14日から始まった義父のモルヒネ投与でしたが、16日になっても意識がはっきりした状態に、モルヒネ=死だと思っていたのにそうではないので私は軽い焦りを覚えていました。
自分の中ではモルヒネ投与が始まったら翌日の15日に義父は亡くなり16日にお通夜、17日に告別式ぐらいの感覚でいたのです。
義父の心臓には人工弁が入っていたし、過去に3回もカテーテル術でステントを入れているぐらい血管の状態も良くないこともあって長くはもう持たないと思っていました。
その後、16日から17日へと日付けが変わった12時半ごろ、残業を終えてベッドに入った旦那の携帯に病院から電話がかかってきました。
隣の部屋で同じようにベッドに入った私にも聞こえる声で「あかん!病院からや!」と叫びつつ電話に出ると「呼吸が弱くなってきたのでお越しいただきたい」と連絡がありました。
とりあえず手元にあった服に着替えて車庫で待っていましたが一向に旦那が出てこず、挙句の果てに車のカギを持たずに出てきたのです。
家から病院まで車20分。義母の時は病院まで40分だったので到底間に合いませんでしたが、今回は間に合うとそう思っていました。
急いで病室に入ると涙を浮かべた看護師さんが「息子さんが来られましたよ」と義父に声を掛けたので私たちも「おじいさん、来たよ」と何度も声を掛けましたが反応がありません。胸の上にあった小さなモニターを見ると心電図の波形が波打ってないのです。
「もしかして亡くなっている?」と恐る恐る看護師さんに聞いてみると「5分前まではしゃべっていました。みんなに世話になったと言っていました」と。
結局、義父は4日の午後に入院し、9日に余命宣告、14日朝にモルヒネ投与を開始し、
17日の1時半ごろに亡くなりました。
亡くなるぎりぎりまで意識があってきっとしんどかったと思います。
それでも旦那や義弟には最後まで弱音を吐かず「しんどくない」と言い張りました。
義父は肺気腫と間質性肺炎を患っていて、最後は誤嚥性肺炎から間質性肺炎を増悪させてしまいました。
原因はいろいろあります。
総合病院では必ずレントゲンや血液検査は受けていましたが、かかりつけ医に代わってからは薬のみで診察を受けていませんでした。
咳や痰が出ていたのにそのままにしていました。
毎日のように飲酒してこたつで寝落ちしていました。
一人暮らしだったので食生活も十分ではなかったと思います。
もうすぐ義父の四十九日法要があります。
決して仲が良かったわけではありませんでしたが、病院に連れて行ったり意外と二人で過ごした時間は義母より長かったです。
そして義母の時にはなかった喪失感からなかなか立ち直れないかもしれません。