自分の芸名に自分で「終わり」を意識した文字を入れておけば、何となく先の見えないものを怯えずに日々の出来事を粛々と受け入れ、取り組めるような気がし たからです。だって、何でも始まれば終わるものですから。始まりと終わりの意味を含んでいる土が好きです…だから、土と汗にまみれたヘンリー塚本監督 (※)の作品が好きなのでしょうか(笑)。土といえば、5つくらいのまだ「チビ蜜」だった頃、初めて土葬というものを経験しました。勿 論人ではなく、金魚で。当時通っていた保育園には金魚の入った水槽がありました。5~6センチの金魚がすいすいと泳いでいた記憶があります。当時はペット を飼っていなかったため、保育園の金魚たちは格別に可愛く、毎日眺めたり、時々先生からエサをあげる役目を仰せつかったりと「金魚LOVE」な暮らしをし ておりました。そんなある日のこと、同じ教室の子が縁日ですくった小さな金魚を1匹もって来たのです。チビ蜜はじめ教室の子供たちは小さい金魚に大興奮し、金魚ブームは園児たちの中で、少し前でいえばボブ・サップの流行りぶりくらい過熱していったのでした。そしてお休みをはさんだ次の週、悲劇がおきました。小さな金魚は水槽の端に浮き上がり、息たえていたのでした。チビ蜜をはじめ園児たちには何が起きたのか 理解できず、先生に聞いたところ、「金魚はちがう所にいったから、今はさよならをしましょう」と答えました。死んだという事実を認識するのは少し先の話に なりますが、当時はなぜか「この金魚は金魚じゃなくなったのかな」と不思議に感じていたことを思い出します。金魚は保育園の庭にあったヒメリンゴの木の下に埋められ、神妙に手を合わせた記憶があります。当時その保育園にあったヒメリンゴは毎年たわわに実をつけ、栄養士さんたちがジャムにしてくれていたので、いつまでもヒメリンゴの下に眠る金魚のことは忘れられませんでした。大好きなものの下に大好きなものを埋める…もしかしたら供養と同時に遺された者に対する一番のケアだったのかも知れません。選んで埋めた先生、ご存知だったのかな…。「壇蜜さんの壇は、つちへんなんですね」最近よく言われるコトの1つです。その後は「まさか、仏壇の壇ですか?」と聞かれれば、「はい、葬儀業界におりましたから…」とお返事させていただいております。「壇蜜さんの壇は…」と言われるあたり、どなたかと比べて、の話なのねと思う今日この頃です。つちへんなので、「ダン」の景観はぎりぎり損ねていないと考えます。仏教用語にちなんだこともありますが、やはり土に還ることを少し意識しました。
自分の芸名に自分で「終わり」を意識した文字を入れておけば、何となく先の見えないものを怯えずに日々の出来事を粛々と受け入れ、取り組めるような気がし たからです。だって、何でも始まれば終わるものですから。始まりと終わりの意味を含んでいる土が好きです…だから、土と汗にまみれたヘンリー塚本監督 (※)の作品が好きなのでしょうか(笑)。土といえば、5つくらいのまだ「チビ蜜」だった頃、初めて土葬というものを経験しました。勿 論人ではなく、金魚で。当時通っていた保育園には金魚の入った水槽がありました。5~6センチの金魚がすいすいと泳いでいた記憶があります。当時はペット を飼っていなかったため、保育園の金魚たちは格別に可愛く、毎日眺めたり、時々先生からエサをあげる役目を仰せつかったりと「金魚LOVE」な暮らしをし ておりました。そんなある日のこと、同じ教室の子が縁日ですくった小さな金魚を1匹もって来たのです。チビ蜜はじめ教室の子供たちは小さい金魚に大興奮し、金魚ブームは園児たちの中で、少し前でいえばボブ・サップの流行りぶりくらい過熱していったのでした。そしてお休みをはさんだ次の週、悲劇がおきました。小さな金魚は水槽の端に浮き上がり、息たえていたのでした。チビ蜜をはじめ園児たちには何が起きたのか 理解できず、先生に聞いたところ、「金魚はちがう所にいったから、今はさよならをしましょう」と答えました。死んだという事実を認識するのは少し先の話に なりますが、当時はなぜか「この金魚は金魚じゃなくなったのかな」と不思議に感じていたことを思い出します。金魚は保育園の庭にあったヒメリンゴの木の下に埋められ、神妙に手を合わせた記憶があります。当時その保育園にあったヒメリンゴは毎年たわわに実をつけ、栄養士さんたちがジャムにしてくれていたので、いつまでもヒメリンゴの下に眠る金魚のことは忘れられませんでした。大好きなものの下に大好きなものを埋める…もしかしたら供養と同時に遺された者に対する一番のケアだったのかも知れません。選んで埋めた先生、ご存知だったのかな…。
自分の芸名に自分で「終わり」を意識した文字を入れておけば、何となく先の見えないものを怯えずに日々の出来事を粛々と受け入れ、取り組めるような気がし たからです。だって、何でも始まれば終わるものですから。始まりと終わりの意味を含んでいる土が好きです…だから、土と汗にまみれたヘンリー塚本監督 (※)の作品が好きなのでしょうか(笑)。土といえば、5つくらいのまだ「チビ蜜」だった頃、初めて土葬というものを経験しました。勿 論人ではなく、金魚で。当時通っていた保育園には金魚の入った水槽がありました。5~6センチの金魚がすいすいと泳いでいた記憶があります。当時はペット を飼っていなかったため、保育園の金魚たちは格別に可愛く、毎日眺めたり、時々先生からエサをあげる役目を仰せつかったりと「金魚LOVE」な暮らしをし ておりました。そんなある日のこと、同じ教室の子が縁日ですくった小さな金魚を1匹もって来たのです。チビ蜜はじめ教室の子供たちは小さい金魚に大興奮し、金魚ブームは園児たちの中で、少し前でいえばボブ・サップの流行りぶりくらい過熱していったのでした。そしてお休みをはさんだ次の週、悲劇がおきました。小さな金魚は水槽の端に浮き上がり、息たえていたのでした。チビ蜜をはじめ園児たちには何が起きたのか 理解できず、先生に聞いたところ、「金魚はちがう所にいったから、今はさよならをしましょう」と答えました。死んだという事実を認識するのは少し先の話に なりますが、当時はなぜか「この金魚は金魚じゃなくなったのかな」と不思議に感じていたことを思い出します。金魚は保育園の庭にあったヒメリンゴの木の下に埋められ、神妙に手を合わせた記憶があります。当時その保育園にあったヒメリンゴは毎年たわわに実をつけ、栄養士さんたちがジャムにしてくれていたので、いつまでもヒメリンゴの下に眠る金魚のことは忘れられませんでした。大好きなものの下に大好きなものを埋める…もしかしたら供養と同時に遺された者に対する一番のケアだったのかも知れません。選んで埋めた先生、ご存知だったのかな…。