
▲天龍寺 曹源池
こんにちは。
前々回のブログで「京都ぎらい」という本を読んだ感想をブログにしました。著者の井上章一さんは観光名所の嵐山近くご出身ということもあり、著書の中で嵐山にある世界遺産天龍寺について紹介されています。その中で私的に気になるキーワードがありました。
「まだ幼かった頃の私は、天皇制の抱える暗い一面に気付けていなかった。」
「水戸学的な尊王論や皇国史観にもとづいて、南朝の肩をもっているわけではない」
「大日本帝国時代には南北両朝を並列的に描く歴史教育が禁じられていた。足利尊氏を評価した大臣が、そのせいで辞任へ追い込まれることもあった」
地元の人ならではの世界遺産天龍寺の話をして頂けることを期待していたのですが、何やら非常に難しく深そうな内容でした。しかし本の中ではこれらのキーワードについて読者も理解している前提で書かれていたために、私には理解できませんでした。。。
天龍寺の歴史には私の知らない深い世界があるのか?とても気になって仕方がありません。笑
早速google先生に聞いてみると、確かにややこしい世界が広がっていました。。。汗
理解するには根気と時間がかかりそうなので、コツコツ学んでみようかと思います。
天龍寺が建てられた理由

▲天龍寺 後醍醐天皇を祀る
天龍寺は1339年に足利尊氏が後醍醐天皇を弔うために建てた。以上。
残念ながら天龍寺のホームページにはそれくらいしか記載されていないのです。汗
それだけでは全く理解できないので、私がほぼネットで調べたことをまとめました。
大学受験で日本史を選択した方なら頭の片隅に記憶が残っているかと思いますが、時代は1192年、いい国作ろう鎌倉幕府と足利尊氏が開いた室町幕府ができる間の南北朝時代にさかのぼります。
天龍寺の歴史

▲天龍寺
1192年に源頼朝が鎌倉幕府を築いてから時が経つにつれて、幕府に対する不満が世の中に広がっていました。この機会に当時の天皇である後醍醐天皇は幕府に不満を持つ人を全国から集めては鎌倉幕府を倒すことに成功します。この時に足利尊氏は天皇側の武士として大きく貢献した一人でした。そして鎌倉幕府を倒した後、建武の新政と呼ばれる新しい政治を目指した後醍醐天皇でしたが、上手くいかずに余計に世の中の不満が高まりました。
そこで今度は足利尊氏は後醍醐天皇と戦い、天皇の座から引きずり落として別の天皇を擁立しました。しかし後醍醐天皇は負けずと奈良県の吉野山で正統な天皇は私だと宣言しました。これにより京都には足利尊氏が擁立させた天皇がいながらも、奈良にも後醍醐天皇がいるという同時期に天皇が2人存在するという事態になりました。これが世に言う南北朝時代です。北朝が京都の天皇がいる朝廷で、南朝が奈良の天皇がいる朝廷のことを意味します。北朝と南朝の間で何度も戦争をして、最終的には足利尊氏がいる北朝が勝利しました。
南朝の後醍醐天皇は深く北朝を恨んで死んだと伝えられています。当時は自然災害や病気が起きる原因は恨みを持った人の怨念が関係すると考えられていた社会です。足利尊氏は一度は後醍醐天皇と共に鎌倉幕府を倒しましたが、その後は天皇を裏切った立場にありましたので、後醍醐天皇の怨念を強く恐れたと言われています。その怨念を弔うために立派な天龍寺を建てました。当時は怨念を抑えるために死者を丁重に弔うことが普通でした。
さっくりした流れは以上ですが、この南北朝時代は非常にややこしい印象を受けました。北朝側について戦った人が、次の戦いでは南朝側に味方していたり混乱します。この時代を描いた太平記と呼ばれる当時の物語作品がありまして、是非一度読んでみて理解したいのですが、長いし古文だし大変そうです。今更ながら学生時代に古文をしっかり勉強しておけば良かった。。。
南朝正統論が幕末や明治時代に与えた影響

南朝と北朝という天皇が2人存在したことが、時代を経て幕末から第2次世界大戦前にまで影響を与えることになりました。江戸時代までは世の中が北朝が正統であると見なされていたそうなのですが、幕末時代から南朝こそ正統であり、天皇に刃向った足利尊氏は悪と見なされるようになりました。
日本の歴史は天皇によって始まり、天皇を中心にまとまってきた訳で、天皇あっての日本である。天皇に刃向うなんて絶対に許されない。天皇に刃向って成立した幕府に正統性は無いという考え方が広まり、江戸幕府を倒す流れに影響を与えました。南朝正統論は明治時代にも続き、国会である議員が北朝側の足利尊氏を評価すると辞任に追い込まれました。
明治以降の歴史教科書には南朝側で戦った武士達は天皇への忠義をつくして死んでいった英雄のように描かれていたそうだ。第二次世界大戦で兵隊として死んでいった人達は、南朝側の武士達のように天皇(国家)のために命を懸ける姿を自分と重ねる瞬間があったかもしれません。そして敗戦後の教科書には南朝の歴史を描くことはなくなりました。

▲天龍寺 庫裏
現在も南朝が正統とされていますが、天皇は北朝の血を受け継いでいます。
(私みたいな素人がネットで調べた程度で、ざっくりした内容にまとめているので間違いがあるかもしれません。今後も勉強していこうと思いますので、優しい目で読んで頂けると幸いです)
天龍寺の歴史には、教科書で詳しく教えてくれないけども、深い、そして現在まで続く複雑なストーリーがありそうだ。気になったキーワードを理解するためには勉強が必要だみたいだ。
つづく。

▲嵐山 渡月橋からの景色