昨日お伝えした「後縦靭帯骨化症」は
劇的に回復するといった病ではないので
今日からしばらくの間は、「くも膜下出血」について
お届けします。
最近では、グローブのKeikoさんがなった病気ですね。
11年前のことなので、私も詳細は覚えていないのですが、
手術で助かった場合、どんな経過をたどるのか
よかったら参考にしてください。
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「株式会社○○の○○です。
実は先ほど、ご主人が倒れまして……」
「えっ…?」
「会社で倒れて、近くの病院に救急搬送されました」
クマさんの会社から、連絡があったのは
2001年1月19日、雪の降る寒い日の夕方6時半でした。
翌日のセンター試験に備えて、
受験生の前で最後の説明をしているとき
壇上で倒れたそうです。
バタン!ではなく、しなしなと倒れ込む感じ。
すぐに救急車が呼ばれ、病院に運ばれたそうです。
「あの日はすごい雪だったよな~。
救急車に乗せられるときの景色と音は覚えているよ」
そう、くも膜下出血で倒れたといっても
本人は気を失っていたわけではないのです。
でも、クマさんの記憶があるのはここまで。
その後、大変な手術が行われるとは
本人はもちろん、付き添ってくれた会社の方、
そして私も、想像もつきませんでした。
◆◇◆◇◆
知らせを聞いて、すぐに
クマさんの実家と、自分の実家にも倒れたことを伝えました。
自分でも何を言っているのか分からないくらい動揺していたと思います。
泣かないでおこうと思っても、冷静になれないのです。
その時、九州の義母に言われた言葉が今でも耳に焼き付いています。
「アッコさん!泣いたらいけん!
あんたがしっかりせんといけんよ!!」
そうです。
病院にかけつけなければならないんですから
泣いている暇なんてないんです。
当時、子供たちはまだ6歳と9歳。
雪の中、一緒に連れて行くわけにはいきません。
とりあえず近所の友人宅に預け、
私は病院からの連絡を待ちました。
夜の8時ごろだったでしょうか。
会社の方から「手術のできる病院に行く」という連絡が。
その時、初めて
倒れた原因が「くも膜下出血」であることが分かりました。
クマさんが最初に運ばれたのは千葉市内の病院。
そして、これから運ばれる病院は、日本医科大学千葉北総病院
雪でどれくらいかかるか分からないが、
そちらに直接行ってほしいとのとこでした。
あの日、千葉では考えられないほどの大雪の中
電車が動いていたのは奇跡です。
そして、クマさんが倒れたのが
多くの人の前だったというのも奇跡!
夜の帰り道で倒れていたら、多分助からなかったでしょう。
くも膜下出血の手術とはどんなものなのか、
家族はどんな書類にサインしなければならないのか、
明日は、手術についてお届けします。