前回の続き

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後者の前置き
本来、何でもできる全知全能の存在
球体(すべての視座をもつ)であって
あらゆる視座(スピリット)のまとまり
そもそも一つだった、球体の一部
(ちょっと日本語おかしいけど、
言葉が湧いてきたとおりに書いていく)


一部を分離して分御霊として、
これも、イメージとしては、
エゴ的な視点からの体感としてはまん丸な全体から"切り離された"と感じたりする
何かちょっと歪で不完全な感覚🌜

でも腑に落ちるイメージとしては全く逆で
本質は元々の真ん丸のままで🌝
今回やりに来たこと(目的、学校でいうところのどの単位をとるかみたいな)に合わせて
必要なものだけ装備してきている
逆に目的の妨げになるスイッチ(能力)はOFFにしていて、
それぞれの魂カリキュラムをスタートしている

(例えば、本来英語も話せるし、彫刻も掘れるし、歌も歌えるんだけど、
今世での計画に沿わないものまで出来てしまうと、しっちゃかめっちゃかになってしまう
今世の計画に必要がないものは、むしろ計画的にOFFにしている)

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魂が本当にやりたいこと、やりにきたことを
探す旅でもあり、
時間の概念はないから
もう既に表現(具現化)している自分も同時に存在していて
一瞬一瞬の行動、思考、その周波数で
すべてあるなかから
自由に創造していくようにも捉えられる

自分が選択したものが
世界になっていく

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↑この"自分で"というのは、
表層的な(顕在意識、エゴの)選択ではなくて
95%の潜在意識の方
何度も使っている概念や思い込み、ビリーフ
の色を通した世界になっていく

それを掻き分けた先に、
魂の本質があるけど、今体感で
この部分で生きる人達はまだまだ本当に少ないように感じる

↑この概念は玉ねぎの皮のように剥いても剥いても出てくるような感じだから
グラデーションだけど

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もし、仕事をしなくても生きていけるなら、
明日から何をしたいですか??

お金がいらなかったら、
何がほしい?

それは何でかな?

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真実は?答えは?
誰に聞いたら分かるんだろう

私が感じるのは、
ちょっとイメージ的に誤解も与えそうだけど
1人1人が"天上天下唯我独尊"であるということ

誰かの上でも下でもなく、
自分の世界は自分(の選択)でつくる

己を信じることで、
自分で答え(真実)が分かるようになる
それは、ふと読んだ本から入ってくるかもしれないし、隣の席の人の話し声で急に聞こえてきたり
どこからそのヒントを得るかは分からないけど

"自分にしっくりくる、腑に落ちること"
その感覚を大切にして、
取捨選択(創造)していくこと

一人一人が自分の真実を内観していくこと
作られた集団主義や集合意識で植え付けられた概念を玉ねぎのように
根気強くめくっていく作業は大変かもしれないけど、
ペロンとめくれたときには、
一枚ごとに発見と喜びがある

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雲の上から
玉ねぎを被った人間たちが
玉ねぎを通して最もらしく世界を語ってるのを
イメージすると
コントみたいで面白い🧅
しかも玉ねぎを被ってることに気づいてないところがまた面白ポイント

と、視点を雲の上くらいまであげて
すべてを笑いのネタとしてみるくらいの俯瞰した視座にいってみると
玉ねぎも剥きやすいのではと思ったり

人それぞれに得意な剥き方パターンをあみだしたりするのかなぁと想像したり


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大体自分が被ってる玉ねぎに限っては
見えないようになっている

なので、
自分の腑に落ちる、自分の真実を生きることが
内側から玉ねぎを脱いでいく鍵になる

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こちらもグラデーションなので、
何度も何度も
丁寧に、自己対話して
"腑に落ちる"感覚を磨いていく

ちょっとした心のズレ(自分自身へのごまかし等)にも気づけるように
アンテナが鋭くなってきて
"腑に落とす"クオリティが上がっていくと

どんどん
真実の自分への掘削作業が進んでいく

より自分が真ん中で生きられる世界が
投影されていく

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