ある日の園児(母)を前にしてのジジイ(父)との会話。
ジ「最近、食費がかかりすぎてるな」
む「物価が上がってるから仕方ないんじゃない?」
ジ「母ちゃんの食べたいものを食べてるからじゃないのか?寿司だの刺身だの」
む「食べたくないもの食べさせてご機嫌ななめになって癇癪起こしていいならそうするが?」
ジ「う~ん……でも、老後に2500万円必要だってテレビで言ってるぞ?」
む「老後っていつからいつまでの事なんだよ。今、既に老後だろ。
それに2500万円って数字もどっから出てきたんだよ。
年金受給者と父ちゃんみたいに事業やってる人じゃ収入も違うし、倹約家と浪費家じゃ違うだろうが。
今の年齢から2500万円貯めようったって無理だし貯金だって無いわけじゃない。
あの世にお金を持っていけるわけでもないんだから、生きてるうちに使わなくてどうする。
お金が無いなら心配するのはわかるが、あるんだからそれを自分のためにどう使うかを考えたらどうだ?
上を見てもキリがないし下を見てもキリがない。
よそはよそうちはうち。
要するに細く長く生きたいか太く短く生きたいかだよ。
細々生きなくていいなら、自分の好きなことをして好きなものを食べたほうがいいと思うぞ」
ジ「……」
この後、園児が「あたしのせい?あたしのせいでお金ない?」と、ジジイに詰め寄ったのは言うまでもない。
前置きはここまで。
ジジイとの会話で出てきた『老後』。
物の本には『定年退職後のこと。概ね65~70歳以降』とある。
『定年退職』がそもそも曖昧なのに、更に『概ね65~70歳』という曖昧さ。
そして『老後』という文字。
『老い』の『後』とは?
『老い』を日本の高齢者の定義にあてはめると65歳以上が高齢者となるが、『老い』も平均寿命が伸びている昨今、もはや高齢者が『老い』ているとは到底言えない。
現に私より元気な高齢者は五万といるし、そこら辺のジジイに「ご老人」などと言えば「誰が老人だ!」とドヤされるぞ。
そんなジジイの『老い』の『後』なぞ、死ぬまで来ない。
年金問題や健康保険問題が解決しない限り『老後』資金をあれこれ言うのは論外。
人の余命は誰にもわからない。
同じように限界や老いを決めつけてはならない。
頑張って働いてもらった報酬は自分のために使うべきであり、必死に働いて稼いでくれた親や子、パートナーのお金を当てにするのは愚の骨頂。
次姉は「子供たちのため」と言ってジジイの遺産を当てにしているが、それでジジイに圧をかけるのはバカの極み。
ジジイも園児もよく頑張った。
特にジジイは貧しい家を助けるために若い頃からよく働き、家庭を持っても親のため子のために更に働き、今は老体に鞭打って園児のためにと世話をしてくれている。
そんなジジイと園児から更に金を搾り取ろうとする制度は如何なものか。
『老後』を考えなければならないのは私たち『若者』であって、既に年金受給者である『今老』の人たちでは決してない。
ジジイや園児をいじめていいのはお世話している私だけであって、他の人がジジイや園児をいじめたら私がぶっ飛ばす。
そこんところを肝に銘じて発言しろよ。