南北朝合一 金閣
▲鹿苑寺 金閣

こんにちは。
最近は日本史の「南北朝時代」に興味を持ち、過去4回のブログで南北朝時代に関することを書きました。そして今回は南北朝時代の終焉である南北朝合一と足利義満についてブログにしてみました。

南北朝合一と足利義満

後醍醐天皇による鎌倉幕府の滅亡、そして足利尊氏の離反によって北朝と南朝が成立し、同じ時代に天皇が2人いるという不思議な南北朝時代の到来。しかし足利尊氏側の北朝と後醍醐天皇側の南朝が対立して約50年、足利尊氏の孫にあたる足利義満によって南北朝合一が成立します。

時が経つにつれて南朝側の有力な人物が次々に死んだこと、義満により有力な武将が敗れたことで北朝が圧倒的優勢となり、南朝には勝ち目がない状態に追い込まれていました。そして義満から南朝に和平交渉を持ちかけ、ついに日本中を巻き込んだ戦争が終焉します。

大覚寺勅使門
▲大覚寺 南北朝合一の会談が行われた

しかし実際には義満が南朝に提示した和平条件には、降伏後は両院迭立と呼ばれる仕組みを復活させて北朝と南朝の血を引く子孫が交代で天皇になる等、南朝の立場を守る条件がありましたが無視されました。そして北朝の子孫だけが代々天皇となり現在に至ります。そのため南北朝合一後も南朝側の人々がしばらく北朝に対して戦争を続けますが、結果的に鎮圧されて南朝は滅亡しました。。。

学校の歴史の授業を思い出しますと、「足利義満は南北朝合一を果たした」と暗記した記憶はありますが、「南北朝合一」の意味や背景を理解していた訳ではありません。汗。ここ最近の1,2か月、過去4回のブログでようやく歴史的背景が少し理解できました。特に前回ブログにした太平記の漫画を読んだことで、南北朝時代の全体像を初めて把握しました。マンガで歴史を学びましたと声を大にして言うのは恥ずかしい気もしますが、マンガのおかげで「歴史=機械的に暗記するもの」から「歴史=感情移入できるストーリー」になりました。わかりやすさでマンガは便利。今後はマンガでも歴史を学んでいこうと思います。笑

金閣

金閣寺を建てるためのお金と権力の源

さて。
引き続き南北朝合一を果たした足利義満について知りたくなりました。笑 足利義満と言えば、室町幕府3代将軍で金閣寺を建てたという記憶が一番はっきり頭の中に残っています。しかし南北朝合一を終えてから何のために金閣寺を建てたのか?光輝く金閣を見て「きれい~」と思うだけじゃなくて、歴史的背景も少しは知りたい。笑

足利義満の祖父にあたる足利尊氏の時代に遡りますと、尊氏は後醍醐天皇から天皇の位を奪い北朝の天皇を擁立しました。北朝の天皇が天皇になれたのは、足利尊氏が後醍醐天皇を追放してくれたおかげです。その時から足利家は天皇の権力の一部を自分のものにしていました。

例えば裁判権や京都の商工民から莫大な税金を徴収する権利です。これにより足利家が貴族達を裁くことができ、税金も自分の財布に入るようにしました。また義満の時代には役人の人事権も天皇から奪っていますので、貴族達も義満に文句が言えず彼の元にお金と権力が集中します。

相国寺
▲相国寺

そして義満は現在の金閣寺のある場所に北山第と呼ばれる巨大施設を建設します。北山第の敷地内には政治を行う建物、義満自身の豪邸、奥さん用の豪邸、天皇の豪邸、そして金閣を含む巨大な建物群が含まれていました。また現在の京都御所のすぐ北にある相国寺も義満が建設しました。当時は東寺の五重塔を超える高さの塔が建設されていた巨大寺院です。

しかし足利義満が死んだ後、北山第は解体されて金閣を中心とする鹿苑寺と呼ばれる寺院に変えられます。これは義満の側近達によって義満の死後に実行されました。その理由は武士の役目は天皇に仕えることと考えられていたため、天皇を超える権力を得た義満を度を超えた危険な存在とみなしていたので、分をわきまえた施設に変更したと言われています。

実際、義満は自分の子供である足利義嗣を天皇にして、自分は天皇の親の立場でこの国を支配しようとした説があります。義満の死後に義嗣は義満の家臣達と義嗣の兄である義持によって殺されています。

南北朝合一 金閣

天皇の座を狙った足利義満

足利義満は現在の中国である明に対して、自分が日本の頂点である国王に任命して欲しいと使者を送っています。しかし明からは日本国王は天皇であると認められませんでした。そこで彼は出家することで将軍という立場から仏教界で日本の頂点になり、宗教的な権威を利用して天皇よりも位が上であるように見せました。

その結果、明から日本国王の任命を受けます。明の人からすれば日本国王は天皇から足利義満に変わったことになってしまいました。金閣や巨大な寺院を建設したのは、天皇よりも自分の方が権力を持っていることを世間に見せつける一面と、明から日本国王に認めさせる一面があったと思われます。そして日本国王の立場を利用して、日明貿易で主導権を握りさらなるお金を手にしました。

日本史上で天皇の位を本気で狙ったのは足利義満と織田信長の2人だけと言われています。足利義満の素顔は歴史の教科書ではわからないですが、大きな野心家だったと思われます。義満を題材にした大河ドラマとか面白そうですが、天皇の存在をないがしろにする姿が物議をかもすかもしれませんね。何となく。

金閣

金閣寺を見ながら足利義満のことを考えてみる。。。
そんな連休は渋すぎるかな(^^;)

つづく。