第90議会議決後に於ける帝国憲法改正案枢密院審査委員会記録 1946年10月19日
<標準画像 10/18>
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/04/129_1/129_1_010r.html
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貴族院の学会権威の反対に対して私は極力国体不変を旗印とした。
かかる紛糾の一つの経路は従来八束博士の学説を基礎にしてこれある
が故に日本ありと云うもの 即ち国家不変の根本本質が 国体でありそれ
が現行憲法第一条 第四条で示されていると考えられた。ところが今回の様
な急変に会うと実に深く考えねばならぬこととなった。従来現実に政
治をなさる場合の根本点が天皇にある。これが納税者の意味であるとされて
いたが、思うにこれは根本々質ではない。国民生活の中心点をみたされると
云うことが本質であって天皇が個々の権能を有たれることは本質ではない。
更に深いところに国体を求めた新聞社等の報ずるところで議論が岐れたと
云うことの印象があるが実質的には一致していたと思う。
世の中の動きを導くかの点については官製解釈はとらない建前であ
るからまっしぐらに政府の見解を押し付ける積もりはない。しかしあらゆる機会
に趣旨を普及させたいと考えている。
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前の記事(9/18)で、主権の所在と国体の変質について審議されていました。
そのことについての(誰かの)注釈、覚書のようです。
冒頭の 「資料と解説」 によれば、「佐藤事務官の要約筆記に基づいている」 入江俊郎文書であり、
「第1回と第2回の審査委員会に出席した法制局側の記録」 となっています。
このメモ(注釈)を書いたのは誰なのか。
おそらくは、入江俊郎氏か金森氏でしょう。
佐藤事務官の筆跡ではないことだけは、確かなように思います。
内容としては、金森氏の考え(論の展開・レトリック)の核心だと思います。
整理します。
○貴族院の学会権威の反対に対して私は極力国体不変を旗印とした。
貴族院の学会権威の方々は、国体が変わることを反対理由としていました。
大日本帝国憲法での主権は国体にあったことが明白だったからです。
だから、(GHQの意図に沿うために)国体そのものは変わらないと説明し続けた。
大日本帝国憲法の焼き直し(一部改正)である松本案では、
主権は法人たる国家にある
となっていたからです。
そして、松本氏は退けられ、マッカーサー草案が配布され翻訳され、
日本国憲法の原案として審議するように指示された。
審議の内容がGHQの意図に沿わないなら、沿うように誘導する。
それが、この(委員会の)審議の目的です。
そうしなければならなかったのは、GHQ(占領軍)にそのような権利はないからです。
占領国が、「占領地ノ現行法律ヲ尊重スル」 というヘーグ条約に違反して、
法律に違反する以上の最高法規を制定するように誘導したからです。
だから、「日本濃く憲法公布の勅語」 で、
自由に表明された国民の総意によって確定されたものである。
即ち、日本国民は、みづから進んで戦争放棄し、
全世界に、正義と秩序とを基調とする永遠の平和が実現することを念願し…
と言わしめた。
自由に表明された国民の総意
公職追放された人々は、独立回復の年(1951年まで)追放状態が解かれることは無かったのです。
その数は、数十万人と言われています。
GHQの意に添わぬ人々は、選挙で選ばれた国会議員であっても追放された事実を考えると、
廃墟と食料難の戦後復興に懸命な日本人の総意というのは…
GHQの意を日本人の総意とした。
そして、そのための日本人への再教育(洗脳)は、テレビやラジオ・新聞を通じてされました。
敗戦の混乱と廃墟と飢餓の中で、救いとしての憲法。戦時中の軍部に責任があるとした。
繰り返し、繰り返し…
日本軍が悪かった。日本人を解放した。
そして、日本国憲法の素晴らしさを日本人に広めるために尽力した。
そのために、憲法普及会を作り、学校でも一般家庭にも手引き書を配布した。
その内容は、日本国憲法、国民主権、民主主義の素晴らしさのスリコミでした。
(この件についても、後日、記事にする予定です)
○紛糾の一つの経路は従来八束博士の学説を基礎にしてこれあるが
八束博士とは、穂積八束氏(1860年3月20日 - 1912年10月5日)のことです。
○即ち国家不変の根本本質が国体
という考え方です。国体が変化してはならないから、紛糾したのです。
○ところが今回の様な急変に会うと実に深く考えねばならぬこととなった。
松本案が退けられ、松本国務大臣は公職追放され、マッカーサー草案を提示されたことです。
実に深く考えねばならないのは、紛糾を収拾するための詭弁についてだと思われます。
○従来現実に政治をなさる場合の根本点が天皇にある。
これが納税者の意味であるとされていたが、思うにこれは根本々質ではない。
国民生活の中心点をみたされると云うことが本質であって、
天皇が個々の権能を有たれることは本質ではない。
国民生活の基軸になることが本質であるということです。
天皇の権能が本質ではない。
○更に深いところに国体を求めた新聞社等の報ずるところで議論が岐れたと云うことの
印象があるが実質的には一致していたと思う。
更に深いところに国体を求めた。新聞社等の報道で議論が分かれた印象があるが、
実質的には(議論は分かれておらず)一致していた。
○世の中の動きを導くかの点については官製解釈はとらない建前であるから、
まっしぐらに政府の見解を押し付ける積もりはない。
政府の考え押し付けないという建前であるから、まっしぐらには(表向きは)見解を押し付けない。
○しかしあらゆる機会に趣旨を普及させたいと考えている。
ここでいう趣旨とは、GHQの趣旨でしょう。
実際、先にも述べたように、あらゆる機会を捉えて憲法普及会が活動するようになります。
本音と今後の方針が現われています。