昨日はご心配ありがとうございました
昨日は問題なく過ごせましたが、油断大敵!
ブロ友さんが教えてくれた熱中症予防法。毎日お味噌汁を飲むこと、だそうです。
実践したいと思います。
ありがとう
さてさて、すでに7月ですが、先月の坐禅会のまとめ
6月の坐禅会、お勉強のテーマが「高齢者の役割について考える」という難しいお題だった。
まとめようと思っても、なかなか消化不良なのは自分自身がもう若くは無いからかな(汗)
将来に不安しかない…
人間はなぜ老いても存在するのか…
自然界においては、年をとると生き残れません。
なぜなら弱肉強食の世界では、年をとり、運動能力が衰えたなら、他の動物に襲われてしまうから。
でも、人間は違いますね。
「亀の甲より年の功」ということわざがあるように、年寄りの経験、知恵など年老いても何らかの役割を果たしていますよね。
まさに、シニアが活躍する社会!
ただ、やはり「老い」にはネガティブになりがち。私だけ?
いつまでも若く、健康で長生きしたい。と、思ってしまいます。逆に年老いて病気になり死んでしまうことに恐怖を覚えます。
しかしながら、弘法大師空海は「眼 明らかなれば 道に触れて 皆宝なり」とおっしゃっています。「欲望や我執で心の眼が暗い時に出会うものがすべて災いに感じられ、心の眼が明るければ、見るもの全てが宝に見える」という意味なのだそうです。
ものごとをどう受け止めるか、個々の気持ちのありようによって人生は変わるということなのでしょう。幸せは自分自身が決めるってことなのでしょうね。
方丈さんは「貧者の一灯」を引き合いに出し、お釈迦さまのように、出会う人たちの心に明かりをつけてあげることが高齢者の役割であると説き、締めくくられました。
貧者の一灯は仏教説話で、わずかなものでも真心がこもった物の方がよいということです。
考えされられますね。