ヤマグチ コウイチロウ/山口康一郎/Yamaguchi Koichiro -2ページ目

★無目的×無意識×無気力×無知+無難=無責任

★無目的×無意識×無気力×無知+無難=無責任

・例えば、生きる目的が自分にあると思う人は、1
          目的が自分にないと思う人は、0
というふうに入れてみてください。


A:目的がないので何をしていいか分からない、何とかしたいと注意深くいつも考えているし、
物事を知ることも嫌いじゃないし、積極的にしたいと思うのだけど、どうもうまくいかない人は、

0×1×1×1+1=1

Aタイプの人は、人に言われたことはするので文句も言われませんが
自分として不満がありますし、いわれていない事まで気が回らないのでたまに見落としや失敗があったりしますが、
自分の意思をはっきりさせて相手に伝えるので周りから誤解を受けずに何とかなります。
Bは無責任でもありませんが完全ともいえません。結構世の中に多いタイプです。
可もなく不可もなくというところです。

B:目的はあるが、意識が足りない、気力もない。知識はあるが、自分から何か行動すると何か起こりそうでしたくない。という人なら

1×0×0×1+0=0

Bタイプの人は、自分の希望を持ってはいるのですが、そのうちどうにかなると思っていたり、誰かが何とかしてくれるという甘えがあります。
知識だけで判断して諦めが早いし、未来を自分の考えだけで決め付ける癖があるので無難路線を選ぶ傾向が高く、リスクを取ろうとしないので結果的に成功もありません。

C:目的もあってしっかりと常に注意しながら、実現させたいという意欲もあるけど、知識が足りなくて、恥ずかしいから人にはっきり言えない人は

1×1×1×0+0=0

Cタイプの人は、小さい頃から自分の進路もはっきりしているし、自分で考える事も好きで頑張り屋さんです。
しかもすぐ諦めずなかなかへこたれません。ただ、見栄っ張りで実は恥かしがりやのケースが多いですね。
どうすればいいかがわからなくてもやり方がわからずに結果的に行動にふみきれず、後で後悔することが多いようです。

D:目的もないから気力もなく、意識する意味も分からないから知識をつけるための勉強も必要性を感じない。それを知られるのが恥ずかしいから無難に楽に生きていければそれでいいという人は

0×0×0×0+0=0

Dタイプの人は、目的がなく、意識も持たず、気力をなく、物事を知らず、無難に生きるというタイプです。
最近多いですよね。
「目的がないから目的を探しています。」
「目的がないから気力がわきません」
「何をしていいかわかりません」
「自分にこの仕事は向いていません」
「自分は平和的な人間ですのでけんかなどは好きじゃありません」
「恥をかくことが一番嫌いです」
「なんでそれをしないといけないのですか?」
というのが口癖になっている人は周りにいませんか?!

面白いことにDタイプは何もかも0で無責任。ところが全部0じゃない人のBタイプもCタイプも無責任になってしまっているのです。

これで考えると他にもいろんなタイプがいます。この分析では、50通りの分析が出来てその結果として
○ 責任を持てる人が1タイプ。
○ 可もなく不可もないタイプ全く無責任なタイプが1タイプ。
○ 後は、完全にだめなやつじゃないのに結果的に無責任になっている人

皆さんも自分自身を分析してみてください。どのタイプですか?!

これを私は「5無(ゴム)の法則」と呼んでいます。

目的もなく注意して生きることもないからチャンスにも出会えず、
チャンスに出会えない事を境遇や運命のせいにしているから「自分に合わない」とふらふらして職を変えたり、
気力がないから「どうでもいいや」とまわりに合わせる事しかせずフニャフニャで、
目的もないから知識をつけることや勉強もせず中身がスカスカで、
面倒くさいし恥ずかしいから楽をしたいから分かった振りをしている人がいますよね。それがDタイプ。

自分はそうではないと思っている人が大多数なのに何故か無責任になっている人はDタイプではありません。
しかし、どれかが足りない場合には同じ結果になってしまいます。
それは嫌でしょ?自分としては頑張っているのに・・・。それなら自分が0のところを集中的に直せばいいのです。

まずに、無難を止めることです。これは簡単です。特に私の会社では・・・。
何故なら自分の意思を出すのも、勇気を持って行動して失敗しても、怒られないから・・・。
逆にその勇気や行動のほうが評価される会社だからです。

まず、皆さんが用意するのは、恥ずかしいという感情を打ち消す勇気です。
それさえあれば、まずは0ではなく1になります。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」「百聞は一見にしかず」昔の人は、恥ずかしかったり面倒くさいと思ったりする怠慢や
恥ずかしいという感情をいさめたりして、知識を得る事を最優先させたのです。
そのうえで自分の欠点を少しずつ直してみたらいいと思うのです。

アリギリスで生きよう!

アリギリスで活きよう!
イソップ物語の『アリとキリギリス』は知っていますよね

この話は、日本では次のようになっています。

夏の暑い盛り、アリが汗水ながして餌を巣に運んでいるとき
近くの涼しい草むらでは、キリギリスが楽しく歌って過ごしていました。

キリギリス:「アリさん、アリさん、どうしてそんなに働いているの。まだまだ冬はやって来ませんよ。」
アリ:無言で熱心に働き続けていた。

いつしか季節は寒い冬になりました。
野の草は枯れ、キリギリスは食べるものがなくなってしまい、餌を求めてアリの所へやってきました。

キリギリス:「アリさん、何か食べるものを分けてもらえませんか。」
アリ:「それは、お困りでしょう。どうぞお入り下さい。」

心やさしいアリは、キリギリスを暖かい部屋へ招き入れ、食事を与えてやりました。

ところが、原作では


アリ:「おや、キリギリスさん。食べ物が無いのですか・・・あなたは、夏の間はどうしていたのですか。」
キリギリス:「夏の間は歌をうたって過ごしていました。」
アリ:「だったら冬は踊りをおどって過ごしなさい。アリは物をもらわないし、物をあげたりもしませんよ。」
こう言って、アリはバタンとドアを閉めてしまいました。

また、こんな話もあります・・・

アリはキリギリスを部屋に入れました。
そして、キリギリスが死なない程度に屑のような食物を与えながら生かし続け、

最初は体液を吸い
やがてはキリギリスを食べてしまいました。



皆さん、この話を聞いてどう思いますか?

現代のキリギリスは、誰でしょう?

働きもせず街をぶらついている若者達や、
その若い人たちを憂いながら自分たちはぬくぬくと、年金をあてにしている大人達じゃないでしょうか?!
その年金も若い人たちが払い成り立っているものなのです。


では、アリは誰でしょう?!
文句も言わないが人のいう事を信じて働いてばかりの税金を納める人達です。

人間誰もが年老いて、病弱になり、働ける間に蓄えた蓄財を細々と消費しながら一生を終えていきます。
蓄えもなく、税金や年金を納めていなかった人達は、必然的に生活保護を求めてきます。

そのとき、私たちはどのアリになれるのでしょうか・・・

政府は、生活保護を与えるでしょう。
なんとか、仕事も与えるとするでしょう。
蓄えもなく、税金や年金を納めていなかった人達にもね。

「1984年」ジョージオーウェル著を読んだ事ありますか?
あんな世の中にはならないだろうけど…。管理ばかりされている世界って嫌だな。

周りを見てください。近い将来、立派な道路、建物、それらは、僕たちが責任を負わないといけないものなんですよ。なんて不条理な???!

だから、個人としては(少なくとも僕は)優しい?易しい?アリにはなれません。

好き勝手なことをする人間が溢れてしまったいるから、こんなになったと思いますよ。

そんなに日本人は優しい人ばっかりでしょうか?
アメリカは日本の事ばっかり考えてくれているのでしょうか?

人間は、本来、優しいだけでなく冷酷な生き物でもあります。

弱肉強食 働かざる者は食うべからず。

自分の身まで削って他人に分け与えるなんて事は、自分に余裕がなければ出来ません。
生活に余裕のある者が、施しを受ける相手を見下し、あざ笑いながら行うケースも多い事を知らないといけません。

それは慈悲でもなく、単なる自己満足のためのボランティアだったりするのです。
それを偽善と言ったりするのです。小善にもなりません。その偽善さえ、通らなくなってきています。

そんな世の中でそれに甘んじたり、自分がそんな尊厳のない生きかたをするなんて嫌だな。

税金が高くなった時に何の楽しみもなく、税金だけを払い続けるようなアリになりたいですか?

さらに僕は嫌だな!

キリギリスのように優雅な楽しみも欲しいし、冬になってもアリのように暖かいところで過ごしたいし
かといって、感情や情緒もなく本能だけで生きていきたくないし・・・。

そ、そうだ!  
アリギリスになればいいんだ!
頭を使って
アリとキリギリスを両立させるしかない!

税金を払っても人に心から施しをしても
まだ有り余るだけの余裕のある
自分の楽しみを持てるアリギリスだあ!
これしかない!そのためには、商売だあ!
そんな私が、商売を始めてかれこれ25年ぐらいになります。