旅の五日目
今回のバイク旅は行き当たりばったりやけど、大まかな方角と、行ってみたい所を幾つかリストアップして臨んだ旅でした
その中の一つが、知覧特攻平和会館
日本人として、靖国神社と広島長崎の原爆資料館とこの知覧特攻平和会館は、見とくべきやと思っていたから。
知覧へ向かう前に、朝いちで西郷どんに会いに行って
いまタイムリーやもんね
知ってる人も多くいるやろうけど、西郷どんの顔は、写真とか銅像とかとは違うらしい
写真嫌いとか、暗殺を恐れてなどの説があるけど、資料が少ないんやて。
上野の銅像の除幕式に奥さんが立ち会った時「これはうちの人と違う」と言うたとか
死後しばらくは、政府にとったら逆賊扱いやったけど、理想主義者でもあったみたいや。
名前に至っては、西郷隆盛という名前さえあやふやで、20個以上の名前を使い分けてて、そんな事はどうでもええと思ってたんやて
でも間違いなく、近代日本を作った立役者の一人やもんね
鹿児島で勉強したんや
鹿児島市から南へ下がって知覧まで
それは結構山の中にあった
元々は飛行機の訓練所やった知覧が、太平洋戦争の末期に戦況が悪化してきた時に、沖縄を死守するために、地理的条件などから特攻隊の出撃基地に選ばれたうちの一つやと。
本館内は撮影禁止
引き上げられた零戦
会館の中には数々の資料が展示してあって、特攻隊員の最後の手紙が綺麗な字でしたためてあった
戦争末期という事もあり、そのほとんどは未成年で、若い子は息子とかわらんぐらいの年の子も。
自分が明日特攻すると言うのに、両親や兄弟の事を気遣って、「見事に散ってくるので笑ってください」と。
未成年が多いからか、お母さんに宛てた手紙が多かった。
靖国神社は悲しかったけど、知覧特攻平和会館は切なくなった
戦争は絶対あかんけど、この国を守ろうとして散って行った彼らを、英霊として讃えてあげたいと私は思う。
特攻隊員が寝起きしていた三角兵舎は、敵に見つからんように質素な作りで、出撃命令が出た最後の夜にささやかな宴を開いてもらって、ここで最後の手紙を書いたという。
教習用の二人乗り。
知覧特攻平和会館の横はグラウンドになってて、野球少年の元気な声が聞こえていた
平和が一番やね
五日目はもう一回だけ続きます。