こんにちは。

まだ梅雨です。外を歩いていると汗がジワジワ。風のない京都はさらにジワジワ。

知恩院行ってきました。笑


三門 国宝 江戸時代 徳川秀忠によって建立。

今までこの三門の前は何度も通ってきたのですが、

今回初めて境内に入りました。

(今回写真のサイズを間違えました。。。大きくてごめんなさい。汗)


三門から境内を覗く

今回は浄土宗の開祖である、法然を巡るぜ!。。。と勝手にテーマを決めてやって参りました。

(。。。と言いつつ、いつも通りそんなに深い知識もないですが。)

法然について中学校、高校で習ったことと言えば、

浄土宗=法然

浄土真宗=親鸞

臨済宗=栄西

曹洞宗=道元

時宗=一遍

と、鎌倉新仏教として他の宗教と開祖のセットで単語で覚えただけ。

テストもその組み合わせを穴埋めで問われるくらい。それで終わり。笑

それ以上法然について全く知らないし、他の人も同じレベルだと思われる。


阿弥陀堂と御影堂を繋ぐ回廊

法然が生きた時代は内乱と天災が多く、人々は平和に生きることができなかった。

貴族の時代、平安時代から武士の時代、鎌倉時代へと移る。

保元の乱、平治の乱、と戦争が続いて起きて多くの人が死んだ。

大火事、台風、飢饉。食べる物がなくて餓死する。

疫病の万延、

京都でも大地震が起きた。死ぬということがいつだってすぐ側にあった。


方丈庭園前の回廊

いつ死んでもおかしくない。

現代のストレス社会なんて天国と思えるくらい生きることが大変な時代。

病気の原因もわからない、薬もない、食べるものがない。



南無阿弥陀仏と唱えることで誰でも天国に行くことができる。。。

人々にとって、法然のこの言葉が心の拠り所となった。



当時は仏教の教えが世間の常識。

但し、多くの庶民は貧しく、文字も読めなかった。

極楽浄土なんて世界を本気で信じ、自分は死後、地獄に行くことを本気で恐れていた。

(バカじゃねーのか。と現代なら思うけど、当時はそれが世間の常識だった)



極楽浄土に行くには、

僧となって厳しい修行をするか

僧や寺院に多額の金品を寄付することができる人 笑  のみとされていた。



正直、

怨霊や地獄や末法思想等も寺院にお金が集まるようにするための

すべて演出。

人々が神や仏を信仰すればする程、寺院にお金が集まる搾取体制が完成されていた。



庶民にとっては、毎日の生活も大変なのに、死んだ後も地獄なのか。。。涙

と絶望だらけ。

法然はそんなのおかしいと。

法然はそんな世間の常識を打ち破る思想を生み出し多くの人に支持された。



ただ、南無阿弥陀仏と声に出して唱えるだけ。

これで、誰でも極楽浄土に行くことができる。

生活のために犯罪を犯してしまった人も根っからの悪人も関係なく、

すべての人が、南無阿弥陀仏と唱えるだけで仏から救われる。



多くの人にとって、やさしく自分を肯定してくれる法然は

心の支えとなったのかもしれないない。

多くの人が法然の元を訪れ、法然を支持する人が急激に広がった。



あまりに支持者が増えたことで、旧来の寺院は自分達の支持者(金づる)

が法然を支持するようになったことで批判を繰り返し、陰謀によって

法然は京都から四国に配流されてしまう程だったとか。



南無阿弥陀仏と唱えるだけですべての人は救われる。

当時の常識、社会と変える程の魅力をもった法然。

詳しくは知らないけど、深く知りたくなりました。



なんか宗教って言葉はマイナスイメージが強すぎるような。

生きていく上で必要な教えというか、道徳と言った方がしっくりくるのか。

自分が生きていく上で必要と思うなら、勝手に選べばいい。

宗教って怪しいものじゃなくて(怪しいものもあるが)

生きていく上で心の支え、判断基準を指し示してくれるような。

自分で考えて、必要なら自由に選べば良し。

そんなことを考えながら、坂道だらけの境内を歩きました。笑

って長々と中身のないブログでどうもすいません。