先日、大きいスーパーに行ったら売ってたので、思い出して懐かしくて買いました。 メーカーは違うと思うけど、これと同じ物(もちろん日本語は書いてないですが) デパートの食料品売り場で何度も買って食べました。
インスタントラーメンのパスタ版です。
フライパンに袋の中身をザーッと空けて水を加えて5分加熱すれば、パスタ料理の出来上がりというわけです。
味と見た目は・・・ 非常食としたらイケますが、非常時でない時にわざわざ買って食べるような物でも・・・ ないかな、と。
ゴメンナサーイ![]()
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先日、大きいスーパーに行ったら売ってたので、思い出して懐かしくて買いました。 メーカーは違うと思うけど、これと同じ物(もちろん日本語は書いてないですが) デパートの食料品売り場で何度も買って食べました。
インスタントラーメンのパスタ版です。
フライパンに袋の中身をザーッと空けて水を加えて5分加熱すれば、パスタ料理の出来上がりというわけです。
味と見た目は・・・ 非常食としたらイケますが、非常時でない時にわざわざ買って食べるような物でも・・・ ないかな、と。
ゴメンナサーイ![]()
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色々と思いだしてみましたが、これ以上に面白いエピソードというのもみつからないので、とりあえずここでペンを置きます。
今まで読んでくださった方には本当にありがとうございました。![]()
このサイトはブログの印刷サービスがあるのですが、料金を見てちょっと迷っています。![]()
ブログを残しておかないと印刷できないそうなので、しばらくこのままにしておきます。
なお、これからは介護以外の私生活で食べたものなどのことを 別のブログで書いていきますので、もしよかったら覗いてみてください。![]()
http://blog.goo.ne.jp/tokyo-kani/
義父母は “おもいっきりテレビ” を視聴することを毎日の楽しみにしていて、タイミング良く
100%グレープジュースは血液サラサラ効果がある
というような内容の放送があったそうです。
「ぶどうジュース、ひゃくパーセント、スペインにも売ってるでショ? ぶどうジュース。」
これ以来、電話するたびに義父からこのセリフを言われることになりました。
「ハイ。売ってますぅ。」 「売ってましたぁ。 買って飲ませましたからぁ」 と適当に答えていましたが、あんまり嘘もいけないと思って、食料品を買いに行くたびに本気でグレープジュースを探したのですが、これも実にフシギでした。
オレンジジュースもトマトジュースもアップルジュースもあるのに、グレープジュースはどこにもない
缶もビンも紙パック(トロピカーナみたいの)も沢山売ってるのに、グレープジュースはない
季節が違うからでしょうか。 でも果物の所にぶどう売ってました。 マスカットと巨峰のあいのこみたいの。 帰国する前日に一度だけこれを買って食べさせときました。
どうしてグレープジュースって売ってなかったのかは未だわかりません。
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他にもいろいろとあったのですが、ぶどうジュースの件が最たるものでした。
まあそうやって義父母が遠隔操作(?)であれこれ世話をやいてくれたお陰で、千葉県に住んでいる義兄が私たちの留守宅に行って、郵便受けから溢れた郵便物を保管してくれたし、都内に住む叔父夫婦が帰国の出迎えに成田に来てくれて、私も懐かしさに泣くことができたわけです。
帰国してから最初に帰省して義父母に会ったとき、 義父が
「イヤ~~~本当に良かった! わしゃてっきりムー子さんが、白い箱を抱えて飛行機のタラップを降りて来る姿をテレビで見るのかと思ったよ。 なあ母さん」![]()
と おっしゃるじゃありませんか!![]()
なにそれ! 「白い箱」 って、つまり・・・??? おとーさん! テレビの見過ぎ!
いまどき国際線でタラップから降りないし![]()
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それに、 政府の要人じゃああるまいし、 テレビで写すわけないし![]()
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ですよね。
前後してしまいましたが、もちろん私は自分の実家より先に夫の実家に電話しました。 夫が入院した日の夜、日本時間の朝6時ピッタリになるのを待って電話しました。
この時は、まだわけがわからず、夫は 胃がおかしくなったようだ くらいに言ったまま入院させられてしまったばかりの時です。
電話に出た義母は、病院に行く前の夫の症状を聞いて
「シンゾウやねぇ。 シンキンコウソクやねぇ! ムー子さん、お願いします!」 と言って電話を切ってしまったのです。( ゚ ▽ ゚ ;)
後で考えれば、 義母はこの時点で病名を正しく言い当てていたわけで 尊敬に値するのですが、 この時の私は “はあ? シンキン…? このひと何言ってんだろ? しかも一方的に電話切っちゃって~”
と不満に思っていました。
それから丸一日後に少し状況がわかってきた時点でまた電話してみると、義母は今度は
「あああ~ ムー子さん
アンタどうしてたのー! 昨日の朝からあれっきり電話もしてくれないでー![]()
ワタシラどうしていいか! こっちからどうやって電話すればいいかもわからんしぃ、おとうさん(義父のこと)O君に何度も電話したけどアンタたちのいるトコわからんしぃ!どうなの!」
はあ? O君て… まあそれは後で考えよう…(・・;) だって、そもそもこっちは夜だったんだからあ
それに私だってまったく状況わかんないのに~
とも言えないので、 とりあえず電話できなかったことを謝って、その時点でわかる範囲のことを話し、必ずまた電話すると言うと、納得してくれたのでした。
ちなみにO君というのは 夫の学生時代からの親友のような人で、私たちの結婚披露宴でも新郎側の受付を引き受けてくれた人で、 夫の親もO君の電話番号だけは知っていたらしいのです。
私たちのあとO君も結婚し、この時は赤ちゃんが生まれて間もない・・・ (・_・;) しかし今回の旅行とO君とは全く関連がなく、たぶん彼は私たちが旅行していることすら知らなかったはず。
そこへ何故義父は 何度も電話するなどという行為をしたのかわけがわかりません。
この次の日に夫に話すと、やはり訳がわからないけど とにかくOに謝ってくれないか と言うので、 また日本時間の失礼にならない時間にホテルから電話してみると、奥さんが出られて、「まあ!わざわざスペインから
この度は大変ですね。 アナタ!〇〇さんの奥様からよ!」 とすぐに代わるとO君、「
やあ奥さ~ん、遊んでますかぁ? いまのうちに一人であちこち行って遊んでくださいねぇ」
思わず私も笑いが出て、ホッとしました。 でもちゃんと謝っておきました。
次の日に夫の実家に電話すると、 今度は義父が出て、いきなり 「ムー子さん!ぶどうジュースひゃくパーセント!ぶどうジュースひゃくパーセント
」
と言い出します。
また新たな試練が待っていたのでした。![]()
(つづく)
旅行した当時、夫と私は30代、結婚して7年、両方の親は四人とも70代で まだ元気でした。
バルセロナで夫が入院したとき、最初に 保険会社に連絡すると共に、両方の実家にも電話しました。
まず私の親の反応ですが、 もちろん非常に驚いて まず私の身の振りについて心配してくれました。 大丈夫だから心配しないようにと言って何日か連絡しませんでした。
後で知らされたことですが、 私の父は 何かしたいが何をすればいいかわからず、とにかく外務省に電話して
「娘がスペインで困っているから助けて欲しい」 と言ったそうです。(恥ずかしい)
外務省の人は、 スペインと言ってもどこなのかわからない父に、
とにかくマドリードの大使館かバルセロナの総領事館に連絡するように娘さんに伝えてください
と言ってくれたそうです。 ホントに恥ずかしいです。
しかし、夫の親は… 恥ずかしいとかいうレベルではありませんでした。![]()
長くなるので日を改めて書きます。
東京ミッドタウンに行ってみました。
どうして突然ミッドタウンかと言うと、
この写真はミッドタウンの入口。
そのまま反対側を振り返って撮った写真がこれです。![]()
奥の薄い茶色のビルは夫が日本で入院していた、今も月一診察に通っている病院です。
つまり、病院の前にミッドタウンが出来てしまったんです。
この道が人で溢れているところ初めて見ました。 病院のまわりの少ない飲食店も行列です。 びっくり。
何年か前に一時入院したとき、病室の窓から六本木ヒルズが見えて感動しましたが(8年前にはなかった)
今ではこれも見えます。東京新美術館。![]()
外国の方も多い場所です。
8年前の入院期間中、ある日 面会時間が終わって私が帰るとき、同じエレベーターに若い外国人女性が乗っていたのですが、彼女はなぜか声を押し殺して泣いていました。 なにか声をかけようか迷っているうちエレベーターは1階に着いて、通用口から出ることになってしまいました。 いつもの守衛のおじさんも心配そうに見送っていました。
もしかしたら彼女はバルセロナの私だったのかもしれない・・・
今でも忘れられず、どうしたか気になります。
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バルーンは成功し、 次に最も狭窄のひどい箇所を治療するために再びカテーテル手術をしました。
今度は管の先から掘削するマシンのようなものを出して、 血管の内側から削って広げる手術です。 「ダイヤモンドヘッド」 と言っていました。 ダイヤモンドでできた削る機械(?)がカテーテルの先端から出てくるそうです。
これが今までのカテーテルの中で最も管が太く、 時間もかかり患者の負担も大きかったようです。 手術後はCCU(冠動脈集中治療室) に入りました。
これで一応、 治療は終わり、 それでも いつ突然死してもおかしくない とか、 今度来たらバイパス手術しましょう
とか 脅かされながら退院したのでした。 約1ヶ月の入院でした。
手術と言える大きい治療は2度やったことになりますが、 まだ99パーセント狭窄の血管も残っていました。 自然に細いバイパス血管ができることを期待して治療はそこまでにしました。
なお、 心筋梗塞を起こした動脈の1本は、その先の心臓の筋肉は壊死したままこれは治すことはできません。 「心臓が小さくなってしまった、と思ってください」 と言われました。 ですから治療はしても もうスポーツや走ることはできません。
退院後、 6ヶ月後、 1年後にもカテーテル検査をしました。 それぞれ3日間の入院でした。
この入院中に覚えた教訓として、
医者は、自分の専門外の分野の症状については診てくれません。 今ではチーム医療に取り組んでいる病院もあるそうですが、ごくわずかだと思います。
たとえば夫は 心臓発作が起きたのと同じような症状のパニック発作に度々なったり、 度重なる長時間の安静時間のために座骨神経痛になっていましたが、 日本で入院していた1ヶ月弱のあいだ、病院で何度 症状を訴えても取り合ってもらえませんでした。 心臓の医者は心臓しか診ません。 退院してから別の医者を探すしかないと言われました。
夫の場合、入院中にゴールデンウィークを挟んでしまったので、 入院が長くなりました。 ちょうど、まだ外出許可が出ていなかったので 担当医は帰省してしまって留守でも、患者は自宅に外泊することもできず病院で無為な1週間を過ごしました。
日本での入院生活は、特記すべき面白いこともなかったので、 闘病記もこれで終わりにします。
長い間読んでいただいてありがとうございました。
更新はまたあいだがあいてしまうと思いますが、 次はスペインでの番外編エピソードを書いておきたいと思っています。
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結局、 検査のためにカテーテル検査をすることになりました。
夫にとっては3度めのカテーテルでしたが、 この時に初めてカテーテル検査というものが非常に大変な検査だということを知りました。
まず前日に、医師と患者と家族との面談があります。 そこで検査の詳細などを心臓の模型や画像を使って説明し、 万が一の突発事態には医師が判断して処置することへの同意書が出され、 家族が署名します。
患者には前日からいくつかの処置があります。
当日は検査開始1時間前に家族も待機して、 患者は手術着に着替えます。(手術着の下はT字帯(フンドシのようなもの)の他には何も身につけません。)
車椅子で検査室に行きます。
検査自体は1時間ほどで終わります。 その後、足の付け根の動脈から管を抜く処置をして、患部に砂袋を載せて絶対安静に入ります。 仰向けに寝たまま、首を持ち上げることも許されません。
処置の種類によりますが、4~6時間後、 上半身を15度ギャッジアップすることが許されます。 そのまま更に4~6時間、寝返りを打たずに安静です。 下半身は絶対に動かせません。 トイレは尿器を当てます。
長い長い安静時間が終われば、歩いてトイレに行けます。
次の日、また医師と患者と家族との面談があります。 検査の画像を見ながら説明をします。
なお、この当時この病院では、カテーテルは足の付け根から管を入れるやり方がすべてでしたが、 検査だけが目的であれば 二の腕や手首から管を入れる検査もできます。 このほうが患者の負担は小さく済みます。 しかし、患者が健康であることと、検査しかする予定がない、という条件があります。
検査の結果、やはり冠状動脈の1本が詰まって心筋梗塞を起こし、他の2本も狭窄箇所がいくつかあって、いつそれが詰まって突然死してもおかしくない状態ということでした。 もちろん少しオーバーに言って脅かしたのでしょうが。
それで、 数日後にまず、1本の狭窄を治療するために再びカテーテルをすることになりました。
治療のためのカテーテルになると、 検査の時よりも管が太くなるので患者の負担も大きくなります。 この場合 「カテーテル手術」 と呼びます。 心臓に到達させた管の先端から風船のようなものを出して血管を広げる 「バルーン」 、あるいは 筒状の金網のようなものを血管の内側に置く 「ステント」 などの治療方法があります。
夫の場合は、 まずバルーンを行いました。
(つづく)
こうして、夫はまた胸と足に何箇所も×印を書かれて心電図計に繋がれたままの身になりました。
心エコーと言って、技術があれば簡単な検査で心臓の血流の状態がだいたいわかってしまうそうです。 健康な人でも、健康診断などで腹部エコーを受けることはよくあると思います。 透明のドロドロしたものをお腹に塗って超音波で胆石などがないか調べる検査です。 あれを背中側から当てて、心臓を診るんだそうです。
即入院になるとは思っていなかったので、 私は一度自宅に帰って入院に必要な身の回りの品を持って再び病院に行き、面会時間が終わる20時まで病院にいました。
結局 帰国した次の日から今度は日本での病院生活が始まりました。
さて、スペインの病院で渡されたカテーテル検査のビデオテープですが、日本の医者に話すと 「一応見たい」 ということで、日本の再生機で見れるように方式を変換することにしました。 と言ってもどうしたものかということで、夫が仕事で付き合いのあったCG(コンピュータグラフィックス)制作会社の社長さんに相談してみました。 すると、すぐにやってくれる業者さんを紹介してくれるということで、私が次の朝テープを持って夫に道順を聞いてそのCG会社へ行ってみました。
CG会社に行ってみると、社長さんは不在で 代わりに若いクリエーターの男性社員が、車で業者さんの所へ連れて行ってくれると言います。 教えて貰えれば自分で行けますから、と言ったのですが、何となくその若い社員さんは、社長から頼まれたのを理由に外出して少し息抜きしたがっている雰囲気だったのでお願いすることにしました。
テープを変換してくれる会社は、下町の小さな問屋さんのような雰囲気でした。 事務所で待たせて貰っているとすぐ出来ました。 料金は数千円だったと思います。
テープはその日のうちに医者に渡したのですが、結局はカテーテル検査をあらためてしないと詳しい診断はできないということでした。 病院を変わると、検査を一からまたやり直し、という話を聞いたことはありますが、 そういうことです。
(つづく)
正直に言うと、この時は日本で夫が病院へ行くべきなのか迷っていました。 スペインの医者は具体的な治療法などの説明をしなかったので、心筋梗塞というのは起きてしまったらそれまでなんだと思っていたのです。
でも薬を飲み続けなければいけないことは言われていたので、 薬を出してもらうにはやっぱり病院行かなきゃね… なんていう程度の相談で、夫はインターネットで病院探しを始めました。
帰国した次の日の午後のことです。
自宅の最寄駅から地下鉄で4つ目の駅の近くに、心臓の専門病院があることがわかりました。
「これ近くていいんじゃない? でもかかったこともないのに診てくれるものなのかなあ?」 と、とりあえず電話して事情を話してみると、今から来てもいい、と言っていると言うのです。
じゃあ、と早速二人で行ってみました。
午後なので外来には一人も患者がいませんでした。 夫が診察、検査を受けているのを座って待っていると、夫を診察しているらしい医者が急ぎ足で私の前を横切って、事務のコーナーで電話を かけ始めました。
「そうなんです、39歳男性です、スペインで心筋梗塞になって帰って来たんですよ、・・・ ハイ ・・・ ハイ、 それで先生、私が主治医ということで、よろしいでしょうか。」
と、興奮したような様子で、たぶんその医者より偉い医者にかけているようでした。
以前テレビ番組で、大学病院などでは、珍しい症例の患者が来ると喜ぶ医者がいるとかいう暴露話をやっていましたが、そのようなことかもしれません。
ほどなく看護婦さんが来て、「ご家族の方ですか? 今日すぐに入院していただきますので、病室にご案内しますね」 と言って、車椅子に乗せた夫を連れて来ました。 夫は私の顔を見て、「嬉しい!」と言います。 検査で体重も測ったら、旅行に行く前より15キロも減っていたからでした。 今で言うメタボのなりかけだったのでちょうど良かったのです。![]()
(つづく)
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