神護寺
神護寺 金堂

こんにちは。

前回のブログは瑠璃光院に訪問した時のことを記事にしました。(11月30日訪問)

あれから12月となり、一気に寒くなりまして、

京都の紅葉は終了しました! 笑 (もっと紅葉を巡りたかった)

神護寺
神護寺 山門

11月から今まで京都紅葉情報なんて題名でブログを更新してきましたが、

更新が遅いために紹介できなかった場所がありまして、 汗

今更ながらブログにさせて頂きます。

神護寺
神護寺 山門

そのひとつが神護寺(じんごじ)です。

京都駅からはバスor車で50分くらいで行くことができる場所で、

個人的に大好きなお寺の一つです。

神護寺
境内

神護寺は京都駅からは北西の山の中にあり、

観光地の嵐山からは北のほうに位置します。

神護寺
神護寺 金堂前

紅葉で有名な高雄(たかお)と呼ばれるエリアにあるお寺。

普段はアクセスの悪さから人がほとんど人がいないのですが、

紅葉シーズンになると、もの凄い人出となります。 笑

神護寺
金堂前

高雄エリアのお店や旅館は、一年分の稼ぎを紅葉の時期だけで稼ぐそうだ 笑

そして紅葉が終わると来年のこの時期まで店を閉める。笑

神護寺
山門の後ろは山々

神護寺は空海が暮らしていたことでも有名。

歴史の授業で必ず出てくる人物の空海。

天台宗を開いたのが最澄で、真言宗を開いたのが空海って覚えましたよね? 笑

神護寺

空海とゆかりがあることで有名ですが、

和気清麻呂(わけのきよまろ)という神護寺を創建した人物も有名です。

神護寺

和気清麻呂(わけのきよまろ)は神護寺を創建した人物であり

平安時代に都を京都に移した人物でもある。

794(鳴くよ)うぐいす 平安京 ってゴロ合わせで年号を覚えましたよね。

西暦794年 今から1220年昔、日本の都が京都に移りましたが、

この首都の移管を推進した中心人物が和気清麻呂と言われている。

神護寺
大師堂

都が京都になる前は、ずっと奈良が日本の都でした。

710(なんと)見事な 平城京 って年号を覚えましたね。( 私だけ?笑 )

当時は奈良の仏教勢力が強すぎて、政治を自由に進めることができなかった時代。

神護寺

癒着やら政治が腐敗していたことに嫌気がさして、

当時の天皇、桓武天皇によって都が平城京から平安京へ移ることになった。

神護寺
金堂

神護寺の創建者である和気清麻呂(わけのきよまろ)は、

平安京への移動を進言し、都移動プロジェクトの中心を担ったそうだ。

神護寺

それはつまり、

今の京都があるのは 和気清麻呂さんのおかげってことですか!?

神護寺

きよまろさん。

あざ~す !

日本の都を奈良から京都に移してくれて。

神護寺

また来たい場所です。

神護寺

境内に行くためには、

長い階段を登る必要がありますが。。。笑

皆さん。気楽に観光気分で神護寺に行くと。

痛い目を見るかもしれませんよ 笑

神護寺