3月22日

 

前日までの雪が嘘のようにとってもいいお天気の息子の卒業式

 

キャンパスごとの卒業式で学部ごとに3回に分けて挙行されました。

さすがマンモス大学です。

旦那はキャンパスに入るのが初めて。最初で最後です。

 

それから6日後の28日に息子は自宅から高速で1時間の所に引っ越していきました。

 

と言っても30日には友達とご飯と言っていきなりの帰省。

 

1泊だけしてまたアパートに戻りましたが、1週間後の6日にはまた友達と遊ぶとかでまた帰省する予定です。翌日は私の実家のお祭りなのでそこに参加して夜には戻るみたい。

 

今日は入社式?入職式?に行っているはず。

ちゃんと起きれているかちょっと心配ですが、子離れせねばです。

 

これでようやく子育て完了です。

 

扶養家族もいなくなったのでばんばん税金を納めることになるでしょう。

 

 

丁度1週間前に末っ子の国家試験がありました。

 

 

試験会場は家から電車で1時間ちょいの所にありましたが、昨今の鉄道事情が良くないので近場のホテルに泊りました。

 

 

 

ホテルは新大阪駅にあって友達もその辺に泊ったようです。

 

 

試験時間は一日目は9時半から17時45分まで、二日目は9時半から18時まで途中の休憩は50分から1時間半とちょっと長くなかなかのハードなスケジュールでした。

 

 

 

 

朝が起きれているのか不安で電話するのも過保護かと思い、とりあえずおはようのスタンプだけ送っていました。

 

 

2日目の18時過ぎに旦那が「終わったか聞け」と言うのをなだめて18時半ごろにお疲れスタンプを送ったところ5分後に「おつかれす」と返事が来ました。

 

 

 

 

自己採点をしてご飯を食べて帰るということで息子の帰宅を待ちました。

 

 

しばらくして自己採点で多分合格だとLINEがきてホッとしましたが、一緒にいた友達の一人が必須問題で点数が足りなく足切りにあったと言ってきました。

 

 

 

 

必須問題には合格のラインがあり、そこを超えないと他の科目で点数が取れていてもダメなんだそうです。

 

 

 

 

10日後には卒業旅行に行く予定なのですが今からキャンセルしてももったいないので行くみたいです。

 

 

あとは合格通知が届いて引越しをすればおおよその子育てが完了します。

そして4月からは結婚以来初めての夫婦二人暮らしが始まります。

 

 

 

 

旦那が留守がちだけど、息子の分のご飯をつくらなくて良くなるので今以上に自分の時間が増えると思います。

今はまだ時間があればパソコンでモバゲーしかやっていませんが、ちょっと違うことも始めてみたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ショックでしかありません。

 

罹患される前からブログをフォローさせてもらっていました。

 

国立医大を出られ、医者でありながら4人のお子さんを育てられていて

綺麗で自分にはないものばかりで。

 

ガンもきっと先生なら克服できると勝手に思っていました。

 

残念です。

 

 

 

先日、旦那のお供で東京に行った時のことです。

 

 

先にホテルに荷物を預け、ホテルの道向かいのカフェでランチをしました。

 

 

 

暖かい日だったのでコートとストールは腕にかけてお店を後にしました。

店の前でタクシーを拾い、10分ほど走って目的地に到着しタクシーを降りようとしたところでストールがないことに気が付きました。

 

 

 

仕方がないのでもう一度タクシーに乗ってカフェに戻りましたがカフェには無く外にも落ちていませんでした。

カフェは地下にあって食後お店を出てからエレベーターに乗って数歩歩いてタクシーに乗っているので落とすところはエレベーターか歩道しかありません。

 

 

 

それでも見つからないということは誰かが拾って警察に届けてくれているのかもと電話もしてみましたが届いていませんでした。

 

 

 

この落としたストールは普通の物ではなく、20年ほど前に誕生日プレゼントとして旦那に買ってもらったものなんです。

値段は当時で20万円は超えているので結構自分的にはいい物だと思っています。

 

 

 

息子曰くメルカリで売ってるんじゃないかと言うので毎日見ていますが、そんな簡単には見つからないと半ば諦めています。

 

 

 

ストールは全面に立体的な刺繍がしてあり、多分カシミヤだと思います。デザインが洋服にも和服にも合うので重宝していたのですが残念でなりません。

 

来週には丁度京都に行く用があるので買った伊勢丹を見てこようかと思っています。

下の息子の学費を払い終わりました。

これで最後です。

 

長かったー!

 

最初の予定より娘が大学院に行った2年間が余分にあったので

本当にしんどかったです。

 

もう計算すると涙が出そうになるので学費の総合計は出しません。

 

 

 

それでも最後の納付書だけ載せておきます。

 

これが6年間です。

 

小さな家なら建ったなぁ。

 

今住んでいる家のローンはまだまだ終わってません。

あと20年ぐらいあるのかしら。

 

どこかで繰り上げ返済はするだろうけど、とりあえず

4月からは学費の分は貯蓄に回します。

 

2年前に娘が就職して学費が浮いた分はほぼ私の着物へと

代わってしまいました。

どんだけ買ったのかは旦那には内緒です。

もう買わない!と決めて先日、江戸小紋を一枚買ってしまいました。

そう言いつつ薄物の道行コートも欲しいので着物に対する

物欲は終わりがありません。

 

そうは言っても3月には息子の引っ越しが控えているので、初期費用はいるし

多少なりと家具は揃えないといけないので、しばらくは我慢します。

 

 

今年のお盆は息子の奥さん抜きでの帰省でした。

奥さん側のお墓にも行きたいということで夫婦別行動となりました。

 

夫婦仲良くしててくれたら息子の奥さんの方は無理に帰省してくれなくてもいいというスタンスでいます。それに加えて息子の奥さんはうちの旦那が苦手なので仕方がないと思っています。

 

 

 

そんなお盆は13日は旦那の方の墓参り、14日はショッピングモールで映画とお買い物、15日は亡くなった義父の家を片付けて夜は車庫でBBQしました。

 

 

GWにBBQをした時は上手く炭を熾せなくて焦げ焦げでしたが、今回はまぁまぁの感じで焼けました。

あと初めてガンガン焼きをしました。最初は牡蠣の予定でしたがエビも食べたいのでエビ入りを注文したら牡蠣が入ってなくてホタテとエビだけで牡蠣のたべたかった下の息子は大ブーイングでした。

なので牡蠣のガンガン焼きは来年のGWに持ち越しとなりました。

うちではBBQと言えばガーリックおにぎりで、今回も3合分作りました。

またお盆でのアルコールの消費量も半端なく

下の息子が買ってきたウイスキーと

上の息子がもらった結婚祝いの日本酒をそれぞれを半分以上飲んでしまいました。

 

私は飲めないけど、子供たちと旦那が楽しそうにお酒を飲んでいるのを見ているのがとても楽しいのです。

 

次回の帰省はお正月です。息子の奥さんも次は来るのでそれまでに義父の家を寝られる状態にしないと。親はいつまでも忙しいです。

 

先日、末息子の就職の内定がもらえました。

 

まさかこんなに苦戦するとは。まわりはほぼ決まっていたので。

 

普通の就職からしたら全然苦戦していないんです。

 

ただ採用試験は1回で決まると思っていたので最初の所が不採用で

かなり焦りました。(私が)

 

おまけにその不採用の通知が来た日は上の息子の披露宴の前日。

 

娘と二人でヘアセットに行ってレンタカーを借りている、まさにその時でした。

 

きっと落ち込んでいると恐る恐る家に帰ったら意外と吹っ切れた様子でいました。

 

落ち込んだのは10分。さっさと切り替えて次の所を受けないともう無いからと。

 

そうなんです。この時すでに公立は全部採用試験が終わっていたので残りは私立しかありません。

 

ちょうど私がおすすめしていた病院の求人があったので速攻で申し込みました。

 

試験日に病院に行くと受付には息子ともう一人だけしかいませんでした。

 

ちょっとびっくりだったのがそのもう一人が同じ大学だったのです。

 

その子も内定をもらったようで4月から同僚になります。

 

あとは研究をさっさと終わらせて卒試と国試に向けて勉強していくだけです。

 

授業料もあと1回です。

 

内定先は家からは通えないのでまた住むところ探しが始まります。

 

3月はまた引っ越し。上の息子と娘と含めると今回で6回目の引っ越しです。

 

 

 

 

 

 

14日から始まった義父のモルヒネ投与でしたが、16日になっても意識がはっきりした状態に、モルヒネ=死だと思っていたのにそうではないので私は軽い焦りを覚えていました。


自分の中ではモルヒネ投与が始まったら翌日の15日に義父は亡くなり16日にお通夜、17日に告別式ぐらいの感覚でいたのです。

 

義父の心臓には人工弁が入っていたし、過去に3回もカテーテル術でステントを入れているぐらい血管の状態も良くないこともあって長くはもう持たないと思っていました。

 

その後、16日から17日へと日付けが変わった12時半ごろ、残業を終えてベッドに入った旦那の携帯に病院から電話がかかってきました。

 

隣の部屋で同じようにベッドに入った私にも聞こえる声で「あかん!病院からや!」と叫びつつ電話に出ると「呼吸が弱くなってきたのでお越しいただきたい」と連絡がありました。

 

とりあえず手元にあった服に着替えて車庫で待っていましたが一向に旦那が出てこず、挙句の果てに車のカギを持たずに出てきたのです。

 

家から病院まで車20分。義母の時は病院まで40分だったので到底間に合いませんでしたが、今回は間に合うとそう思っていました。

 

急いで病室に入ると涙を浮かべた看護師さんが「息子さんが来られましたよ」と義父に声を掛けたので私たちも「おじいさん、来たよ」と何度も声を掛けましたが反応がありません。胸の上にあった小さなモニターを見ると心電図の波形が波打ってないのです。

「もしかして亡くなっている?」と恐る恐る看護師さんに聞いてみると「5分前まではしゃべっていました。みんなに世話になったと言っていました」と。

 

結局、義父は4日の午後に入院し、9日に余命宣告、14日朝にモルヒネ投与を開始し、

17日の1時半ごろに亡くなりました。

 

亡くなるぎりぎりまで意識があってきっとしんどかったと思います。

それでも旦那や義弟には最後まで弱音を吐かず「しんどくない」と言い張りました。

 

 

義父は肺気腫と間質性肺炎を患っていて、最後は誤嚥性肺炎から間質性肺炎を増悪させてしまいました。

原因はいろいろあります。

総合病院では必ずレントゲンや血液検査は受けていましたが、かかりつけ医に代わってからは薬のみで診察を受けていませんでした。

咳や痰が出ていたのにそのままにしていました。

毎日のように飲酒してこたつで寝落ちしていました。

一人暮らしだったので食生活も十分ではなかったと思います。

 

もうすぐ義父の四十九日法要があります。

決して仲が良かったわけではありませんでしたが、病院に連れて行ったり意外と二人で過ごした時間は義母より長かったです。

 

そして義母の時にはなかった喪失感からなかなか立ち直れないかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

余命宣告を受けた義父でしたが、ちょうど入院して1週後の休日に様子を見に行くことが出来ました。

 

義父は面会に行くとナースステーションの向かいの看護師さんがすぐに駆け付けられる部屋で思ったより元気そうに過ごしていました。

その日の家族LINEでも「おじいいちゃん、持ち直したよ」と打っていることからもその後、状態が悪くなるとは思ってもみませんでした。

 

それから3日後の土曜日の朝、病院からモルヒネを投与していますと連絡が来ました。

 

あんなに元気だったのにと少し驚きましたが、旦那を待たずに先に病院に駆けつけました。

 

病室に着くと義父の呼吸は少し荒い感じでしたが、意識ははっきりとしていて拍子抜けしました。というのも自分の父が同じ病気でモルヒネを投与した時はもう意識がなかったからです。

それからすぐにお休みだった看護師の姪っ子も駆けつけてくれて、義父が意識がある状態であることにびっくりしていました。

 

午後には個室に移り少し自由にお見舞いが出来るかと思っていましたが、義父の体力が消耗してしまうからと1回の面会を5分、その後30分間隔を開けて面会をするようにと規制がかかりました。

 

ただ、会わせたい方があれば会わせてもいいと配慮を頂いたので、次の日の日曜日はたくさんの人に面会に来ていただき、意識のある状態で義父との最後のお別れをしてもらうことが出来ました。

娘は午後に、息子夫婦は夕方には帰ってきてくれてそれぞれ面会することが出来たのです。

 

 

次の日の月曜日はそれぞれ仕事があるため、合間をみて面会に行きましたが、私は仕事が詰まっていたため抜けることが出来ずその日は面会をしませんでした。

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

義父は救急車で運ばれたものの付いていった旦那も濃厚接触者であるため隔離された部屋で待たされることとなります。

 

結局、2時間ほど待って診断されたのが肺炎ということで入院となりました。

 

なかなか病室も空いておらず、またコロナ禍ということで面会も出来ず、とりあえず旦那は一旦帰宅することにしました。

 

パジャマも下着も全部レンタルしたのと家族みんなが濃厚接触者であったため義父が欲しい物も届けることが出来ずに困っていたところ、姪っ子がその病院で働いていたこともあって携帯電話を持って行ってもらうことが出来ました。

 

それから入院して5日ほど経ったころ病棟から連絡があり、酸素吸入を無意識に外してしまうため血中酸素濃度が下がっていること、電話をすると息が上がってしまうので一旦詰め所で携帯電話を預かると電話がありました。

 

それとさほど変わらない時間に主治医より今後の治療方針について話がしたいと電話がありました。

酸素を外してしまうことから少し拘束されてしまうのかなと呑気に話していましたが、実際はそんな悠長な話ではなかったのです。

 

 

旦那と二人で病院に行き主治医の話を聞くと、肺炎の薬の抗菌剤が効いていないこと、間質性肺炎の薬のステロイドの効果があまり出ていまいことをを言われました。

 

投与している酸素濃度も高濃度になり限界値まであまり有余がないと言われたのです。

この先の治療としては出来ることがなく、苦しみを和らげるために人工呼吸器をつけるかモルヒネで緩和する事しかできないがどうするかの選択を迫られました。

 

長い長い沈黙の後、旦那は「モルヒネでお願いします」と涙をこらえて言うしかありませんでした。

 

その後、先生の計らいで数分だけ面会することが出来、相撲が見たいというのでテレビカードを買っていくと嬉しそうに手を合わせていました。

 

つづく