一般向けのシンポジウムに行ってきた。

特に目新しい何かがあったわけじゃないけれど、大学時代に教わったN先生が司会を務められ、大学院で同期だったS君が講師の一人だったから。

内容も一般向けとしては悪くなかった。

休憩時間に、S君はロビーで呼び止められ談笑している…
声をかけられず、ウロウロする私はかなり怪しい。

後半が始まった。
内容は片耳で聴く程度。

終了後には声をかけよう。
忘れられていたら、笑ってご挨拶だけしよう。
何も失うモノはないんだから…

全講演が終わると、まっすぐS君の席に向かった。
「あの…」
「ああ!」
振り返った彼はすぐに、思い出してくれたようだった。
忘れられていたら何て言おうと思ってたんだよ…
「忘れていませんよ」
思いの外、丁寧な話し方。
最初の安堵はかすかに揺らぎ、え?え?
私もオトナの話し方でいくべき?
頭の中がぐるぐる回り始める。
これが25年という歳月なのね。

名刺交換。
彼は「ですます」を崩さない。
ある公的機関の主任研究員である彼は、決して私の名前を昔のようには呼ばない。

私の話し方はもう何の統一感もなく、
「ですよねー」とか「そうなの」とか
どっちつかずで、旧交を温める風の会話はできず、
「じゃ、N先生にもご挨拶だけ…」と
すぐ近くに立っていらっしゃるN先生の元へ。

N先生とは実に28年ぶりで、もちろん多数の中の一人だった私は自己紹介した。
??
あ、今思い出した!
「大学の〜期生で、先生の講義を受けておりました」
名前言うの忘れてた↘️

そんなこともありつつ、N先生は懐かしんでくださっていた。
よかった。

実は、本当は28年ぶりじゃない。
いろいろなところでお見かけしていた。
ただ、声をかける勇気がなかった。

肩書きのない何者でもない私
という卑屈な思いが、自分を留めていた。

でも、年を取るとモノの見方が変わってくる。

若い頃は無神経で恥ずかしく感じたオバちゃんたちの言動には、すごく意味があるんだと思う。

人生の半分過ぎちゃったんだから、後悔のないように過ごすには図々しさが必要だ。
躊躇したり、また今度、と思っているとその今度は2度と来ないかもしれない…

だから、年を取ると臆面もなくいろいろなことができるように、人はプログラミングされているんだ、と思うようになった。

今は肩書きのないことを自分のウリにしようと思っている。
フリーランサーという道を選んだのだから、しばらくは自分がやりたいことに没頭しよう。

私も立派なオバちゃんになったもんだ。

S君は最後に言ってくれた。
「なんかあったら連絡して」