そして次の日。なんか朝めっちゃ寒かった記憶がある。あと下剤を飲んでたからお腹が痛かった・・・。窓の外を眺め「これが最後に見る景色かもしれないからしっかり目に焼き付けておかないと。」って考えながら外を見てました。あっ、ちなみに個室に寝泊まりしました。そして午前9時から手術開始。母親と親戚とテレビ電話してる彼に見守られながら車椅子で手術室に入りました。

 

手術室にはたっっくさんの看護師さんや先生が居ました。土日なのにすまねぇ・・・。くっそ横幅が狭くて固いベットに寝て点滴を繋がれ「マスクかけますからねー。」と言われ酸素マスクをかけられた。「麻酔はいっていきますよー。」って言われ「後はよろしくお願いします。」と言ったところで私の意識は途切れた・・・そしてここから1週間ほど意識朦朧人間となります。

 

手術時間についてなのですが私はちょっと特殊な例だったので手術時間を言ってしまうと色々と特定される可能性があるのでハッキリとは記載しませんが15時間以上でした。

 

意識朦朧のなか見た夢

術後当たり前ですがICUにぶち込まれます。ICUに入院した方ってほとんど居ないと思うので想像しずらいと思いますが一般病棟と全然環境が違います。どう違うのか本当に説明しづらいのですが「とにかく過酷」です。なので「せん妄」といって幻覚が見えたり場所や時間が分からなくなったり意味不明な言動したりと普段と違う行動をとることがあります。また鎮痛、鎮静には医療用麻薬を使ってたりするのでそれらの影響もあると思います。そんな中見た夢をいくつか紹介。

 

・正確にはずーっと意識がない訳ではなくお母さんと叔母さんが面会に来ているのは分かったり、看護師さんに名前を呼ばれていたり記憶がハッキリしているところはある。

 

・ビーチだかコテージだかとにかく海があった。可愛いチャンネー達がたくさん居る中にいる。もう既に意味不明だと思いますが皆さんついてきてください。そのビーチではマスカットスカッシュが有名みたいでチャンネー達が飲んでいました。私も飲みたいなぁーと思いつつ飲めずにいました。多分、意識朦朧としている中、飲水などができなかったので本能的に体が飲み物を欲しがっていたんでしょうね。ただ世代を感じて悲しかったのはビーチで流れていた曲はオレンジレンジばかりで最近の流行りの曲なんて流れやしない・・・私の中の陽キャの曲はオレンジレンジで止まってるんや。

 

・なんかハリーポッターの夢。入院する数日前まで映画を見ていた影響かと思われる。※不死鳥の騎士団までしか見ていません※空を飛んだり跳ねたりしてて割と楽しい夢だった気がする。ただ後から知ったが空を飛ぶ夢を見る人は精神年齢が低いらしい・・・まぁ自覚あるのでいいです真顔ガーン

 

このような意味不明な夢を四六時中みていたのですが先生いわく暴れたり変なことは一切おこしていなかったようで安心しました。

 

次回、わい電気ショックで起こされるの巻。

 

 

ここから先は読まなくていいような追加情報。

 

・入院中好きなものが飲めるようになってからマスカットスカッシュを飲みました!あの三ツ矢から出ているのでみんなも飲んでみてね。意外とおいしいです。

・お母さんと叔母さんが面会に来ている時、血圧が上がってモニターが反応していたので確実に会いに来ていることは分かっていました。

 

・多分点滴のルートをとっていたんでしょうがなぜかお花をつけられていると思ってました。ハワイとかでやるフラダンスの時につけるようなこんな感じのお花。

・必要なものとか私があってよかった物は後でまとめて書きますのでしばしお待ちを・・・。

皆様いかがお過ごしでしょうか。2年以上も更新せずに何をしていたんだって感じですが生きております。アメブロを始めたきっかけでもある肺移植手術について今回からダラダラ書こうと思います。かなり長いシリーズになると思いますのでお暇があれば読んで下さい。

 

※個人差はありますので参考程度にお願いします。※

 

ざっくりとした流れはこんな感じです。

・手術終了→ICU(第一地獄)

・ICU→一般個室(第二の地獄)→4人部屋(第三の地獄)

そして祝お祝いケーキ 退院

 

ハッキリと言います。肺移植手術死ぬほど辛いです。

私は割と辛い痛い治療をたくさんやったし入院も慣れている部類だと思います。それでも心折れそうになったことが10回じゃきかないレベルです。そして入院中ずーーーっと地獄です。ただし、手術をうけて後悔したことは一度もありません。

 

現在北海道では肺移植手術ができないため私は移植手術ができる病院のある県に引っ越して一人暮らしをしていました。引っ越して1年が経ちましたがまだ呼ばれず・・・ってことで3週間ほど北海道に帰っていました。お土産をたくさん買ってルンルン気分で車に戻ろうとした時に着信が。「〇〇大学病院」とスマホの画面に表示された。

 

出ると先生から「ドナーがあらわれました。あなたが候補の一番です。」と言われ私は移植の意思があることすぐそっちに帰ります!と伝えた。正式な決定は明日また電話をくれるとのことでした。なんとも言い表せれない感情を胸に帰りましたがそこで車の鍵がないことに気が付くのはまた別の話・・・。結局は車に刺しっぱなしというオチでしたトホホ・・・えーん

 

次の日のお昼ごろに正式に手術決定の電話がきました。明日の10時に病院に来て下さいと。夕方の飛行機で帰りました。その飛行機がプロペラ機の小型のやつでめっちゃ揺れて少し怖かったのを覚えている。

 

そして9時30分頃に病院に到着。地方に居る人は病院に来るまでに移動時間がかかるから着く頃にはグッタリしている人が多いって話には聞いてたからわざわざ引っ越しまでしたのに里帰りしてる時にお呼びがかかるとは・・・真顔結局ぐったり。そして先生から手術についての説明と同意書の記入。説明を聞いているとき不思議と恐怖とかはなくて落ち着いて聞いてた。多分手術前にやりたいことや、しておきたいことを大体やったからだと思う。

 

看護師さんからICUで必要なものの説明、シャワーを浴びて下剤、睡眠剤を飲んでその日は早めに寝た気がする。そしてここから壮絶な闘病生活の幕開けだと私は予想していなかった・・・ガーン泣

 

 

ここから先は読まなくていいような追加情報。

 

・ドナーが出ましたって電話は過去に3回あり3回目で第一候補になり手術決定しました。

 

・コロナ禍で手術自体がストップしていたこともあり待機期間は私は長い部類で4~5年待ちました。日本人に少ないB型だったのと両肺移植だったなど理由は色々・・・でも今はもっと早いんじゃないかな。

 

・1回目のドナーが出ましたって電話きた時、高速道路を走ってる時に電話きて慌てて高速の路肩に停めて電話を受け取ったのですが秒で警察がきて更に焦った思い出が・・・。説明するのも面倒だったので「病院から電話が来た」って言ったら高速から降りて電話をうけとれ。って軽く注意されただけで終わったので良かった泣き笑い泣点数ひかれるようだったら1から説明したけど。

あまり治療のことで凹むことはないのですが今日は珍しく泣くほど辛い日でした。

 

私は今、24時間の皮下注射の治療を何年も続けているんですけどそのせいでお腹の皮膚はボロボロでそれだけならいいんですけど皮膚が硬結して皮下に塊が多数できてしまっている状態です。そんな状態が数年続き騙し騙しやっていたんですけどもう目を瞑っていられない状態。

 

足に一時的に刺したりしていたんですけどそれだけじゃ肌を休ませる期間が少なすぎるのか皮下の塊がなくなることはありませんでした。肌の表面だけは割と綺麗になるんですけどね・・・。

 

原因は自分が一番分かっています。どーしても留置した針を長持ちさせたくて1週間~2週間も針を外さなかったから。私は他の患者さんと違って1か月ももたない。2週間もてばいい方なんですけど2週間は私には長すぎる・・・皮膚が固くなっても外さなかった。もう一つはトレプロストの皮下注射治療をしていたら絶対に逃れない痛み。私は日中仕事をしていてお腹の痛みのせいで集中できない日が多々ある。それが嫌で留置した針を長持ちさせて痛みから逃げたかった。痛み止めを飲んでも無理な痛さ。

 

それじゃダメだってずーっと分かっていたのに私の意思の弱さがでてしまっていた。

これからは3日~4日ぐらいで針を交換しなければならない。長く留置させてしまうと皮下の下に塊ができてしまう。それができる前に針の交換をしなければならない。3日~4日よりもっと短いかも。

 

そして刺したくなかった横腹や足にも積極的に刺さなければならない。そこしか健康な箇所が残っていない。それが嫌で嫌で仕方なかった。横腹や足は痛みが強く出るし好きな体勢で寝られない。

 

たくさん皮膚科の先生にも相談した。色々な科のお医者さんにも相談した。何なら自分で調べてインスリンボールと自分の症状が似てたからその論文だってたくさん読んだ。たくさん調べた。でも答えは1つしかなかった「他の健康な箇所へ刺して塊がなくなるまで待つしかない。」塊はそうそうになくならない。私はそーいう体質だって自分で分かってた。そしたら答えは1つ。悪くなる前に外して他の箇所へ刺す。

 

これからは1年中ずーっと痛みと戦う日々になるんだろうなぁ。

でもたくさん泣いたから大丈夫。きっと前に進めるよ。

自分へのご褒美をいつもより多めにして頑張る。

3日~4日交換でいいことも。いつもより湯船に入れる機会が多くなる。いつもは2週間に1回とかだったから。

 

たくさん泣いたそんな1日でした。さて、そろそろ針交換しなきゃ・・・。

打ってた文字が全部消えて萎え萎え・・・。仕方ないので思い出しながらもう1回書きますえーん

 

本当に今年の北海道は連年より雪が多く地獄のような日々を送っていました・・・。私は性格的に思い立ったらすぐ行動したい派なので雪のせいで行動を制限される生活が本当に苦痛でした・・・えーん泣ただでさえ毎年冬は外に出れない日が多いのに・・・。

 

そんな私ですが珍しくドラマを一気見しました。それも韓国ドラマをです。

題名は麗<レイ>〜花萌ゆる8人の皇子たち〜です。初見の時は題名を聞いた時に「ファーーーー泣き笑いwww」って笑ってしまった。

 

きっかけはtiktokでこのドラマの紹介をしていた方が居たので。普段はドラマなんて興味ないから飛ばしてたんですけどなぜかイ・ジュンギ演じる第4皇子から目が離せなかったんや・・・。あらすじなんかは調べればいくらでも出てくるので私の拙い文章よりはそっちを見ていただくのがいいかと。

ちなみに「中二病」って呼んでます。

 

イ・ジュンギさんのこと初めて知ったのですが凄く人気のある方なんですね。しかも今39歳って嘘やろ!?このドラマやってたの2016年なんだけどその時から何も変わってないぞ。韓流俳優さんを推している方々って何をして推すのが定石なんですかね?全然分からない界隈なので気になる・・・。

 

韓国ドラマはU-NEXT一強すぎる。月額高いので諦めてたらゲオの宅配レンタルが旧作1枚55円だったので借りてしまった。ゲオの宅配レンタルについては昔に書いた記事があった気がする。ただ今の方が色々と値上がりしちゃったけど・・・。

ちなみに8人の皇子の内、3人が最後まで区別がつかなかった・・・そんなちゃらんぽらんな私ですが最後まで楽しめましたよ。このドラマ、全員が幸せな形で終わらないので見るのに体力が居る・・・。私の推し第8皇子も最初はいい人だったのになぁぁああ。

 
良かった点
・ベタベタな設定だが最後まで嫌悪感なく見れた。
・主人公の周りがいい人たちばかりなので安心。
・当たり前だが全員演技がバチボコにうまい。字幕と吹き替え両方見てね。
・第8皇子が神。完全に推し。しかも嫁さんまでいい人。

 

凝視はてなマークと思った点

・主人公含め周りの人たちの行動にイライラすることがある

でも周りがいい人達ばかりだから大体はカバーしてくれるよ。

・前半から後半の落差がエグい。鬱。

・イ・ジュンギの青髭が最後まで気になった。

私も医療脱毛やってたけど痛いから仕方ないよね。

・第8皇子が・・・わいの推しが・・・えーん泣

 

中国のドラマのリメイクらしいのでそっちも見ようと思ったのですが・・・

べんぱつって!!

ラーメンマンかよ!?!?8人の皇子全員ラーメンマン!でも見続けてたらきっと気にならなくなってくるんだろうねー。しかも中国版は第2シーズンまでやってて第2シーズンは「輪廻の恋」っていうタイトルだから転生ものっぽーーい。韓国版は今のところ続編は出てません。出ている俳優さんたちがみんな人気になっちゃったから作るの難しいんだって。クラウドファンディングでもなんでもやって続編作ってくれないかなぁ・・・にっこり笑

 

気になる方はYOUTUBEに1話だけあるから見てみてねー。ぜひ画像とかだけで最初はうわっ。となるかもしれないけどめーーーっちゃ面白いからっっ。

 

まさかの東京に行く前日に今季最大の寒波。ふっっっざけんなぁああああああムキーびっくりマークあと数日ぐらい待ってくれたっていいだろびっくりマークびっくりマーク推しの最後見れないなんて死んでも死に切れん!!次の日、朝4時起きとかだったんですけど天候が心配で全然寝れなかった・・・。ですが無事に雪で欠航にならず東京行けましたにっこり空港に行くまでの高速道路の運転怖すぎた凝視泣ホワイトアウトで前が見えませんでした。本当に事故らずに帰ってこれて良かった。そして推しの卒業ライブ無事に大阪・東京ともに見れました。ここから死ぬほど長~~い自分語り、推し語りになるのでお時間のある方のみ読んでいただけたらと思います。

 

推しのアルスマグナを知ってから行ける現場はなるべく行った。地元でのライブは必ず行ったしリリイベも握手会も行った。私は接触が苦手だから握手会には参加しなかったけど・・・赤ちゃん泣きガーン遠征も数回ぐらいしか行ってないけど北海道に住んでてかつ車椅子なのに数回行っただけでも万々歳だと思う・・・えーん泣2018年の秋以降ツアーをやっていなくてその頃から移植の話があったり7年間付き合った彼氏と別れて絶望したりと心身ともにリアルが凄く大変だった。とても遠征に行けるような状況じゃなくてアルスからも離れていった。だがコロナ禍での唯一メリットだろうか有料のライブ配信をしてくれてまたアルスを見れて凄く嬉しかった。そんな中でのオリジナルメンバーの卒業。私が推している2人はオリジナルメンバーなのだ。ってことは2021年12月31日に私の推しが居なくなってしまう。

 

ネットラジオ「ノギツR」で坂本さんで言ってたことを抜粋すると「アルスマグナという偶像をファンのみんなと中の人たちで追いかけてきた」って表現がまさにアルスマグナをあらわしているな。と思いました。その偶像を追いかけるのが本当に楽しかった。アルスマグナってかなり特殊なグループなんで・・・。

 

・地獄の治療の中で見つけた癒し

前の記事でも書いたのですが私がアルスを好きになった時期ぐらいから本当に治療が人生で1番辛いときでした。カテーテルを何回も何回もして。私の場合手首からと首から両方からするので本当に地獄です。手首の麻酔って死ぬほど痛いんだぜ・・・絶望はてなマークそして首から管を機械と繋がられ何日も病室に監禁。トイレも行けなかったなぁ・・・。しかもその病室ICUみたいな感じで男女ともに部屋が一緒でジジイのうわ言で全然寝れなかった・・・。その後にヒックマンカテーテルを入れる手術をしてトレプロストを開始。そこから血液感染。何回も血液感染をした。40度近い熱が出た。菌を殺すために抗生剤の点滴をしたが私は点滴が本当に入らない。10回は失敗された。入ったと思っても長持ちしなくてすぐ腫れたり漏れたりした。未だにその点滴の跡は消えてない。それから皮下注射になったけどこれまたずーっと今でも続いてる痛い治療。肌もボロボロ。何回泣いて絶望しても彼らに会えると思ったら頑張れた。

 

点滴してたら病室でできることなんてそんなにない訳ですよ。しかも両方の手の甲に点滴してましたからね昇天笑そんな時にニコニコ動画で見つけたのがアルスマグナでした。最初は「うっわ、なんだこのトンチキ集団」って思ってましたがあら不思議。動画を見れば見るほどハマっている自分が居た。めちゃめちゃダンスがうまい。私が好きな動画を何個か貼りますね。昨今ダンスの技術だけが上手い人は最近増えてきているけど、アルスのように雰囲気や人から出るオーラのようなものまで含めた「表現」まで伴う人となるとかなり少なくなる。

↑私の推し2人

病室の壁に写真貼って点滴の針さしてる時とかにその写真見て頑張ってたなぁ・・・。

 

・大げさだけど「生きる意味を与えてくれた」

大げさだって言われるかもしれないんですけど推しの存在が私に生きる意味を与えてくれました。今までの私だったら遠征だって絶対に行くような性格じゃなかった。家に引きこもってずーっと自分の病気への不平不満を言い続けてたと思う。推しがいたから今まで辛い治療を頑張ってこれた。もちろん他にも応援している人達は居るけどこんなに心を動かされる人に出会えるかって言われたらもう出会えないと思う。こんな私にたくさんの景色を見せてくれた。

 

・ラスライ2つ行った感想

まずは大阪。「あぁーあとこれを入れて2回でライブおしまいかぁ。」と思って寂しかったのですが東京に比べまだまだ大丈夫でした。大好きな曲ばかりやってくれて嬉しかったです。そしてこんなに楽しいライブ何年振りだっただろう・・・。

 

私は↑で貼った動画LUVORATORRRRRY!が本当に大好きなんです。曲のイントロが流れた瞬間ペンライトを振る手が止まりジーッとステージで踊る推し2人を見て泣いてました。それからは涙腺がぶっ壊れて要所要所で泣いてました。でもライブが終わってからは「あぁー北海道から来たけど大阪もそこそこ寒いなぁ」なんて冷静に思いながらホテルに帰った。

 

そして本当のラスト東京。全然寝てなかったけどアドレナリンが出ているからか不思議と眠くなかった。会場が豊洲PITって場所だったんですけど海が近いからまぁーーー寒い。ダウン+下は2枚はいて、手袋、耳当て、ひざ掛けという北海道から来た恰好のままだったけど死ぬほど寒かった。しかも待機場所が外にしかないから開場時間までの1時間地獄だった・・・やっぱり車椅子だと他の人より寒さに弱いよなぁ。会場に入ってからは室内ってこともあって寒くはなかった。でも上着脱げるような温度でもなかった真顔スター

 

東京は大阪の時より席がよくてテンションアップアップただコロナの影響で全員着席してたから会場2か所とも見やすかったです。ペンライトを振るのに集中するよりなるべく推し2人の姿をこの目に焼き付けようって思った。そして始まったラストライブ。もうどこから泣いてたか分からないぐらいずーっと泣いてた。涙で目の前が霞むけど最後の最後までこの目に焼き付けたいから目をガッと見開いて見てた。「あぁ、最後まで私の推し2人は世界一最高だ」って何回も心の中で叫んだ。ラストぐらい会場みんなの声聞かせてあげたかった。本当にコロナ禍で発声禁止なのが憎い。

 

最後のあいさつで「出会ってくれて好きになってくれてありがとう。」「来世もこのメンバーで踊ってたい」って言葉を聞いて過呼吸になるぐらい泣いた。何より本人たちが「俺たちは間違ってなかった。楽しかった」って言ってくれて本当に嬉しかった。あぁー・・・書いてて泣けてきた笑

 

そして人生で初めてファンレターを出しました。会場にレターボックス設置されてたので。車椅子の場合一番最初に会場に入れるからレターボックスに一番最初に手紙入れれて嬉しかったなぁお願い花読んでくれてればいいんですが・・・よだれ

本当にラスラス倍率高かったんですけど2つとも現地で見れて良かった。オリジナルメンバーが居なくなった後もアルスマグナを応援する気はもちろんあります!でもその前に私は大きな手術が待っている。その手術が終わって元気だったらまた遠征して楽しめたらなと思います。私も頑張る決心がつきました。これで前に進める気がする。悔いはないよ。

 

この約7年間本当に、本当に幸せでした。推しのこれからに幸あれ!大好きな貴方の未来がずっと笑顔でつつまれますように。宝物のような日々をありがとう。