Pen(ペン) 2016年 1/1・15 合併号 [ひとり、京都。]/著者不明

¥700
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こんにちは。
前回から始まった、禅についての独り言。笑
4月12日から5月22日に京都国立博物館で開催される特別展、
「臨済禅師1150年 白隠禅師250年遠諱記念 禅ー心をかたちにー」に向けて、
事前に自分で勉強しようと思ってブログにしました 笑
特別展を知ったのは「pen」という雑誌でした。
京都国立博物館の特別展「禅ー心をかたちにー」の予告HPはこちら

▲東福寺
前回は禅宗が日本に本格的に伝わった鎌倉時代の禅について独り言をしました。
鎌倉時代の禅は主に鎌倉の武士から支持を得ていました。
人間同士で殺し合う命がけの戦いの日々を送る武士にとって、
自分自身と向き合い、心を鍛える禅が精神的な支えになったためです。
そんな無骨な武士達に支えられた影響なのか、中国から輸入されたばかりの影響なのか、
鎌倉時代の禅寺はどこか中国風の雰囲気が漂い、飾り気の無いシンプルに感じます。

▲天竜寺
さて。
学校の授業を思い出すと、鎌倉幕府の次に室町幕府が登場しました。
室町時代には3代将軍の足利義満の金閣寺、8代将軍の足利義政の銀閣寺が登場します。
室町時代でも引き続き禅は武士に支持されて、禅宗のお寺が建てられました。
しかし同じ武士に支持されていても、鎌倉時代の禅寺の雰囲気が違います。
丸くなったというか、品があるというか、日本っぽいというか。笑
その理由は、室町幕府が京都という伝統文化都市に位置したことで、
武家文化が貴族文化の影響を受けたことによるものだと思う。。。多分

▲天竜寺
室町時代の禅寺としまして、
京都嵐山にある世界遺産の天竜寺は室町時代に建てられた禅寺です。
天竜寺と言えば、美しい曹源池庭園で有名。
金や銀で彩られた人工物は無く、自然物だけで構成される庭園を見ると、
結局、自然が最も美しいと思わされます。
曹源池庭園は臨済宗の僧侶である夢窓疎石(むそうそせき)により生み出され、
自然の中に美を見出す禅の思想に触れることができる気がした。

▲金閣寺
続いて有名な世界遺産の金閣寺。金色に輝く美。
3代将軍の足利義満によって建てられた臨済宗の禅寺です。
数ある禅寺の中でも金閣寺は異質なお寺です。自己主張が強い。笑
過去の禅寺と比較すると、本当に禅寺なの?と疑ってしまう。
何故に派手に輝くお寺になったかは、金閣寺を建てた足利義満を知ると少しわかる。
足利義満は武士でありながら、天皇を除くと一番偉い、太政大臣にまで登りつめた人。
足利義満は朝廷が持っていた裁判権や税金を取る権限を奪い、
京都の商人に多額の税金を課せることで大きな富や財産を築き、
また自分の息子を天皇にして、天皇の父親として日本の頂点に君臨することを望んだ人。
金閣寺は足利義満の巨大な権力を感じる象徴的な建物と言える。

▲金閣寺
そんな足利義満も禅宗を保護し、禅僧の夢窓礎石に師事していた。
足利義満は禅の思想をベースとしながらも、金閣寺には彼独自の思想が加えられている。
金閣は3階建てで、各階がそれぞれ違う建築様式となっている。
1階は寝殿造、2階は武家造、3階が禅宗造になっていて、
素人の私が見ると何だかアンバランスに見える。どうせなら1階も金色にすればいいのに。
きっと足利義満さんは3つの文化を取り入れて、
新しい文化をクリエイトしようとしたんじゃないかと思う。(←上から目線 笑)

▲銀閣寺
続いても有名な世界遺産の銀閣寺。
金閣寺を建てた足利義満の孫にあたる、8代将軍の足利義政が建てた禅寺です。
華やかなおじいちゃんの義満とは違い、義政は何だか心が落ち着く銀閣を生み出した。
金閣寺のような華やかな美ではなく、幽玄、侘び、寂びと呼ばれる新たな美を生んだ。
金閣と銀閣を比較すると、金閣は金閣が主役で回りの池や建物が脇役の役目に対して、
銀閣は建物が自然や庭園に溶け込むように配置されている。
この配置は足利義政が自ら指揮したので、彼の思想と美意識が感じることができる。
侘び寂びは日本独特の美意識となり、
茶道や華道、書院造や枯山水の庭園等の多くの日本文化を生み出す源となった。

▲銀閣寺
っと。勝手にダラダラと語っておりますが、
何となく禅の思想について雰囲気はわかった気がする。。。笑
でも、もっと深く禅について知ろうと思うと、禅を体験してみたり、
鎌倉時代に禅を日本に広めた栄西や道元が書いた本とか読んでみたらいいのかな。
まだまだ奥が深いなぁ。
つづく。

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こんにちは。
前回から始まった、禅についての独り言。笑
4月12日から5月22日に京都国立博物館で開催される特別展、
「臨済禅師1150年 白隠禅師250年遠諱記念 禅ー心をかたちにー」に向けて、
事前に自分で勉強しようと思ってブログにしました 笑
特別展を知ったのは「pen」という雑誌でした。
京都国立博物館の特別展「禅ー心をかたちにー」の予告HPはこちら

▲東福寺
前回は禅宗が日本に本格的に伝わった鎌倉時代の禅について独り言をしました。
鎌倉時代の禅は主に鎌倉の武士から支持を得ていました。
人間同士で殺し合う命がけの戦いの日々を送る武士にとって、
自分自身と向き合い、心を鍛える禅が精神的な支えになったためです。
そんな無骨な武士達に支えられた影響なのか、中国から輸入されたばかりの影響なのか、
鎌倉時代の禅寺はどこか中国風の雰囲気が漂い、飾り気の無いシンプルに感じます。

▲天竜寺
さて。
学校の授業を思い出すと、鎌倉幕府の次に室町幕府が登場しました。
室町時代には3代将軍の足利義満の金閣寺、8代将軍の足利義政の銀閣寺が登場します。
室町時代でも引き続き禅は武士に支持されて、禅宗のお寺が建てられました。
しかし同じ武士に支持されていても、鎌倉時代の禅寺の雰囲気が違います。
丸くなったというか、品があるというか、日本っぽいというか。笑
その理由は、室町幕府が京都という伝統文化都市に位置したことで、
武家文化が貴族文化の影響を受けたことによるものだと思う。。。多分

▲天竜寺
室町時代の禅寺としまして、
京都嵐山にある世界遺産の天竜寺は室町時代に建てられた禅寺です。
天竜寺と言えば、美しい曹源池庭園で有名。
金や銀で彩られた人工物は無く、自然物だけで構成される庭園を見ると、
結局、自然が最も美しいと思わされます。
曹源池庭園は臨済宗の僧侶である夢窓疎石(むそうそせき)により生み出され、
自然の中に美を見出す禅の思想に触れることができる気がした。

▲金閣寺
続いて有名な世界遺産の金閣寺。金色に輝く美。
3代将軍の足利義満によって建てられた臨済宗の禅寺です。
数ある禅寺の中でも金閣寺は異質なお寺です。自己主張が強い。笑
過去の禅寺と比較すると、本当に禅寺なの?と疑ってしまう。
何故に派手に輝くお寺になったかは、金閣寺を建てた足利義満を知ると少しわかる。
足利義満は武士でありながら、天皇を除くと一番偉い、太政大臣にまで登りつめた人。
足利義満は朝廷が持っていた裁判権や税金を取る権限を奪い、
京都の商人に多額の税金を課せることで大きな富や財産を築き、
また自分の息子を天皇にして、天皇の父親として日本の頂点に君臨することを望んだ人。
金閣寺は足利義満の巨大な権力を感じる象徴的な建物と言える。

▲金閣寺
そんな足利義満も禅宗を保護し、禅僧の夢窓礎石に師事していた。
足利義満は禅の思想をベースとしながらも、金閣寺には彼独自の思想が加えられている。
金閣は3階建てで、各階がそれぞれ違う建築様式となっている。
1階は寝殿造、2階は武家造、3階が禅宗造になっていて、
素人の私が見ると何だかアンバランスに見える。どうせなら1階も金色にすればいいのに。
きっと足利義満さんは3つの文化を取り入れて、
新しい文化をクリエイトしようとしたんじゃないかと思う。(←上から目線 笑)

▲銀閣寺
続いても有名な世界遺産の銀閣寺。
金閣寺を建てた足利義満の孫にあたる、8代将軍の足利義政が建てた禅寺です。
華やかなおじいちゃんの義満とは違い、義政は何だか心が落ち着く銀閣を生み出した。
金閣寺のような華やかな美ではなく、幽玄、侘び、寂びと呼ばれる新たな美を生んだ。
金閣と銀閣を比較すると、金閣は金閣が主役で回りの池や建物が脇役の役目に対して、
銀閣は建物が自然や庭園に溶け込むように配置されている。
この配置は足利義政が自ら指揮したので、彼の思想と美意識が感じることができる。
侘び寂びは日本独特の美意識となり、
茶道や華道、書院造や枯山水の庭園等の多くの日本文化を生み出す源となった。

▲銀閣寺
っと。勝手にダラダラと語っておりますが、
何となく禅の思想について雰囲気はわかった気がする。。。笑
でも、もっと深く禅について知ろうと思うと、禅を体験してみたり、
鎌倉時代に禅を日本に広めた栄西や道元が書いた本とか読んでみたらいいのかな。
まだまだ奥が深いなぁ。
つづく。