過去は過去のとことであるから

 想像するしかないのだろうけど…


 年間の重さとはどれほどなのか、そんな問は馬鹿げてる。

体感出来る時間も、振り向いたときに感じる感覚も人それぞれなのだから。



ただ、そんな相対的な"時の流れ"も、何かを媒体に共有し、共感しあえることができる人間同士なら、「途中参加」であっても、その時間を知る人たちから得られる情報から過去を克明に回顧できると思う。


 日の浅いヒトは、横たわる過去の大きさに目を背けるか、それをさえも無かったことのように振る舞う。

また、過去を賛美し続けることで自らで生み出すことに尽力しなくなる。


今を共に歩む、その一歩目を歩み出す勇気があれば、目線を共にして歩いて行ける。



 今よりも未来や過去の方が質量は多い。今だったモノの積み重なりが過去で、これから今になるモノの予備軍が未来なのだから。

しかし、また新しく今を積み上げ続ける役割を誰かが負担しなくて輝きは失われる。


私たちは常に今を「処理するのか、楽しむのか、苦しむのか、耐えるのか」"しか"できない。

同時に過去と未来を「恐れるか、受け入れるか、抗う」"しか"できないのだろう。


 過去の軌道から未来を想像できるなら、未来を描く必要もなくなる。

未来を描いても、過去が否定するなら抗う必要もなくなってしまうから。

今の自分を信じ続けるしかできない。


 言葉として適切ではないかもしれないが年前の寄せ集め集団だった。

そこから積み上げた 7年がどんな意味なのか、価値なのかは振り返るでもなく、その時にあるものが全てで、胸をはるべきであると思う。

寄せ集め集団からスタートだったからこそ、生まれた「反骨心共感」が、これからも先を照らす輝きに変えていける。


ここまで壁を壊してきた実績を信じてる、きっとその姿勢が新しい輝きを生み出し続ける原動力になるから…


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