マルトを産んでもう5年です。毎年、この日がくると時が経つのは早いなあと思うけど、今回は生きていたら5歳か。と想像してみました。

 

そうすると5歳はとっても大きいなって思いました。

 

5歳のハナはもう日本にいて、ハナが5歳になった8日後にウタオが産まれたんだから。

 

5歳のハナはもう立派なお姉ちゃんでした。2歳の時にマルトのお姉ちゃんになった時はまだハナも赤ちゃんみたいなものだったけれど、5歳のハナは赤ちゃん返りがはっきりとわかるくらいの立派なお姉さんでした。

 

今年は珍しくダイちゃんも日本にいます。明日からアメリカだけれども。

 

ダイちゃんとおとといくらいに、早いもんだね。と話をしました。

ハナとウタオをますます大事にしなくっちゃね。ムーミンたちもお互いをますます大事にしなくっちゃね。と。

 

人生何が一番大事かって、家族が一番大事だって教えてくれたのがマルトです。

 

マルトが産まれてから、ムーミンを取り巻く環境も、ムーミンが自分のために下した決断も、価値観もまるっきり変わりました。

 

それはもう、当初は時々ムーミン自身が戸惑うくらいの変わりようでした。

 

だけど、ムーミンの人生、それが自分の一番の学びなんだと、今まで生きてきた中で一番鋭角に心の一番深いところにぐっと飛び込んできた感覚だったから、それは無視してはいけない感覚なんだと思ったのを今もはっきり覚えています。

 

マルトが5歳になって。

 

ハナは7歳、ウタオは2歳。

 

3人のお母さんになって、2人を育てている毎日はとても満ち足りています。

ハナとウタオの日々の成長をそばで感じながら、毎日同じ家事をこなし、家族みんなが喜んで食べてくれそうなごはんを考えてつくり、ウタオとふたりでちょっとだらけたお昼を食べて。午後はハナとウタオとたわむれて、毎日同じ時間にお風呂に入ってご飯を食べて。

2人を寝かしつけた後は私の時間。休日になればダイちゃんも一緒にのんきな時間を過ごし、家族でお出かけもしたり。

 

働いていた頃にこんな生活を想像したらきっと退屈なんじゃないかと感じただろうなと思うくらいのスケジュールだけど、びっくりするくらい毎日小さなたくさんの発見があります。

 

その小さな発見は他の人からみたら取るに足らないことかもしれません。

 

ハナが新しい言葉を覚えたり、ウタオができる動作が増えたり。

玄関の木にいる幼虫のウンチが大きくなったり、花の種が弾けてこぼれる瞬間を見れたことだったり、いつの間にか夜の虫の音が大きくなったことだったり。金木犀の香りが日に日に強く感じられるようになったり。

 

ウタオが小学生になったらきっと今みたいな毎日じゃなくて、こどもたちもムーミンもまた一歩自分のための日々になっていくんだと思うと、かけがえのないこの時間を十分堪能しなくっちゃと改めて思います。

 

今年もこの日にブログを書くのは、思うより書くほうが自分の気持ちをきちんと整理できるからです。

 

マルトが産まれてきたのは、ムーミンたちを幸せにしてくれるためだといつか言ってくれた友達の言葉を何かの拍子にいつも思い出します。マルちゃんはいつもマルッとムーミン達を太陽のように包んでいるんだと言ってくれた友達も。

 

だけど本当に、そうだなって年月がすぎるほどに感じます。

 

ダイちゃんのことを盲目的に信じていられるのも、ハナやウタオのことを毎日たまらなく愛おしいと思うことも、すべてのことに感謝できることも、きっと。

 

マルトが死んでしまったからだと思います。死ぬことはムーミンの日常のすぐ隣を歩いています。それが5年間経ってみて改めて感じるムーミンの死生観であり、同時にマルトがいつもムーミンに寄り添っていると感じることにもつながるのかもしれません。

 

だから、当たり前のことがありがたくて、当たり前を当たり前だって思わないんだと思います。

 

だから、今年もまた5歳になったマルトを少しだけ想像しながらお腹の中で10ヶ月間、確かに生きていたマルトとの思い出と共に、1日1日を大切に生きていこうって思います。