目の前の自分を
許すことに
本気になる
私ね
ここ一年で3kg太った

30半ばの3kgは
お腹につくんだなー
とわかった

あ、あと腰にも!
そんな自分を
鏡で見るたびに嫌で。笑
自分のことを見るたびに
うわぁ〜

太ったって
悲しくなっていた。
あと焦りも。
自分を鏡でみて
うわぁ〜

って思うの
めっちゃ悲しくない?
悲しかったー

だから痩せようと思った
(決意)

でも痩せなかった
(挫折)

ダイエットのための
行動が
なにもかも
続かなかった。
なんでだろう?
って思った。
若干
自分は痩せられない体質なんだ、、
と思ったりさえもした
笑

なんでだろう
なんでだろう
と考えた。
それで
あるとき気づいたの

あ
私が今の私を

許してないからか

って

ここが説明するのが
難しいんだけど、
人って基本
ありのままの自分で
存在していていい
と思いたい

でも
育った環境だったり
不運なことだったり
そういうのが
重なって
ありのままの自分じゃ
いけない
と心が思い込んでしまう。
これは本当は心っていうか
脳の学習能力のせいだと思う。
でも本当は
ありのままの自分で
存在していていい
と思いたい。
私の例で言うとね

3kg太った(事実)
学習した脳:このままじゃいけない。太った自分はいけない。痩せないといけない。
(なぜそう思ったかという理由があるんですが、
今回は省略します
)

心:このままの私でいい。
こんなふうに
学習した脳と心
にギャップが生まれるの。
だから
痩せようとする行動は
学習した脳のことを肯定する行動で
心を否定する行動になっていた。
だから
心が
STOPをかけてくれていた。
そのままの私で
いいよ
って

脳が勘違いしているよ〜
その考え方、やめないと
心が苦しいよ〜
そう教えてくれていた

心はいつだって教えてくれている。
行動が出来ない時、
それは心がサインを出してくれている。
その行動、本当はしたくないって

まーそれでも無理してやろうと
思ってしまうのが
人間なのですが
←え

それでね

私はこう思った。
太っていても大丈夫。
どんな私でも大丈夫。
価値は変わらない。

そう認めた。
太った自分を許した。
そうすると
やっぱり痩せた



無理して食べなくなって
痩せるための行動ってよりも
自分を大切にする行動
ができるようになった。
自分の身体への栄養の適量を
意識するようになって
食べすぎていたことがわかった

太っている ✖️
痩せている ○
じゃなくて
自分 ○
でいい

適量食べるのもいい
美味しいものいっぱい食べるのもいい
今自分が
わくわくする方を
選択をする。
そういうことが
私は今まで
出来なかったんだなぁ

ということが
わかった

今もまだ
練習中です
