南北朝時代にも戦国時代にも、全山焼き討ちという壮絶な歴史を持つ国指定の史跡、石動山。石川県と富山県にまたがる山である。
標高は600メートルにも満たない山だが、人里離れた広大な森林地帯の中に山頂があるため、まさに秘境といった雰囲気である。
開山は紀元前92年(崇神天皇6年)とも西暦717年(養老元年)とも言われ、『延喜式』に伊須流岐比古神社として登場する。どうやらこの石動山に、天から隕石が落ちてきて、大地が大きく鳴動したために、「落ちてきた石が大地を動かした山」という意味から、この石動山の名前がついたようである.まるで比叡山延暦寺のように、2度にわたる全山焼き討ちの憂き目に遭ったものの、山岳信仰、修験道の聖地として、およそ1000年以上にわたって繁栄してきたが、江戸時代から明治に入って新政府から出された神仏分離令、廃仏毀釈令によって大きく衰退してしまった.多くの神社仏閣も取り壊されてしまい、山伏衆たちも山を降りてしまった.
江戸時代末期に生まれた私の曽祖父、隆一も、山伏衆の家に育ったが、父親の隆昭から、「隆一、もう山伏の時代ではない.お前は山を降りて、学問の道に進め.」と言われて山を降りて、小学校の先生の家に下宿しながら小学校に通ったそうだ.しかし先生から毎夜、「酒を買ってきてくれ.」と言われて、隣町の酒屋まで遠い道のりを小走りで酒を買いに行ったという話を祖父から聞かされている.
そんな隆一が、大隈重信の書生になるのは、10年以上、後のことである.
