Pen(ペン) 2016年 1/1・15 合併号 [ひとり、京都。]/著者不明

¥700
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こんにちは。
最近コンビニでpenという男性向け雑誌を購入しました。
Pen 1/1号は「ひとり、京都。」特集です。
ひとり、京都というテーマに惹かれて購入してしまいました。 笑
「寺社や美術館、庭園を訪れるのでも、自分ひとりのペースで誰にも邪魔されることなく時間を過ごしたい。。。」という案内文から始まり、
ひとりでの京都の楽しみ方を紹介して頂けます。
男性誌ですが、ひとりで京都旅に行くことを計画してみてはいかが?(´・ω・`)

▲平等院鳳凰堂
さてさて。
雑誌pen様の言う通り、私も自分ひとりのペースで京都を巡ることは楽しい。
他人の意見や感想に左右されることなく、自分だけの感情を知ることができる。
例えば私の場合、
世界遺産のお寺を巡っては日本的な雰囲気に触れて癒されているうちに、
「お寺って何?」という初歩的なことも知らないことに気付きました。笑
最近は簡単そうな本を読んでお寺や神社の歴史を勉強中。笑
ちょっと勉強しては、また京都へ行くの繰り返し。笑
自分ひとりで、うんうん。と頷きながら巡る京都旅。汗
誰かに伝える気もなく、自己満足のために綴るブログです。
ご興味のある方はご覧くださいませ。笑

▲平等院鳳凰堂
京都にお寺はたくさんありますが、どうやらお寺にも種類があり、
お寺の宗派によって?雰囲気に違いがあるみたい。
京都巡りをするうちに、私にもお寺の違いが段々とわかってきましたよ。笑
今回は宇治にある「平等院鳳凰堂」に代表される、極楽浄土を願うお寺について独り言を。

▲平等院鳳凰堂
まず極楽とは幸せに満ちあふれた、一切の苦しみのない世界。
仏教が生み出した世界観であり、私は天国という単語に言い換えると身近に感じます。
私の場合はドラゴンボールの影響で、
子供の頃は死んだら天国か地獄に行くものだと信じていましたから。笑
この死後に極楽に行けるという考え方は10世紀末、平安時代末に始まったとされています。
生きている間に善い行いや、仏教を信仰すると極楽に行けるという発想が広がり、
平安時代は貴族たちに、鎌倉時代以降は庶民にまで極楽という世界観が伝わりました。

▲平等院鳳凰堂
そんな極楽への想いを形にしたと言える、極楽世界を表現したお寺があります。
宇治にある平等院鳳凰堂がその一つ。
私個人的に最も極楽世界を感じるお寺だと思います。10円玉の裏に描かれているお寺です。
赤色に彩られた豪華な建物、巨大な金色の阿弥陀仏像、屋根の上に羽ばたく黄金の鳳凰。
目の前に広がる池。笑 仏教の知識もない素人の私でも美しいなぁと思います。

▲三千院
続いて。
京都北部の大原にある三千院も、極楽世界を表現するお寺。
苔が広がる庭園の瑠璃光園の中に佇む本堂の往生極楽院。
往生極楽院には金色に輝く国宝の阿弥陀如来像が安置されており、
静かに時間を忘れて極楽世界を体験できます。
平等院鳳凰堂のような派手さ豪華さは無いけど、私は三千院の極楽世界のほうが好き。

▲三千院門跡
人々が極楽を求めた理由。
平安時代の終わり頃から戦争や武力による争いが起き始め、社会に混乱が生じました。
貴族によって社会が統治されていた中に、武士が登場したからです。
当時の社会は庶民は農作に務め、貴族は農民から税によって搾取する社会システムでした。
しかし社会の仕組みに反感を持った人達が武士となり、
武力を持って貴族社会から自立し始めるようになりました。つまり貴族の収入が減少。
当時の貴族たちは、いつかは社会を支配する立場ではなくなってしまう。。。
という不安から現実世界に希望を持てなくなっていた。

▲三千院
そこへ浄土教と呼ばれる仏教の一派であり、
人は生きてる間に善い行いや仏教に励むことで、死後に極楽世界に行ける。
という教えが貴族たちの間で流行しました。
貴族たちは現実逃避をするかのように、お寺や仏像を造りまくりました。
財力によって自分たちだけが死後に極楽世界に行くことを願いました。
そしてその後は学校で習った通り、武士が社会を支配する鎌倉幕府が成立しました。

▲東本願寺
鎌倉時代になると極楽を願う教えは貴族から庶民にも広がり、
法然の開いた浄土宗、親鸞の浄土真宗へと受け継がれていきました。
武士同士の争いが増え、庶民にとって不安は増えるいっぽうでした。
そこへ南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と念仏を唱えることで、全ての人が極楽へ行ける。
難しい勉強は必要ない、誰しもが簡単に極楽に行けるという魔法の言葉が流行しました。
社会が不安になると人々は神や仏や極楽のような世界に頼れる存在を求めるものなのか。
そして現在も極楽世界を求める教えは続いている。。。

▲東本願寺
科学が発達した現代で、極楽や地獄という世界を本気で信じる大人は少ないでしょう。
ただ、
極楽を信じて毎日善い行いに努めて、地獄に行くことを恐れて悪いこともしない、
極楽に行けると思うことで毎日の生活に少しでも希望で満たされるのなら、
宗教には精神面で人を幸せにできる力があるのかもしれない。
現実世界とは違う世界、極楽世界を作り出したことで、多くの人に生きる希望を与える。
宗教というか、考え方、思想の力って凄いなぁと思います。
人の弱い心につけこみ、お金儲けが目的の宗教は悪だけど。。。
そんなことを一人で考えてみる京都巡り。笑 いかがでしょうか?
そんなこと考えるのは私だけか。。。笑

▲知恩院
つづく。

¥700
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こんにちは。
最近コンビニでpenという男性向け雑誌を購入しました。
Pen 1/1号は「ひとり、京都。」特集です。
ひとり、京都というテーマに惹かれて購入してしまいました。 笑
「寺社や美術館、庭園を訪れるのでも、自分ひとりのペースで誰にも邪魔されることなく時間を過ごしたい。。。」という案内文から始まり、
ひとりでの京都の楽しみ方を紹介して頂けます。
男性誌ですが、ひとりで京都旅に行くことを計画してみてはいかが?(´・ω・`)

▲平等院鳳凰堂
さてさて。
雑誌pen様の言う通り、私も自分ひとりのペースで京都を巡ることは楽しい。
他人の意見や感想に左右されることなく、自分だけの感情を知ることができる。
例えば私の場合、
世界遺産のお寺を巡っては日本的な雰囲気に触れて癒されているうちに、
「お寺って何?」という初歩的なことも知らないことに気付きました。笑
最近は簡単そうな本を読んでお寺や神社の歴史を勉強中。笑
ちょっと勉強しては、また京都へ行くの繰り返し。笑
自分ひとりで、うんうん。と頷きながら巡る京都旅。汗
誰かに伝える気もなく、自己満足のために綴るブログです。
ご興味のある方はご覧くださいませ。笑

▲平等院鳳凰堂
京都にお寺はたくさんありますが、どうやらお寺にも種類があり、
お寺の宗派によって?雰囲気に違いがあるみたい。
京都巡りをするうちに、私にもお寺の違いが段々とわかってきましたよ。笑
今回は宇治にある「平等院鳳凰堂」に代表される、極楽浄土を願うお寺について独り言を。

▲平等院鳳凰堂
まず極楽とは幸せに満ちあふれた、一切の苦しみのない世界。
仏教が生み出した世界観であり、私は天国という単語に言い換えると身近に感じます。
私の場合はドラゴンボールの影響で、
子供の頃は死んだら天国か地獄に行くものだと信じていましたから。笑
この死後に極楽に行けるという考え方は10世紀末、平安時代末に始まったとされています。
生きている間に善い行いや、仏教を信仰すると極楽に行けるという発想が広がり、
平安時代は貴族たちに、鎌倉時代以降は庶民にまで極楽という世界観が伝わりました。

▲平等院鳳凰堂
そんな極楽への想いを形にしたと言える、極楽世界を表現したお寺があります。
宇治にある平等院鳳凰堂がその一つ。
私個人的に最も極楽世界を感じるお寺だと思います。10円玉の裏に描かれているお寺です。
赤色に彩られた豪華な建物、巨大な金色の阿弥陀仏像、屋根の上に羽ばたく黄金の鳳凰。
目の前に広がる池。笑 仏教の知識もない素人の私でも美しいなぁと思います。

▲三千院
続いて。
京都北部の大原にある三千院も、極楽世界を表現するお寺。
苔が広がる庭園の瑠璃光園の中に佇む本堂の往生極楽院。
往生極楽院には金色に輝く国宝の阿弥陀如来像が安置されており、
静かに時間を忘れて極楽世界を体験できます。
平等院鳳凰堂のような派手さ豪華さは無いけど、私は三千院の極楽世界のほうが好き。

▲三千院門跡
人々が極楽を求めた理由。
平安時代の終わり頃から戦争や武力による争いが起き始め、社会に混乱が生じました。
貴族によって社会が統治されていた中に、武士が登場したからです。
当時の社会は庶民は農作に務め、貴族は農民から税によって搾取する社会システムでした。
しかし社会の仕組みに反感を持った人達が武士となり、
武力を持って貴族社会から自立し始めるようになりました。つまり貴族の収入が減少。
当時の貴族たちは、いつかは社会を支配する立場ではなくなってしまう。。。
という不安から現実世界に希望を持てなくなっていた。

▲三千院
そこへ浄土教と呼ばれる仏教の一派であり、
人は生きてる間に善い行いや仏教に励むことで、死後に極楽世界に行ける。
という教えが貴族たちの間で流行しました。
貴族たちは現実逃避をするかのように、お寺や仏像を造りまくりました。
財力によって自分たちだけが死後に極楽世界に行くことを願いました。
そしてその後は学校で習った通り、武士が社会を支配する鎌倉幕府が成立しました。

▲東本願寺
鎌倉時代になると極楽を願う教えは貴族から庶民にも広がり、
法然の開いた浄土宗、親鸞の浄土真宗へと受け継がれていきました。
武士同士の争いが増え、庶民にとって不安は増えるいっぽうでした。
そこへ南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と念仏を唱えることで、全ての人が極楽へ行ける。
難しい勉強は必要ない、誰しもが簡単に極楽に行けるという魔法の言葉が流行しました。
社会が不安になると人々は神や仏や極楽のような世界に頼れる存在を求めるものなのか。
そして現在も極楽世界を求める教えは続いている。。。

▲東本願寺
科学が発達した現代で、極楽や地獄という世界を本気で信じる大人は少ないでしょう。
ただ、
極楽を信じて毎日善い行いに努めて、地獄に行くことを恐れて悪いこともしない、
極楽に行けると思うことで毎日の生活に少しでも希望で満たされるのなら、
宗教には精神面で人を幸せにできる力があるのかもしれない。
現実世界とは違う世界、極楽世界を作り出したことで、多くの人に生きる希望を与える。
宗教というか、考え方、思想の力って凄いなぁと思います。
人の弱い心につけこみ、お金儲けが目的の宗教は悪だけど。。。
そんなことを一人で考えてみる京都巡り。笑 いかがでしょうか?
そんなこと考えるのは私だけか。。。笑

▲知恩院
つづく。