4日前、アメブロのアカウントを一新し、


数ヶ月ぶりにブログを書きました。


投稿した途端、多くの反応がありました。


たくさんの「いいね!」、


数々の愛あるコメント、


個別に送っていただいた励ましのメッセージ。


読んでいただくだけで十分ありがたいことなのに。


「おかえり」


「お帰りなさい」


「ブログだけと言わず、ライブ、待っています」


「復活期待しています」


…と。



ブログの再開も、


音楽活動の再開も、


待っててくださる方々が


こんなにもたくさんいらっしゃるとは


本当に予想外です。


ありがとうございます。


今はまだ、それしか言えないけれど。


こんな勝手な私を待っていてくださる人たちに


心から感謝しています。




私は、しあわせです。




「しあわせ」って、人それぞれです。


何をもってしあわせというのか。


どこにしあわせを感じるのか。


しあわせの定義は、人それぞれ。




では、私が「しあわせです」と言い切れるのは、


なぜか




前回のブログに書いたとおり、


私は音楽活動休止中のシンガーソングライターです。


「売れたい」から始まったユニットでの活動を


人間関係を理由にやめました。


気力も体力も失ってしまったので、


ソロでの活動もおやすみしています。


いつ活動を再開するのか、


再開するのかどうかさえ、


決まっていません。




人と関わるということ、


誰かと何かをするということ、


価値観の違う人間と理解し合うこと


それがどれほど難しく、


どれだけ大切で、


どれほどのエネルギーを要するのか。


あらためて思い知った1年でした。




たくさん傷付けて。


たくさん傷付いて。




でも、


どんなに傷付けられても


その人のことを嫌いになれない自分がいます。



思い出すことの大半は、嫌なことなのに。



勝手なことばかり言われた日々。


いつ何を命じられるか分からない不安。


納得いかないことで怒られたこと。




「路上ライブをしてください。


サポートで他の楽器を入れてもいいけど自分は出ません。」


という勝手なミッション。


ユニットなのに、私ひとりで?


他の人って、誰?


ユニット組んだ意味って、なんだろう?


なんて疑問を持つ余裕もなく、


これも私の訓練だと、


自分に言い聞かせていました。


(結局やらなかったけど 笑)




次のリハーサルまでに歌えるようにしておいて、


と突然送られてくるカバー曲。


これまで殆ど触れたことのないジャンルの、


激しい洋楽。


コードもキーも分からない。


歌詞も英語でテンポも早くて、


まずなぜこの曲を選曲したのか理由も不明。


でもこれも、私のため。


やったことのないことに挑戦するのは良いことですし、


苦戦しながら投げ出したくなりながらも、


形になったときの喜びを味わえたことには


感謝しています。




第三者の失敗なのに、


私が怒られたこともありました。




ライブのときは毎回、DVDの録画を依頼してました。


お金を出せば、ライブハウス側で撮ってくれます。


「次に活かすために録画は必須」と


毎回の録画を命じられました。


DVDを家に持ち帰り、その日のうちにチェック。


持ち帰るのは私ではありません。


私のための活動のはずが、


チェックしているのは私のことより自分のこと。


お金を出しているのは私なのに、


DVDは自分のものだと、持ち帰られたまま。


しかも、私のスマホでも録画させられて、


動画を送信しろと言う。


スマホだったらすぐにチェックできるから、


と最もらしい理由をつけて。


容量が大きいから、毎回何分割にもして、送る。


結構な手間でした。



あるとき、


いつも通りライブハウスにDVD録画を依頼したのですが、


ライブハウス側の手違いで、


録画できていなかったことがありました。


手違いやミスは、


確かにプロとしてあってはいけないこと。


とは言え、人ですから、間違うことはあります。


だけどミスしたのは私ではない。


それなのに、私がものすごく怒られました。


後から知ったのですが、


その日は音楽事務所の人をライブに呼んでくれていました。


せっかくアドバイスをもらったのに、


そのDVD事件もあってライブハウス側との話に時間がかかり、


お待たせしてしまって話す時間がなくなる


という悲劇(?)も重なって、


怒りは増しに増しておりました。



すべてが「私のせい」でした。



他人にここまで怒られるって、


いつ以来だろう…。


涙すら出てこない。


駅でひとり、震えながら帰る。


なんでこんなに怒られなければならないのか。


私は悪くないはずなのに、


ひたすらメールで謝っている自分がいる。


なんかよく分からないけど、


大変なことをしてしまったような錯覚。


あのときの心境は、


今思い出しても生きた心地がしなくなります。


この歳になって、そんな思いをするとは


今だからこそ笑えますが、


予想外にも程がありますね。



でも


私のために色々考えてくれていたことは確かで。



「もっとたくさんの人に聴いてほしい」


「音楽で多くの人に喜んでもらえるようになりたい」


「売れたい…」



そんな私の願いを叶えるために


時間と労力を使ってくれていたことは間違いなくて。



だからこそ私は、


自分が悪いと責めてしまった。



だからこそ私は、


自分の気持ちを押し殺してしまった。



だからこそ私は、


自分を傷付け、


相手をも傷付けてしまった。



売れるためならなんでもする


という覚悟が足りない自分が悪い。



やりたくないことも、


第三者を巻き込んででも、


言われたことを実行できない自分が悪い。



私は、せっかくのご好意を無にしてしまっている。


私のためにやってくれているのに、


言われた通りにできない私が悪い。



それでも



それでもやっぱり、できなかった。


言われたことに従い続けることは、


できませんでした。




私を思ってくれているとは


感じられなかったから。




私は愛情たっぷりで育ててもらいました。


だからきっと、感じるんです。


そこに愛があるのか、ないのかを。




とは言え、


そうやって私は、


相手を傷付けてしまったことに変わりはない。


自分のことも傷付けながら。



人は…いや、私は、


相手を傷付けることで自分も傷付く、


ということも知りました。




それなりに深く傷付いて、


大好きだった音楽活動を休みたくなるほど傷付いて、


今に至っています。




それでも私は


その人の奥底にある「やさしさ」を


今でも信じています。



それでも私は


その人のことが嫌いになんてなれません。



私は、


どんなに勝手な言動に困らされても、


どんなに言葉巧みに言いくるめられても、


どんなに苦しくて嫌な思いをしても、


その人を、


心底嫌いになることなんて


できません。


尊敬すら、してしまうのです。



だって、


どんな人にも、


その人にしかできない使命があるから。


その人にしか持てない魅力があるから。


その人にしか進めない道があるから。




どんな人にも、


人を思いやるやさしさがある。



どんな人にも、


生きる価値がある。



どんな人にも、


生まれてきた意味がある。



愛情たっぷりで育ててもらっても、


愛情不足で育ってきたとしても、


この世に生まれてきたことに


変わりはないのだから。




どんなに傷付いても、


どんなに傷付けられても、


嫌いになんてなれないって


本気で思っている私はやっぱり、


しあわせです。