2023.10.29

 

ここ2日かは出張と遅くまで出かけていたため、書けておらず。でも昨日仕事をひとつ手放すことが決まった。先方からのお話しだったが手放すことで軽くなったのだ。大変な仕事だったわけじゃない。逆に教えてもらってばかりだったり、自分が整う場所でもあったのだ。それでもいつのまにか「その仕事があるから守られている」感覚だったのだろう。手放すことが決まった途端にそう感じた。その仕事ありきで他の仕事も人生も組み立てていたようだ。これからはまっさらな自分で、なにからも守られるものがない状態でやっていくのだ。それがたのしみだと思えてる自分がいたのが驚きだ。これまでの7年で随分と自己確立ができたものである。なにもない状態でのスタートだが、自分の中にはたくさんのものが入ってると感じる。ないのにあるという、それも満タンであるという感覚は穏やかであり、未来を想像するとワクワクするものである。

 

そんな昨日の今日で、今日は1日充実していた1日だった。まず目覚めから違うのだ。まだなにも環境や状況は変わっていないのに、自分の内側が変わるだけでこうもエネルギーが違うのか、という面白い体験のひとつである。どんな未来を想像するのか、そこに立つ自分はどんな自分なのか、それは今から作られるもの。必要なことをしていくとしよう。

 

ちなみにだが、今日上手くいったことがある。突然仕事の依頼が入る。常連のケーキ屋さんに行くといつものスタッフさんが対応してくれる。氣持ちのいい接客である。仕事が1件ひと段落付く。確認依頼をしたらすぐに電話で対応してもらえる。休憩時間の確保。他にも氣付いたものはある。やはりその場でメモをとることにしよう。じゃないと、忘れてしまうから。言われたのである。「できないところ見るよりも、できたとこ、上手くいったところを拾って、そこを活かそう」と。文章にすると至極もっともなことのように聞こえるが、できてるか?と問うと、今は「これから」と答えるのが妥当だろう。

 

手放す話に戻るが、完全にさよならというわけではない。一旦チーム解散といった流れだ。また再集結するだろう。それが3年後か5年後か。いつになるかは分からないが、それぞれがそれぞれの分野で腕を磨き輝く生き方を続けまた集まるとなると、そんな未来は心強く心躍りやはりたのしみなのである。そのための一歩は今日をどのように生きたか(過ごしたか)なのだろう。手放すことになるのはもう少しあとの話だ。毎日が準備で毎日がお稽古で毎日が舞台のようではないか。

 

今夜は早めに休み自分と対話する時間を設けることにしよう。