中国茶、
貴重であるほど、茶ガラさえも愛おしい。中国の飲茶屋に行けば、自分が飲んだ後の茶ガラを持ち帰り用に包んでくれるサービスがある。コレクターの私、さまざまな地域のものを持っている。しかし、茶ガラに関して、未だに後悔していることが。
初めて、広州に行った時、懐がさびしいにも関わらず、その地域では誰もが知っている超高級店で、お茶を嗜んだ。Francis Laiの、あの有名な唄が似合う、エロティックで、ほっこりした橙色が見える分厚いガラス戸、やさしく黒光りを放つ内装、美男美女に歓迎され、独りでは勿体無い大きなテーブルがある個室に、ちょこんと居座る。
大衆的なチャーハンが3元(33円)でお腹いっぱい食べることができたこの時代、私が注文した武夷岩茶は1壺600元。素晴らしい広東菜を食べながら、お茶を待つのだが、中国南方特有の開けっぱなしのドアからくる突然の報せ。海苔のような強い香りが、私の鼻を侵略した。それでもなお、少しずつ、私にお茶が近づく。
普洱茶至上主義であった地元愛の強い無知な田舎者が、一気に寝返った日になった。X年経った現在でも、最高のお茶である。
もう1壺注文する財力もなく、何かできないか、遺せないかと足らん脳で考えた末、お世話をして頂いた美女のスタッフと写真を撮る。お支払いも済ませ、自分なりに感謝の意を表明した。そして、お茶ガラを丁寧に包んでくれていたであろうその時、私はトイレ(個室の中の)にいた。どんな国でも、ウォシュレットを使ってみたがる好奇心旺盛なナイーヴな私、しかし、停止ボタンを押しても止まらない。ゆっくりと立ち上がってみる。結果的に、フタをすれば被害は最小で済んだのだが、ただでさえパニクりやすいパニクりまくった人間、異国、外国製のトイレ、なかなか開かない内鍵、そして、自分の身より大事な一眼レフを守る21歳の僕ちんは、水流強のムーブメントを被るしかなかった。ようやく、フタをして落ち着いたころには、ずぶ濡れ。こんな姿を見せることができないつまらない矜持、カメラの安否が心配な無礼な21歳は、スタッフに最後の挨拶もせず、店を飛び出した。
結局、カメラは無事だったのだが、SDはデータ破損し、茶ガラも忘れるという大失態。出来事とモノをリンクさせて、心にインプットしたい私。その思い出にモザイクがかかる。
落ち着いてから、もう一度来店したらよろしかったやん、と100人中99人に言われたのだが、4時間というトランジットの中で限られたスモールジャーニー。机場と市街地の離れ過ぎた中国の特徴も理解しつつも、あのジャックバウアーでさえ、そのミッションを遂行できたのかという、1秒も無駄なアクションができない緊張感の中、飲茶屋で長居し過ぎた自分を責めながら、振り返ることなく、タクシーのシートに水が染み込む。
茶香炉
味も色も出し切った、燃え尽き症候群の茶ガラでも、こうやって最期の香りを愉しむことができます。そして今、静かに焚かれて、香りを愉しみつつ、iPhoneを執っています。
それからというもの、所長が、岩茶にハマり、茶養生学を勉強し、このモノポール珈琲研究所でも、提供することになりました。
茶ガラが必要な方は、お申し付け下さい。