適当でいいじゃんかー。

適当でいいじゃんかー。

肺高血圧症・動脈管開存症です。2015年トレプロストの投与開始。そして二度の血液感染の末、皮下注射。そして2023年のどこかで両肺移植をしました。

ブログに起こしいただきありがとうございます。ダラダラと私のことを書いていことう思います。詳しい自己紹介などは下記のメニューボタンから飛べます。

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皆様あけましておめでとうございます。とりあえずは何のトラブルもなく生きています。私生活が色々と忙しく全然更新できてなくてすいません・・・。そして新年一発目の記事にしては重い話をしたいと思います。ちゃんとクルーズ旅行の記事も更新するからゆっくり待ってて下され・・・!

 

・肺移植の説明の時「子供は無理」

もう初めて肺移植手術の説明を受けたのは5年以上前で記憶が朧気なんですが「他の腎臓とかを臓器移植した人は子供産んだりしているけど肺移植の人は出産無理だよ。」って説明を受けたことはしっかり覚えています。当時は7年間付き合っていた彼と別れたばかりで「男なんて全員クソくらえだ!!一生結婚なんてするかよ。」って尖っていた時期だったので先生にも「そんな予定はないから安心しな。」ってハッキリ言っていたのですがそう言っていた2年後に今の旦那と出会ってしまいます・・・人生って何があるかわかりませんね。

 

・お坊さんの話「本能」

そして無事に移植して今では普通に歩いて日常生活をおくれています。私は普通に生きれているだけでもありがたいレベルです。・・・でもどうしてだろう心の奥底に少しだけ「子供を産んで育てたいなぁ。」って気持ちがあります。それがなぜなのか具体的に言語化できずにいました。もちろん大好きな旦那と2人で分け合ってできた命を見たいと思うのは普通のこと。でもそれがなぜなのだろう・・・社会的なレッテルとかでもなければ女性にかけられた呪いって言葉でもなんだか片付けられないんだよなぁ。って何年もの間ずーっとモヤモヤしていました。その時にたまたま見たYouTubeの動画で大愚和尚様という人の動画を見ました。※私は特定の宗教に属したりはしていません※

この動画の中で「子供を産みたいというのは人間の本能がそうさせている。」とおっしゃっていてあっ、これが答えなのか・・・ってめっちゃ腑に落ちました。辞書から引用しますと「本能とは後天的な経験・学習を経ずに、動物が先天的にもっている一定の行動様式。」とあります。そうです人間が生まれた時から勝手に脳にプログラミングされているものなんですね本能というのは。

そうやって人類は繁栄してきたんですね。なぜかそう思うと心がスーッと軽くなりました。

 

・そしていざ旦那の家族との初対面

私の旦那の実家は飛行機でいかなきゃいけない場所にあります。なので退院して少し経ってから挨拶に行きました。ちなみにこの時があちらのご両親との初対面です・・・。

 

高級な焼肉屋さんを予約してくれていました。最初はたわいもない話をして盛り上がっていました。そして旦那がトイレに行った隙に私は意を決して言いました。「お父さんお母さんごめんなさい。肺移植手術の最初の説明をされた時に先生に言われたんですけど子供は産めません。なので孫の顔をみせてあげることができず本当に申し訳ございません。」と。多分声も震えていたし涙目でした。

 

それに対しあちらの両親は「いいの。その代わりうちの息子のことよろしくね。本当に何もできないから・・・。」って言ってくれました。この言葉を聞いてあぁ本当にこの人と結婚してよかった。と心から思いました。

 

・そんなこんなで無事に結婚1周年を迎えました。まだまだ色々と試行錯誤な人生ですがなんとか生きています。

里親や養子縁組のことも視野に入れていたのですがぶっちゃけた話、私がいつまで生きているかも分からないので責任がとれない反面が多いので今のところは考えていません。その代わり何か社会貢献をしたり周りの子連れの方に寛容になったり何かあれば喜んで手伝いをさせていただければと思い生きております。まだまだ自分の中で腑に落ちない事もあるかもしれないけれど人間何かが欠けていてもいいじゃない。

人生初のクルーズ旅に行きました。新婚旅行第1回目です。私達夫婦は結婚式をする予定がないためその代わりに旅行数回と写真を撮ろうと決めました。写真は私がとんでもなくデブになったため保留中です・・・瘦せる日は来るのか!?

 

そして私のわがままで飛鳥クルーズに行くことになりました。本当は海外船に乗りたかったのですがそんなに休みがとれる訳もなく、移動にもお金がかかるため北海道発着のショートクルーズがある飛鳥2になりました。飛鳥2のタグからきてくださった方はよろしければ「肺移植入院記」も読んでいただければありがたいです。

 

移植して元気になったらやりたかったことの一つに「クルーズ船に乗る。」ということがありました。手術前は在宅酸素と車椅子が手放せなかったため気軽に旅行に行くのが中々難しく・・・それでも私はよくライブのために遠征に行っていましたが笑い泣き泣

 

 

・申し込み

2~3ヵ月前にwebから申し込みました。申し込んだ部屋のグレードがKステートという一番ランクが下の部屋なのですが既に埋まっていたのでキャンセル待ちをしました。後日、日本郵船からお電話がありキャンセルが出たので申し込みますか?と聞かれたのでそのまま申し込みをしました。

 

・ガイドブックが送られてくる

クルーズガイドブックと日程表や乗船券が送られてきました。中には寄港地の案内や寄港地でのツアー案内が書いてありました。私達が参加した航路は小樽→留萌→稚内そしてまた小樽に帰ってくるという航路でした。寄港地ツアーは申し込まず自分たちでレンタカーを手配しました。留萌はいつでも気軽に行けるということで船からは下りず1日を過ごし稚内だけレンタカーを借りて観光をする形にしました。

 

・服装ドレスコード

飛鳥2では17時頃からドレスコードで船内をうろつくことが推奨されています。3泊4日だったのですが3日ともドレスコードの指定がカジュアルだったので助かりました・・・。私は普段スーツすら着ないような生活をしているので・・・。

 

・当日

交通機関を使い港まで行こうとも考えたのですがまだまだ私は体力がなく交通機関+タクシーをつかうはめにはりそうだったのでタクシー代払うのと4日間駐車するのとではあまり料金が変わらないのでは?と考え結局小樽の観光駐車場に停めました。1日1000円ぐらいだったので4日間で4000円ちょいでした。

 

そして9月の頭なのに小樽港は直射日光ガンガンでめっちゃ暑かったです・・・。港に着いて飛鳥2を初めて見たのですがでけぇええ!!マジで街1つが歩いてるみたいだ・・・。海外船はこれより大きいんだからビックリしちゃうよね。

そして奥に映っている小樽港クルーズターミナルはクーラーがなくめっっっっちゃ暑かったです・・・大きな扇風機を数台設置してくれていたのですがそれでも暑かった絶望

 

まずクルーズターミナルに入ると手荷物受付場所があり預けると客室まで運んでくれます。荷札はガイドブックと乗船券などと一緒に送られてきます。クルーズ船は持ち込み禁止なものが意外とあるので気を付けてください。私はヘアアイロンを持ち込みたかったのですが禁止だったので泣く泣く持ってきませんでしたえーん泣

 

乗船受付が15時~で一番最初はロイヤルスイートのお客様からのご案内。私達は一番安い部屋なので一番最後ぐらいだと思ったのですが今回乗船するお客さんの数が少なかったので15時10分には受付ができました。本人確認書類と感染症に関する質問票、乗車券をもって受付。ここで部屋に入れる乗船カードをもらいます。そしていざ乗船!!

 

ちなみに乗船する時スロープを敷いてくれてはいたのですが車椅子だと中々辛い角度のスロープでそこそこ長いです。

もう肺移植手術をして自分の足で歩けるようになって数年経ちますがやっぱりまだ「車椅子だとここどうかな?」って反射的に考えちゃいます。ただ飛鳥は乗船されるお客さんの年齢層が高めなので車椅子の人もちらほら居て船内もバリアフリーだったので問題ないかと思われます。あ、車椅子だと優先乗船できます。

 

わーーーおよだれスター

さすが豪華客船。内装が素敵だし天井が高い!!

そして部屋につくと既に荷物が届いている・・・早い。そして一番安いランクのKステートはこのように景観を救命ボートで遮られてしまうのですが私は全く気になりませんでした。外を見たきゃ甲板に上がったりビスタラウンジ・パームコートという素敵なラウンジがたくさんあります。そして部屋の広さですがへたなのビジネスホテルより全然広いです。写真だと狭そうに見えるのが残念すぎる・・・一番下のランクでも私は十分です。

そして一番嬉しかったのがこれーーー。ハネムーンとして申し込んだので部屋にフルーツバスケットとたくさんのプレゼントがありました。そしてメッセージカード。夕飯の時にお祝いだと・・・?いったい何があるんや。

そして部屋で少しゆっくりした後は避難訓練です。これは乗客全員が参加しなくてはいけません。客室にあるテレビから映像が流れ次に警音がなります。鳴り終わったら乗船カードの右下に書いてあるボート番号の箇所へ行きます。私は8番でした。

避難訓練が終わるとウェルカムドリンクを配っていたのでパームコートに行きスパークリングワインをいただきました。ノンアルコールもありましたよ。お酒を飲みながら海辺を眺められるなんて素敵すぎる・・・。

そして小腹がすいたぜ!!そう何と言ってもクルーズ船の一番の魅力は「オールインクルーシブ」です。食べなきゃ損だし飲まなきゃ損!!あっ、残念ながらアルコールは別料金です・・・。楽しみにしていたリドカフェで軽食のお菓子とケーキ、ハンバーガーを食べました。この飛鳥のハンバーガーが出来立てでおいしくて・・・毎日食べていました。(笑)

そしていざ出航!!下では学生さんたちが太鼓をたたいてくれていました。土日なのにありがとうねぇ・・・。出航の時はどこも盛大に祝ってくれていました。前にジャパネット高田の社長さんが言っていました。クルーズ船で大量の人が降りると地域が喜ぶと。1000人とか単位の人たちが下船すると1日で平均1人1万円を使うので経済効果が凄いと。なのでこうして地域の方々が一生懸命なんですね・・・。ちなみに出航の汽笛はマジで爆音なので甲板とかに居る時は気を付けてください。

次回は夕食などについてを更新予定ー。

入院体験記など割とネガティブなことばかり書いていて肺移植に対する負の感情が皆様のなかで大きくなるといけないので帳尻合わせ的な意味でこれからはポジティブなこともたくさん書いていきます!!

 

まずは肺移植をやってよかったことを発表ーラブ飛び出すハート

 

・薬の副作用がとにかく減った。

私の場合は大量にしかも副作用が強い薬をたくさん服用していました。なにより24時間持続の皮下注射がなくなっただけで肺移植をした意味があるぐらい…。特に腹痛・低血圧・頭痛・飛蚊症・皮下注射の薬液による激痛などあげたらきりがないです。24時間365日具合がいい日がなかったと思います。ですが移植後服用する薬がガラッと変わりました。免疫抑制剤、ステロイド。全ていい噂を聞かないのでビクビクしながら服用していました。ですが移植する前の方が副作用100倍辛かったので何も感じないレベルです。まだ数年しか服用していないからかもしれませんが今のところ割と平気です。

 

・酸素がいらない、皮下注射からの解放

これもでかい!!旅行に行くときは在宅用酸素をホテルまで毎回置いてもらっていましたが今や手ぶら。皮下注射をしていたときは温泉なんて夢のまた夢。ですが今はいちいち皮膚を保護しなくてもいい!!なんなら海外旅行だって行けちゃう。・・・こんなに私が幸せでいいのでしょうか?ただ当たり前ですが健常者の方とは違い体力はないので工夫して旅行しないといけないのは変わりないですか。

 

・自分の足で歩けること

全てこの理由に終着すると思います。自分の足で歩いて生活をするという当たり前の生活を私は今までの人生経験していませんでした。できるようになって一番驚いたことが「この世の中って便利だなぁ。」ってことです。エスカレーターや歩く歩道・・・いや近未来やが!!私は今までこんな便利な物を使ってなかったのか。スマホがあれば交通機関乗れるし店で買い物したら料金だって支払える。未だに自分の足で地下鉄やバスに乗って目的地について自宅に帰ってこれる。こんな当たり前のことが私にとっては涙がでるぐらい嬉しい。そして大好きな旦那と並んで手をつないで歩ける。幸せ。

 

肺移植をして後悔しているかと聞かれたら私は即答で「No。」と答えます。それは今健康に過ごせているからでは…?って思われる方もいるかもしれませんが違います。「全て自分で決めて自分の意志でここまで来たから。」です。皮下注射を始めたのも自分の意志です。本当に辛くて痛くて思い出すだけで吐きそうな7年間でしたがそれでも一切後悔していません。いつかの記事でも書きましたが私は一般的の人より何かが欠けている自覚があります。そんな私が唯一続けられていることは何かを自分の意志で決めることなのかもなぁ・・・。

 

※ここから臓器移植に対する私個人の意見が入ります。不快に思われる方も居ると思いますが1つの意見だと思って聞き流していただければ幸いです。※

 

何よりもネガティブな言葉をインターネット上で発してしまうと命を貰ったドナーさんに失礼すぎます。たとえ思ってしまってもそれは自分の紙日記に書くなり不特定多数の人が見れない場所に書くべきことなんです。現在日本での各家庭のインターネット普及率が令和5年の時点で80%を超えています。

誰でもあなたの書き込みを見れてしまいます。もしかしたらドナー家族の皆様の目にはいってしまうかもしれない。命の問題は本当に扱いが難しく話題にすること自体がタブーな傾向にあります。ですがタブーなことについて考え続けることが命を貰った者が課せられる一生の使命だと私は思っています。

 

移植手術って本当に大変なんです・・・臓器移植に関わって下さっている方は365日年中無休で全力で寝る間も惜しんで古今東西を飛び回っております。ICUや病棟で患者に異変があると全力疾走して駆けつける医療従事者の皆様、及び病院で働いて下さっている皆様をずーーっと見続けてきました。少しでも無下にしないよう私も精いっぱい頑張って生きていきたいです。

5ヶ月というまぁまぁな長期入院かつICUなども経験した私が入院中に本当に役に立ったものを厳選しました。またアマゾンのリンクはアフィリエイトリンクではないので気軽に見てください。

 

・高速充電できる充電器

入院中は基本的にスマホをいじっている時間が多いので充電している間は暇です。死活問題です。なのでいかに充電時間を少なくするか・・・。それは高速充電器を使ってください。

おすすめはUSBを差す場所が2つ~4つぐらいあるやつです。おすすめメーカーは安心安全のAnker。私はモバイルバッテリーもAnkerを使っています。USBを差す場所が2つぐらいあれば延長コードがなくても割と何とかなります。延長コード自体を使用禁止にしている病院も多いみたいなので。高速充電はスマホ自体の寿命が~みたいなお声もありますが「入院中なんだからスマホの寿命よりも自分の寿命を心配しろ」って感じなので。生きていればスマホなんて買い換えられる。入院中のストレスを軽減する方法を考えるのが最優先です。

 

・iPad+アップルペンシル

これは個室に移って少し体力がついてきた頃に映画を見たりゲームをしたりして日々の時間を潰すのに本当に役立ちました。私は点滴が中々入らなかったのでずっと肘を伸ばした状態じゃないといけない場所にルートをとられたりしたのでスマホも中々いじれなかった時iPadとアップルペンシルに本当に助けられました。元々は絵を描く用に買ったのですが背もたれなしで座れるようになるまでかなりかかったので入院中は全く絵を描ける状況じゃありませんでした。

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・高性能ノイズキャンセリングイヤホン

高性能なノイズキャンセリングイヤホンは耳栓代わりになります。おすすめはBoseのイヤホンです。ドレーンが刺さっていた期間が3ヵ月ぐらいあったので好きな体勢で寝れずしかもメンタルもグッチャグッチャで病んでた時、このイヤホンでラジオやYouTubeを流しながらゆっくりと時間をかけて寝落ちするのが大好きでした。また高級耳栓もビックリなぐらい周りの音が聞こえなくなるので本当におすすめです。でも人によってはイヤホンが邪魔で寝れない人も居るかも・・・。

https://amzn.asia/d/22JRuVx

 

・安いBluetoothイヤホン

これはリハビリを積んで毎日●●歩は歩け!!って時に大活躍でした。上記のノイズキャンセリングイヤホンでは周りの音までシャットアウトしてしまいます。看護師さんに声をかけられた時や周りの物音を聞けないのは本当に危険です。なので私はSHEINで買った1000円いかないぐらいのイヤホンを使っていました。有線でもいいのですが歩くときに邪魔になるので無線推奨。あと後半はリハビリ室に行って「エアロバイク20分漕いでおいてー。」とか「このトレーニング終わったら帰っていいよ。」みたいに放置されることも多かったのでそんな時も音楽聞いたりしてました。

 

・Spotify、映画サブスク

イヤホンとセットでぜひ音楽サブスクを契約して日々に彩りを加えてください。私は未だに歩いているときに何か音がなきゃ落ち着かない人です。そして寝れない日々を送っていた時にSpotifyでネットラジオを聞いて時間をかけ寝落ちしていました。私の大好きなラジオはこちら。

歴史を面白く学ぶコテンラジオ_COTEN RADIO様です。本当に全ての回が神回なのですが私の最近のお気に入り方は「ゴッホの生涯」と「伊藤野枝編」「ユダヤ人を救った不屈の良心 〜人は誰もが勇者になれる〜【44-11 COTEN RADIO シンドラー編11】」特に最後の44-11シンドラー編11は心がモヤモヤした時とか落ち込んだ時にぜひ聞いてください。戦時中という厳しい中、ドイツ人がユダヤ人を助けるという無謀なことをします。そして何よりもオチが本当に美しく素晴らしいです・・・。

 

たろちんイボーンの生☆始発待ちラジオ様。おじさん2人がゆるゆるとお話しているラジオです。第38回「たろちんが一生酒を飲めなくなりました」の回は入院中に擦り切れるまで聞いていました。こちらはたろちんさんというパーソナリティの一人が重症急性膵炎で入院しましたよ。って回でICUに入っていたり絶食絶水期間が長かったり医療麻薬による幻覚を見たり入院中にまた状態が悪くなったりと私と似たような状況だったので本当に励まされました。

 

・綿棒、爪楊枝、爪切り

私は新三種の神器と言っています。この3つはICUだろうがどこだろうが絶対に必要です。ない時のストレスが半端じゃないです。麻酔から目覚めてICUで耳を綿棒で掃除したら汚すぎて笑いました。注意点1つは術後数週間は握力がゴミなので少ない力でも切れる爪切りがおすすめです。

 

・ワセリン、リップクリーム、大容量の保湿

術後は落ち着くまでカニューラで酸素をずっと吸っています。鼻の中が乾燥して鼻くそカッピカピ。鼻の中も痛いです。そんな時にワセリンを薄く綿棒で鼻の穴の中に塗っていました。これが本当に快適でした。リップクリームはカニューラがある人中あたりが痛くなるのでメンソレータムのリップクリームを塗っていました。あと唇も乾燥するので必要です。保湿は病院自体が死ぬほど乾燥しているので必要です。あと絶食絶水期間が長いと肌がシワシワの一反木綿になります。ご飯が食べれるようになると肌も綺麗になりますがそれまでのつなぎとして保湿は必要です。あと体を拭いた後も絶対に保湿をしていました。私のお勧めはベーテルローテーションです。皮下注射時代からお世話になっています。なんなら今でも風呂上りにこれで全身保湿しています。

 

・メモリの付いたストローさせる容器

基本的に入院中は飲水量を書いて記録しなさいという指示があります。後半は500mlのペットボトルが飲めたりするのですが飲水量の制限などもあったりするのでメモリがあるカップは便利です。ストローがさせる容器がいいという理由はICUで気管切開などして人工呼吸器をいれているとコップから直接水が飲めません。またカテーテルが首からあって動かせないって状況もあったりしますなのでストローがさせる容器がおすすめです。私は検査入院などの軽い入院でもこの容器を持って行っています。

 

・鏡、置き時計

ICUには当たり前ですが鏡がなく自分の今の状況が分かりません。スマホのカメラで見ろよって感じですが私はICU時代、目がハッキリと見えてくるまでに時間がかかりました。なのでスマホの液晶画面を見るのがキツかったです。そんな時に鏡は結構たすかりました。また置き時計も同じような理由なのと私はスマホで時間を確認しても結局は置き時計で時間を確認しないとちゃんと時間を把握できないアナログ人間なので助かりました。

 

・タオルケット又はひざ掛け

病院の布団はせんべい布団と言うのもおこがましいぐらいペラッペラです。そのくせ重くて寒いです。また術後は体がボロッボロなので体温調整がむずかしくなります。なので私は病院の布団ではなくタオルケットやひざ掛けを使用していました。背もたれなしで座るのが難しかった時代、ベッドを起こしてその背中に柔らかいひざ掛けを敷いて姿勢を保っていました。クッションとかよりも私はこっちの方がよかったです。

 

・洗剤とハンガーと小物干すやつ

元気になってくると病衣ではなく自分のパジャマを着ていました。乾燥機は金も時間かかるので自分の病室に干していました。洗濯物を干すのはとてもリハビリになります・・・。そんな時にハンガーと小物を干すピンチハンガーが助かりました。普通のハンガーは100均でいいのですがピンチハンガーは100均だと洗濯バサミがすーーーぐ壊れるのでおすすめしません。家族の方が頻繁に来て洗濯をして下さる方ならいらないと思います。

https://amzn.asia/d/fhDkdED

 

番外編

・PayPay

入院していた病院ではコンビニでPayPayが使えました。また病棟に来てくれる移動販売でもまさかのコード決済ができました。院内自由になるとコンビニに行く回数が多くなります。財布をいちいち持っていくのは面倒なので私は全てPayPayで決済していました。また財布は盗難される可能性があるので私は1万円だけ持って財布は家に預けていました。

 

逆にいらなかったもの

・臭いの付いた体拭くウエットティッシュ

「くせぇ!」この一言です。シャワー浴びれない期間があるだろうから持って行ったのですがシトラスの香りだミントの香りだそんなの元気のない時には何の意味もなさないんですね。むしろ匂いがキツくて頭痛がする。体が動かない個室時代は顔をふくタオルは1日に2回朝と晩くれたし体を拭くタオルは都度看護師さんが個別でくれます。そもそも人間体が極限の時は生きるのに必死なので体臭とか気にしてる場合じゃないんですよ。元気になってきたら毎日シャワー入れるしいりません。

 

・ドライシャンプー

個室、ICU時代は週1回だけの洗髪だったので髪の毛がベタベタで気持ち悪かったので買ったのですが術後は肌がよわよわでドライシャンプーで頭皮が痛くなりました・・・。また全然清潔になった感じがなかったので却下です。

 

・大きいペットボトル飲料

入院中は感染に関して厳しかったりするので2リットルなどのペットボトル飲料を数日にかけて飲むことが許されていませんでした。500mlのペットボトル飲料を開封後24時間で飲み切らないと残りは破棄していました。なので大きいのは場所も取るしいりません。

 

・耳栓

ノイズキャンイヤホンに惨敗なのでいりません。

 

 

 

ここからちょっと汚い内容になるので食後の方は終わってからお読みください。あと私自身女なので女性向けなことも書いてます。

 

 

 

めっちゃあったら助かったもの

・赤ちゃんおしりふき(厚手・高級)

ICUの糞尿垂れ流し期間は看護師さんにおしりふきでおしりを拭いてもらいます。私は大人用のおしりふきは痛かったです・・・。なので子供用のフワフワのやつに変えると痛くなくなりました。ぜひ高めの赤ちゃんおしりふきを買って下さい。私はなんか桃の葉エキスがはいっているやつを使っていました。

https://www.matsukiyococokara-online.com/store/catalog/product/view/id/4903320484047

 

・デリケートゾーン用のボディソープ

シャワーが浴びれない時期は陰洗といって陰部を看護師さんに洗ってもらいます。女性の場合は普通のボディソープで洗うと絶対にしみます痛い。そんな時はデリケートゾーン用のボディソープを使ってください。私はこちらのピンクの無臭のものを使っていました。

 

・おりものシート、ナプキン

女性の皆様は大体ナプキンはお持ちかと思います。足腰がしっかりしてくるまで時間がかかるのと尿の管を長期間いれているので尿道が割とガバガバになっています。咳をすることも多いので咳をした時にピッとちょっと尿が漏れることがあったのでおりものシートは助かりました。ナプキンだと分厚すぎるんですよね。

 

マジでやって後悔した行為

・VIOの脱毛

術前からおむつマンの期間が長いことは知っていたので私はかなり前から肺移植のためにVIOを脱毛していました。脱毛したら清潔だしなんとなくいい感じだろう!と思っていたのですが全くの逆効果だということが分かりました。腕とか足の毛を剃るぐらいにしといたほうがいいです。陰部の毛は女性はぜっっったいに残しておいてください。

 

 

※ここから本当に汚い内容になるので色々と大丈夫な時に見てください。※

 

 

 

一番の理由はおむつでトイレをしたら全て肌で受け止めることになるため気持ち悪すぎる。陰毛というのは尿などの飛び散りを止める作用もあります。それがないと全て肌に直接つくことになったので酷い肌荒れになりました。生理の時も同様の理由で気持ち悪いです。特に一番ひどかったのがICUでは便を柔らかくする薬を飲まされたり出なかったりすると座薬をさされます。そのやわらかい便をおむつですると本当にせき止める毛がなかったので膣口に便が大量に入り込み膀胱炎になることが本当に多かったです。また下痢の液も膣口にはいり地獄をみました・・・。なのでVIO脱毛をご検討の人は術後の元気なった時にして下さい。

移植後は飲む薬がガラッと変わってしまうので副作用も様々です特に免疫抑制剤とステロイドですね。私はセルセプト・プログラフ・プレドニンを飲んでいます。その中から細かい副作用をどうぞ。

 

爪が薄くて欠けやすく割れやすい。

地味にイライラする悩みの1つです。本当にちょっと伸びて机とかにコンッて当たったら欠けて肉があるピンク部分まで亀裂が入りめちゃくちゃ痛いです。ってか何か知らぬ間に割れちゃってます・・・。解決方法は深爪レベルまで爪を切るか爪を補強するマニキュアを塗る。私のおすすめは「ジェルネイルをする」です。術後はチアノーゼになることがないので爪の色を確認することはありません。SpO2もネイルチップじゃなくジェルネイルなら問題なく測れます。ただ一点だけ注意事項があり今流行のマグネットネイルはジェル自体に砂鉄が入っておりMRIなどの検査で支障をきたします。なので検査日に注意して下さい。

 

術後、従妹がネイリストなので退院祝いに何回かやってくれたのですが見事にハマりました。コンプレックスだった横爪も割と綺麗な縦爪になりました。本当に感動です。北海道に帰ってからは道具を一式そろえセルフネイルするようになりました。今では完全に趣味の1つになりました。ネイリスト検定を独学でとろうかと考えてるレベルでハマってます。まだまだ爪育て中です。

 

・髪の毛問題

退院して1年ほど抜け毛に悩みました。シャワーに入るたびに排水溝が真っ黒。全部髪の毛。カツラ買おうかマジで迷ったレベルでハゲました。私の場合エクモを入れてたりと割とハードな手術だったので・・・。ですが退院して1年以上経つと元通りになりました。ただ髪の毛とか見た目の問題ってパッと他人から見ただけで分かっちゃうので辛いものがありますよね。

 

あと髪の毛が細くなりました。私は調子に乗って退院してからブリーチして染めちゃったので髪の毛がキシキシになりました。なので派手髪をしたい人は最低術後1年までは我慢した方がいいです。

 

・お腹ピーピー問題

免疫抑制剤を飲んで30分後ぐらいにはお腹が痛くなります・・・。ただ私は皮下注射時代の方が腹痛が多かったので「マシになったな」と思っているのであまり困ってはないですが運転する用事があるとか座って鑑賞する時間がある。って方はちょっと注意した方がいいかもしれませんね。

 

・感染しやす過ぎ問題

手術前よりも術後の方が全体的には本当に元気になったのですがすぐ風邪をひきます。手術前は手洗いうがいをしっかりやっていれば風邪なんてかかることなかったのですがね・・・。そして免疫抑制剤を飲んでいるため自分で風邪菌を殺すことができなくなってしまったので風邪をひいたらすぐ抗生物質を処方してもらっています。地元の主治医の先生からも「何かあったらすぐ連絡してね。」と言われているので皆さんも些細なことでも連絡しましょう。

 

・すぐケガする

なんか気づいたら手とか足に青タンあるーーー!!マジでぶつけた記憶なんて全然ないのになんでこんなにケガしてるの・・・。これは爪が薄くなっているのと同じように皮膚が薄くなっているからですね。だから骨粗鬆症にもなりやすいらしいんですけど・・・。これも地味に気になる副作用の1つ。しかも治るのが遅すぎる・・・次治ったらまた次のケガしているの無限ループです。

 

じゃあ上記の副作用があるからもーいやっ!!状態なのかと言われればそうではなく私は手術前があまりにも辛かったので5000倍ぐらいは術後の方がマシになりました。ネガティブな面もたくさんあるし拒絶反応に怯えながら過ごしていますがポジティブな面もたくさんあります。色々と悩みは尽きませんが頑張って生きようぜ。

 

この間ほんとうにひっっっさしぶりに関ジャニ(現スーパーエイト)のコンサートに行ってきました。実は10年以上前からのファンでして私の青春は関ジャニと共にあったといっても過言ではありません。証拠に懐かしいチケットやらの写真をどうぞ。

こちらは初めての全国ツアーのチケットですね。値段が6300円って今じゃ考えられない・・・。この頃はファンクラブなかったからなんかハガキを送ってそれで案内がくる。みたいな形式でした。

こちらは昔レコメンっていうラジオ番組のステッカーですね。毎週木曜日にやっていたのですが私が住んでいる北海道では確か0時からしか放送されていなかったので眠い目をこすって聞いてた気がする・・・今みたいなYouTubeが盛んじゃないから誰かが動画であげてくれる訳もなくラジコなんてものもなかった。だからリアルタイムで聞くしかなかったんですね。

そして大量のうちわ・・・。かなり処分に困ったのを覚えています。また雑誌の切り抜きもたくさんあったなぁ・・・。ポポロ、明星、ウインクアップだったかなぁ。同じ時代にYou&Jに入っていた人たちは手をたたいて共感してくれていると思います。今じゃ考えられないかもしれないんですけどKAT-TUN、NEWS、関ジャニ∞が合体したファンクラブがあったんですよ。なのでKAT-TUN、NEWSのコンサートもかなり行ってたなぁ・・・。YouTubeにジャニーズ公式が動画あげるなんて昔じゃ信じられなかったから映像媒体には恵まれなかったけどコンサートに行く機会には恵まれていたと思います。

 

私は渋谷すばると村上信五、横山裕の担当です。(ジャニーズファンは推しの事を担当という文化があります)なので渋谷すばるが居なくなったので現場(コンサートやライブなど直接会いに行くこと)からかなり遠ざかっていました。

 

ですが術後安定してきたのでいい機会だと思って行きました。まずビックリしたのがオーラス(ツアーコンサートの最後の日のこと)が北海道だったということ。関ジャニはホームが大阪なのでオーラスも基本的に大阪です。この事実にも「あぁ、時代が変わっているんだなぁ」としみじみ思いました。まぁその後のドームコンサートは京セラでラストでしたが。

 

まだ体力もなく長時間立っていることが難しかったので車椅子で行き車椅子席での観覧でした。この記事を見つけてきてくれたエイターさんはよければ肺移植体験記なども読んでいただければ幸いです。

 

そして何回もコンサートに行って思い知らされるのが「横山裕という優しすぎるアイドル」について。調べていただくと分かるのですが彼は本当に苦労人です。テレビに出ているときは凄くバライティに富んだ面白い人なのですがとにかく優しい。ここで私が実際に体験した優しいエピソードをご覧ください。

 

・見つけたらほぼ100%車椅子席に来てくれる。

これはDVDにも収録されていることがありましたね。DVD収録しているからイメージアップで車椅子席に来てくれている訳ではなく彼はどの会場でも「車椅子席を見つけたらほぼ100%」そこにいる全員と握手して帰ります。今回の北海道公演の時もわざわざ来てくださり「頑張ってな。」と私に言ってくれました。これはデビューした時から変わってないですねぇ。

 

・サインを全部車椅子席にくれる。

昔、横山くんのソロコンサートツアーがあったんですよ。当時はサイン投げの文化があったので歌いながらサイン色紙を横山くんが持っていたのですが持っているサイン3枚全部車椅子席の人にくれました。車椅子席には4人居てサインは3枚。そう1人貰えなかったのですその貰えなかった人がわ・た・しです。困った顔でオロオロしている横山くんが面白かったです(笑)でもその代わり握手してくれました。横山くん今私にサインくれたっていいのよ・・・?

 

当たり前ですが他メンバーも優しいしファンサめっちゃしてくれますからね!あと障害者贔屓とかではなくただ横山裕という優しすぎる人間が居ることを知ってほしいだけなんです・・・。だからあまり屈折せず受け止めて下さるとありがたいです。あと今回のコンサートで安田君を間近で見たのですがわたし鏡を歌ってた2007年から18年も経ってるのにまだ全然かわいいの何・・・?村上信五も全然老けないの何・・・?

5か月以上にも及んだ長い入院生活もとうとう終わりです。

 

退院当日、薬剤師さんから薬の説明がありました。入院中もちゃんと薬の管理ができていたので特に注意などもなくすぐ終わりました。そして最後に先生からのお話でした。入院中も退院後に気を付けることは何回か言われていました。手術した病院によって注意されることは色々と違うと思うのでここでは詳しく明記しませんがめっちゃ大雑把に言うと「感染に気を付けろ!」ってことです。特に術後1年は感染に気を付けないといけません。

 

また体力がここから増えるか減るかは自分次第だと言われました。なので退院してからも意識して歩いたり運動しないと結局は移植前みたいに体力がない状態に戻ります。

 

最後の挨拶

前日や数日前にわざわざ私の居る病室に来て個別に挨拶してくれた看護師さんも居てなんか泣きそうになりました。そして軽くナースステーションに最後の挨拶をしました。そしたら忙しいのにたくさんの看護師さん達が見送ってくれ「よくこんなに元気になって・・・!」「頑張ったねっ」と言ってくれました。・・・少し泣いちゃいました。本当に医療従事者の皆様にはいくら感謝してもしきれません。私がここまで頑張ってこれたのは医療従事者の皆様が私なんかに全力で優しくしてくれたからです。それが業務の一環だとしても嬉しいことには変わりないです。

 

そして念願の・・・自宅だぁああああああああああ!!こっちの自宅だから北海道の本拠地じゃないけど。それでも5か月ぶりにシャバに出られました。従妹に車で迎えに来てもらったのですが車から見える情報が多すぎて頭の中で渋滞をおこしそうでした。ただ退院したとは言えまだまだ体力がなくめっちゃ疲れました。在宅酸素は母があらかじめ業者の人に頼んで撤去してもらっていました。・・・そうか、もう酸素も皮下注射もないのか。少し広くなった部屋を見て感傷に浸っていました。

 

この日は従妹がたくさんの料理を作って退院祝いをしてくれました。外のご飯おいしい。

 

終わりに。

まずはこんなに長いシリーズを読んでいただき本当にありがとうございました。皆様からのいいねが凄く励みになり最後まで完走することができました。きっと誰かの役に立つと信じて後は自分の記録としても書いてよかったなぁと思いました。たくさん苦しい思いもしたのに今になって思い返すと忘れかけていることがいっぱいあるなぁと。

 

水が飲みたくてでも飲めなくて蛇口からポタポタ水が垂れる音の幻聴が聞こえたり、呼吸器に痰がたまったが自力で吐き出せず吸引をして苦しかったこと、絶食中に何回も食べ物の夢を見るけど何も食べれなかったこと、夜中に寝れなくて不安でずっと好きな曲を聴きながら静かに泣いたこと、治療してもしても先が見えなくて生きる気力を失っていたこと、移植前より術後の方が歩けなくてリハビリ中泣いたこと、「歩けるようになるかなぁ」って毎回理学療法士さんに聞いてたこと。自分より後に移植した人達の方が元気に歩いて退院していったのが悔しくて仕方なかったこと、逆に同じ時期に移植したのに亡くなった人が居たこと。看護師さんの「○○さん家族が来るまで頑張って!!」って声が聞こえてきて家族が到着して程なくして泣き叫ぶ声が聞こえてきて私も泣いたこと。

 

こういうのが無限にあって、どう心の中で整理すればいいのかわからないまま自分の中にだけしまわれていました。でもブログとして書くことであらためて自分の中で気持ちを整理できてよかったです。

 

人間何かが欠落しててもいいじゃない。

昔から自分は何かが欠落していると自覚しています。思春期から色々と拗らせていたり・・・それにプラス昔から病気が重く不安や悩みが尽きず心が弱いです。移植して元気になったら自分に自信をもてるようになって性格とかも変わるかな?と思っていましたが相変わらず「5億円ほしい。働きたくない」って思ってるし人間そんなに簡単には変わりません。

 

でも何かが欠けている人間を愛おしくも思います。初めて太宰治やゴッホの生涯を知った時「なんて不器用で愛おしい人なんだろう。」と衝撃的だったのと同時に凄く親近感を覚えました。私みたいな生き方は決して褒められたものではないと思います。でも私はこれからも私として生きていかないといけない・・・でもそれでいいんだと思うきっと。同じような人間の気持ちが分かる部分もあると思うしこの世界に生きている以上人間何かが欠落していてもいいじゃない。

 

そして移植して割と元気になった私ですがこのままハッピーエンドで終わるわけもなくむしろここからが本当の人生の始まりだと思っています。そして移植をしたことによるメリットデメリット色々あります。そして飲む薬がガラッと変わったことによる副作用などもめちゃくちゃあります。免疫抑制剤やステロイドを飲むということはそういうことなんです。

 

次回から番外編として入院中役立ったものとか書いていきたいなぁ。あと移植についてもっとディープな話もしていきたいです。ただ次回からはかなり不定期更新になりそうです。今までもそうですが・・・まだまだ続くんじゃ人生と同じでな!!

 

ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。

寝て食ってを2ヵ月繰り返して土日以外は毎日2回のリハビリ。空いた時間は歩数稼ぎ。そんな日々を繰り返していたらだんだんと体力がついてきました。そして幸いなことに大部屋に移動してからは大きく体調を崩すことは1度もありませんでした。

 

6分間歩行

1ヶ月ほど経つと無事に歩行車も必要なくなり自分の足で歩けるようになりました。自分の足だけで歩けるようになって少ししたら6分間歩行のテストがありました。手術前は1分ぐらいしか歩けませんでした今回は・・・6分間完走しました。もちろん歩くの遅いし距離もたいしたことありません。一般の健常者にとってはゴミみたいな時間だし距離なんだろうけど私は人生で1度も6分間歩き続けれたことありません。この事実に泣きました。私にとっては大きな一歩だったんです。

 

地獄の階段デビュー

階段の上り下りができるようになったら退院していいよ。って先生から言われてよっしゃーー!!となっていたのですが何回もお話している通り私は物心ついたころから肺高血圧症を発症しており約30年ほど車椅子でした。なので階段を使ったことが一桁いけばいいほうなんじゃないでしょうか・・・。

 

最初はリハビリ室にある5段ぐらいを繰り返し上ったり下ったりしていただけだったので楽勝だったのですが最終的に連れていかれたのは職員さんが使用するようなクソ長い階段でした。いやいやいや。無理に決まっているだろ。そして案の定ゼーハーゼーハー・・・。階段でへたり込んでしまいましたなんですかこれ地獄へのランウェイ??他のお医者さんとか看護師さんが「おっ、やってるねぇ」って行きつけの居酒屋みたいなこと言ってきましたがずっと「助けろや」って心の中で思っていました。残念ながら退院して1年以上経った今でもササーッと階段を使うことはできません。上がるのは大丈夫なんですけど下りが1段1段じゃないと未だに下れません。これは自主練するしかないんでしょうね。なので今でも体力に余裕がある時はエスカレーターも使わずに頑張って階段使ってますびっくりマーク

 

退院に向けて

大部屋に移ってほどなくして薬を自分で配薬して自分で時間通りに飲む。ということをしました。ただ私は手術前から肺高血圧症の薬を自分で配薬して飲んでいたので正直移植してからの方が薬が大分減ったので逆に楽でした。だって皮下注射もトレプロストもやっていたんだからちょっとやそっとの事じゃ音を上げない自信があります。

 

あと「退院にむけて。」というしおりも看護師さんと数回読み合わせをしました。これについてはまた後日別の記事で書こうと思います。

 

また体力がついたことにより看護師さんの監視なく自分で毎日シャワーを浴びれるようになりました。いやーーこれが本当に幸せ。私、ずっと臭くないっっっ!!大部屋に移ってからは病衣の契約を解除して自分のパジャマを着ました。そしてその服をコインランドリーまで持っていって洗濯して病室で干していました。乾燥機使うお金がもったいなかったし訓練にもなるかと思って・・・。後単純に病院は乾燥しているので何かを干しておきたかったです。

 

体力がついて動けるようになり食事制限がなくなると病院食だけだと足りねぇ!!ってことでほぼ毎日病院内のローソンや売店、パン屋さんなどに行って好きな物を食べていました。個室の時は絶食・絶食!!で食事もまともに食べられなかったのにこんな大食いになるとは思いませんでした。病院食もプラスしてお金を払うと選択食という豪華なものになったので幸せでした。ざるそばと天ぷらが出た時があってこれまた絶食時代に食べたくて仕方のなかった物。もちろん病院食だからシナシナ天ぷらだったのですがそれでも美味しすぎて泣きそうでした。あとオムライスが出たりもしてて至れり尽くせりでした。北海道時代に入院していた病院では入院食がマズすぎたので全然期待してなかったのですがおいしかったなぁ。ただ土日と朝食はハズレも多かったです。

 

薬も自己管理、洗濯の練習、シャワーを浴びる練習、そして歩く練習。ここまで5ヶ月かかりました。

次回 祝、退院。

前回は第三地獄が開始したところからでしたね。

 

内視鏡検査

これは個室の時からなんですが咳がずーーーっと酷い咳のし過ぎで吐いたりしていました。なんか原因は手術した繫ぎ目のところに肉芽みたいのができていることらしく内視鏡でとらないといけないみたい。内視鏡はICUの時に気管切開した呼吸器から入れた以来です。いや今は穴ないし絶対に辛いやろ嫌すぎる・・・と鬱になっていたのですが点滴からなんか寝る薬入れられて起きたら終わっている状態だったので楽でした。ただ寝る前に喉にスプレーの麻酔をするんですけど死ぬほど苦いし効いてきたら違和感バリバリでした。あと起きた時に喉が強烈に痛かったです。でもお腹空いていたので軽食で出た塩おにぎりとゆで卵とみそ汁は完食しました。「なんかみそ汁いつもよりおいしいんだけど!」って看護助手さんに言ったら「インスタントだからね!」って言われました。そりゃ減塩してないやつだらうめぇよなぁ!?!?そして夜に微熱がでました。次の日の朝には下がっていたので大丈夫でした。そして咳も大分なくなりました。

 

ちなみに内視鏡検査は数週間後にもう1回やりました。これで全身麻酔は移植手術を入れたら入院中に5回したことになります。いや多くね??

 

歩行器デビュー

ほどなくして点滴もとれ完全に自由の身となりました。そして今までは点滴の棒にしがみついていたのですが無事に歩行器デビューしました。だがこの歩行器扱いにくすぎる・・・。理学療法士さんに「なんか他にないんか!」って聞いたら「他の人も使うからこれで我慢しろ!」てきなことを言われました笑

このピックアップ歩行器から1週間後ぐらいに歩行車にグレードアップしました。この歩行車に変わってからすごく歩きやすくなりました。検査などにも歩行車を使ってなら1人で行っていいという許可も下りたし無事に病院内デビューしました。これで病院内のコンビニに行き放題だぜ!!と喜んでいたのですが全然体力がなくコンビニに行くのも一苦労でした・・・。

アルコー9型歩行器【星光医療器】【歩行器】

 

寝て食って動く

病状も落ち着いてきて毎日寝て食ってリハビリ2回して寝る。という生活を退院まで2ヵ月程していました。1日のスケジュール平日はこんな感じです。

 

・朝起床したら歩いて体重を計りに行く

・8時に朝食

・9時に免疫抑制剤を飲む 先生方の回診

・1日3回 自分でバイタルチェック

・10時~11時のどっかでリハビリ1回目

・検査がある時はどっか時間を見つけで自分で行く

・12時 昼食

・13時~15時のどっかでリハビリ2回目

・リハビリ終わったらシャワー浴びる

・18時に夕食

・食べ終わったら適当に歩いて歩数稼ぐ

・20時~21時の消灯前に旦那に電話。歯磨き。

・21時免疫抑制剤を飲んで寝る

 

いやそこそこ忙しいなぁ!?!?個室の時はどーしたら時間を潰せるのか考えるだけで苦痛でしたが時間がいくらあっても足りない・・・iPadで動画見たりゲームしたりしていたのですが忙しくなってからそんな暇なくなりました。その代わりワイヤレスイヤホンで音楽を聴くことが多くなりました。私は元々手術前からサブスクでSpotifyを契約していたので聞く音楽には困りませんでした。

 

継続は力なり

筋肉や体力がつくには時間がすごくかかる。これも入院してから痛感したことです。私の場合は動けなかった期間が長かったのでなおさらですが動けるようになってすぐ回復!!みたいなことは本当にないです。そして物心ついた時には車椅子で30年間、長距離を歩いたことは人生で一度もありませんでした。なので本当の意味で私の人生のスタートはここからです。皆さんは生まれてから成人になるまでほとんどの人は普通に二足歩行して歩いていると思います。私はまだ自分の足で歩けるようになって2年経っていません。

 

最初の頃は大部屋に移って全然体力がなく徒歩3歩の所に行くだけでもゼーハーして自分が本当に情けなく思いただの努力不足だと自分を責めることもありました。もう無理なのかな?移植しても元気にはなれないものか・・・と思ったりも。でも体力がまぁまぁついた今なら言えます「継続は力なり」これ本当です。歩数を記録し始めた1日目は50歩とかのスタートだったのですが退院日前日にはいつの間にか1万歩達成していました。成人してから痛感したのですが「努力する=継続できる人」だと。私もなのですが人間は意志が弱いので楽な方を選択してしまいます。毎日決まったことを継続してやるのは本当に大変です。そして努力が実った!!って実感できるまで意外と長いんですよね・・・。ですが塵も積もればなんとやらで体力は少しずつ増えてきました。最初はトイレ行って手を洗ってベッドに戻ると全然ゼーハーしてなくて次は1階にあるコンビニでアイス買って外来の椅子に座って食べ終わったら病室に帰ってもゼーハーしなくなって。1週間経つごとにできることが増えている・・・!!

 

次回、地獄の階段デビューと退院に向けて!!

前回は個室から大部屋に移動になったところでしたね。

 

ウォシュレットって神

大部屋(4人部屋)に移ってからドレーンの機械ともおさらばしたため点滴の棒を持ってヨロヨロと徒歩3歩のところにあるトイレまで自分の足でいけるようになりました。・・・おいおい、便座があったかいぜびっくりびっくりマークびっくりマークそうです。ずっとポータブルトイレを使っていたので温かい便座に座ったのは手術前が最後でした。そして何よりもウォシュレットって神だわ。いやーー普通の何の変哲もないトイレなんですけど本当に感動しました。この感動はもう一生味わえないだろうな。なのでこの入院を機に「当たり前の生活。」に常に感謝するようになりました。なんかスピリチュアルな変な人だと思われそうですが色々な体験を経ての今です。

 

ですが今までトイレまで歩く→トイレする→手を洗う→自分のベッドに戻る。という簡単な一連作業も全然できなかったので毎回トイレに行くたびにゼーハーゼーハー。これもリハビリだと自分に言い聞かせてましたが辛すぎる・・・。ですがトイレが終わった後、手を洗える幸せには勝てません。

 

リハビリ室デビュー

今までリハビリといえば病棟内を歩いたり病室で動いたりしていたんですがとうとうリハビリ室デビューをしました。なんか急によし、リハビリ室行くか!」って理学療法士さんに言われ車椅子に乗せられ連れていかれました

リハビリ室は最上階にあり景色がすごくよかったのが印象的です。そして隣をみるとおじいさんがスクワットしたり激しく立ったり座ったり階段をダーーーッと上がったり下ったりしていました。おいおい、私は未だに立って座るだけで精一杯なのにこのじいさんオリンピック選手かよ・・・永遠に勝てる気がしねぇ。と思いました。理学療法士さんに「なんだよあのスーパーじいさん」って聞いたら「あーいう動ける人は健康診断とかで引っかかった人だから検査入院したらすぐ退院していくよ。後は普段から体を動かしている人。」と言われ納得しました。たまにスポーツクラブに毎日仕事のように通っている人居るもんね

 

飯を食え!!

栄養士さんに「摂取カロリーが足りていない」と言われいやいやご飯食べ始めて数日目なんですがどないしろと。毎食「メイバランス」という濃ゆいジュースを飲まされていました。なんと1つで200キロカロリー。最初のころはうめぇうめぇとゴクゴク飲んでいたのですが数週間経つと「顔も見たくない。」となり食事に出ても完全に無視状態。

病院食も結構食べれるようになってきたのにそれでもカロリーが足りない・・・そうなると間食をしなくては。でもまだ売店にひとりで行けないしなぁ。って思っていたら土日以外は1日に1回ローソンの人たちが移動販売をしに病室に来てくれていました。そーいや個室の時「元気になったらアーモンドチョコ死ぬほど食べてやる」って考えていたのでアーモンドチョコとプリッツを買いました。移動販売のカートの中には食べ物、飲み物以外に電池とか洗剤、おむつなんかもあり「さすがだなぁ。」と感心しました。患者の中には私みたいにまだ病棟内しか移動を許可されていない人が結構いたので意外にも移動販売は毎回大盛況でした。

そしてお値段もローソンに売っている値段と変わらず。上乗せされているとかなかったです。しかもコード決済できたし。時代は進んでいる・・・。アーモンドチョコはミシュランレストランで食べたステーキよりうまかったです。

 

風呂キャンセル界隈卒業

そしてとうとう風呂キャンセル界隈からの卒業です。風呂キャンセルってか私の場合はシャワーすら3か月間浴びれてなかった訳ですが。一番最初のシャワーは看護師さんに見守られながらでした。車椅子から浴室まで歩くのがかなり辛くて看護師さんに支えられながらでした・・・あと浴室の椅子から中々立てなくてこれまた支えてもらっていました。そして何より手術した傷跡がつっぱった感じと重怠くとても歩きづらかったです。一発目シャワーを体に浴びたとき「うわっ、あっつ!!」ってなりました。めちゃめちゃ温度低く設定していたのに・・・。体がシャワーという感覚を忘れていたのだ。ただ徐々にお湯の温度に慣れていき「あぁ、体にお湯をバシャバシャ浴びるってこんなに気持ちいいんだ」ってまた泣きそうになりました。昔読んだホームレス中学生という本のあとがきに「僕は、お湯に感動できる幸せのハードルの低い人生を愛しています。」 という一文があるのですがこの意味を私は本当に今理解したと思ってます。

 

もう上がった後はこの世のものとは思えないほどサッパリ。風呂上がりの私は橋本環奈もビックリの絶世の美人やろ。ってマインドで過ごしていました。

 

第三地獄 スパルタ開始

毎回看護助手さんに連れられてだけどリハビリ室に行けるようになったし車椅子の乗り降りもスムーズになってきた。この調子で頑張れば・・・そう思った矢先明日から午前と午後両方リハビリあるから!!」と言われ一生懸命走ってやっとゴールが見えてきた!!と息巻いていたら途中で100メートルぐらいの壁を越えなきゃいけないと知ったときぐらいの絶望感がありました。

 

個室から大部屋になったらスパルタになるよ。とずっと宣言されていたのですが急すぎないですか??こっちは徒歩3歩のところにあるトイレに行くのもまだゼーゼーしてるレベルやぞ!!って感じです。そしてスマホに万歩計のアプリを入れて毎日歩数をチェックして今日は昨日よりも多く歩け。とお達しがありました。・・・わしに死ねと申すか!!!

 

ただ前回の地獄と違うところは「先が見えていて目標がしっかりあり達成できそう。」という点でした。ここからは体力的にしんどいことは多々あっても気持ちが沈んだり病むことはなくなりました。第二地獄までは先が見えず個室で一人泣いた日もたくさんありました。ただ私が生きていくうえで一番大事にしていることがあって「自分の機嫌は自分でとる」ということです。なのでどんなに泣いても看護師さんや先生の前では割とケロッとしているよう心がけていました。理学療法士さんの前では1回泣いちゃったけど・・・。毎日夜になると旦那にテレビ電話していたのですがここら辺で旦那に「最近○○と話していると楽しい!」と言ってもらえるようになりました。・・・そうだね毎日泣き言いってたもんね。先が見えなくて苦しいって何回も旦那には言ってました。でも看病する家族がいる方はお願いですので億劫だと思っても聞き飽きたと思っても弱音を聞いてあげてください。「まだ頑張れる」という魔法は1か月たらずで効き目がなくなります。魔法が切れたら人間は生きる気力がなくなります。その魔法の効力がきれても生きていけるのは支えてくれる人が居るからです。なので私からのお願いです。

 

次回、歩行器と病院内デビュー!!