った時に思い出した絵本。
樹と少年の話。
少年が成長していく過程で
樹は自分の一部を1つずつ与える。
そのたびに "きは それで うれしかった" はずなのに
1度だけ "だけど それは ほんとかな" って箇所がある。
原作では"but not really"
全てを与えて、それを幸せだと思う樹のように
彼を想えたらいいのにって思った。
だけど それは ほんとかな。
彼に対する言葉や行為が
偽善ではなく、犠牲でもなく、
自己満足でもなく、押し付けでもなく
ただ純粋な想いであるかどうか、
そんなふうに
常に自分に問いかけながら
残された時間を大事に過ごして行きたいと思った。
新訳の"幸せになんて...なれませんよね"
に違和感を感じて
絶版になってた旧訳版を探して買った。
今の私を誰かが知ったら、きっとそう言われるのだろう。
"幸せになんかなれないよ"
でも、私の幸せは私が決める。
本当は彼の誕生日に
プレゼントしたかった本だけど
気軽に物を贈ることが
できない仲になってしまった。
いつか一緒に読めたらいいなって思う。
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"仕事が溜まってしまった。
でもK姫が満たされたのならそれはそれでいいや"
そのメールが嬉しくて、
もう彼に無理をさせるようなことはしないって思った。
明日からはきっと大丈夫。
会えなくても メールできなくても
お互いに対して少なくとも今は
同じ気持ちでいるってこと わかったから。
"思い出ができるでしょ"
彼が言った言葉に一瞬違和感を覚えた。
いつかは過去のものになる。
そのことは十分弁えているつもりだ。
それなのに
"こんなことできるのも3月いっぱいだから"
って言ったら
"そうだね"って返ってきた返事を思い出して
そこも同じ気持ちなのかな。
そう思うと少し寂しい気持ちにもなった。
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一瞬の不安も疑念も
メールの一言でほどけてしまうなら
我慢して迷惑をかけるくらいなら
我慢しないでメールしよう
そう思った。
"返信できないことを申し訳ないと思う"
そう言ってた彼に
申し訳ないと思わせたくなくて我慢したけど
彼の心は彼が決めることなのだから。
