地球上の誰かがふと思った
「あれ、“後藤”って、“五頭”から来てるの?」
『寄生獣』リアルタイム連載時に寄生生物そのものであるミギ―やジョー、三木達の発言・存在で把握してた
『寄生生物は名前に拘らない』
という事実。
ミギ―・三木は宿主の右手箇所に寄生したことから『みぎ』をもじった名をチョイスし、ジョーは顎(正確には顎~喉・胸元)へ寄生したことから『顎』の意味の英単語『ジョー』(当初は『寄生』そのままの意味の英単語『パラサイト』)をチョイスする事で、寄生生物の名前に対する無頓着ぶりを見せつけていた。
然るに、一つの人体に五体の寄生生物で形成された存在・後藤に関しては本当にノーマークで、連載終了後から20年近く経過した昨年(2014年)の映画化・アニメ化ラッシュの中、フッと
「寄生生物って名前に拘りなかったよなぁ……。
あれ?そう言えば後藤ってもしかして…」
と思い至った次第。
『後藤=五頭?』に連載当時思い至らなかった己の迂闊さ(?)・甘さにちょっと恥じ入りつつ、20年近い歳月の流れを経て、ふとした瞬間に思い至った事に面白さを感じてしまいましたよ。
で、まあ
「色々な経験によって培われた思考パターン、物の見方・捉え方で当時見えなかったものが見えるようになったのか、それとも一連の記憶の中、経年によりある部分が抜け落ち、残った部分同士が繋がる中で閃いたのか…」
なんて事を考えたりしたわけです。
※個人的に、記憶に対しては
「よほどの事がない限り“忘れる・抜け落ちる”ということはなく、“思い出しにくくなる・言語化が容易でなくなる”を“忘れる・抜け落ちる”と表現しているのでは」
と思っているので、前述の『抜け落ち』って表現はそういう意味で捉えてもらえれば幸いです。あしからず。
スポーツにおける一定動作の修得においても、毎日反復練習するだけでなく、ちょっと日をおいて再練習すると予想以上に滑らかに体が動かせたりしてた、なんて事も経験上あったりするので、時間経過による熟成も侮れないな、と。
一定の思考や動作をもたらすシナプスの連絡路形成がこの間に為されているのかもしれませんね。
と言うことで、時間の経過によって得られる成果も間違いなくあるから、ちょっとうまくいかなかったりしても嘆かず、前向きにいきまっしょい。