今日3.11で、あの東日本大震災から丸6年。

亡くなった方…ご家族を失った方、行方不明の方々には何と声をかけたらいいのかわかりません。  

あの日、たまたま私は当時妹が住んでいた浦安市に出掛けていました。浦安市は埋め立て地です。
至るところから水が湧き、地盤沈下を体験しました。断水したため、浦安市役所に水を汲みに行きました。停電はしていなかったため、テレビで情報を得ながら過ごし、眠れない数日を過ごしました。

私は浦安市へは東北新幹線と京葉線を乗り継いでいきましたが、帰りはもちろん新幹線は使えませんでした。

なんとか羽田空港までたどり着き、一夜を明かす覚悟で飛行機のキャンセル待ちをして、自宅のある県までたどり着きました。  

自宅付近は私が戻るころには停電から復旧していましたが、夜は真っ暗でした。



それから約3週間後、二次避難所への災害派遣の命令を受け、医療班として被災地支援へ。

大船渡市、宮古市、釜石市、大槌町の方々がバスに乗り二次避難してきた場所です。

健康チェックに回ると、海水に浸った手帳や薬袋が。着の身着のまま逃げてきたのが伝わるものをわざわざ見せてもらいました。

それだけひどい被害だと改めて知り、正直怖くなってしまったのが事実です。

結局のところ、支援らしき支援ができたのかは今でもわかりません。でも、1日でも早く元の生活に戻れるよう、祈っていたのは確かです。



まだまだ復興できていない地域はたくさんあります。悲しみに暮れている方もいると思います。

今となっては、「頑張って!」は言えません。もう充分頑張っているのだから。

ただひとつ言うとなれば、「生きて」かな。
たくさんの人が3.11に突然命を失われ、どれほどの人が生きたい、死にたくないと思ったか。

その人たちの思いを、生きるという形で残してあげてほしいなと思います。


黙祷。