今日見つけたとても素敵な映像を何度も何度も何度も再生して見て、思い至ったことが一つ。
母の味は、確かにワタシの中にある。
そして、ワタシの味は受け継がれて残っていくものではないということ。
自分で作って
自分で味見して
自分で いただきます と声を出し食べ始め
自分で ごちそうさま と声を出し食べ終わり
自分で片付ける
この屋根の下で聞こえる、味わいと繋がる唯一の声は自分の声のみ。
お茶だろうが
飴だろうが。
そうでもしないと
まるで 自動配膳装置 ででもあるかのように感じるから。