母、父のもとへ3 | 乳管内乳頭腫が乳がんだった

乳管内乳頭腫が乳がんだった

3年前に乳管内乳頭腫と言われその後経過観察
2017年6月に乳がんになってしまいました

帰る途中、一度『戻ってきて!!』という電話がかかってきました

しかし持ち直して、看護士さんからも大丈夫と言われたそうで

そのまま戻ることに。

帰っていろいろ用意をして・・・おっさんには夜のご飯を買いに行ってもらったり

正直ゆっくりしていました。

現実逃避なのか、落ち着いていたのか、大丈夫っと思っていたのか。自分が解らない

 

1時間ほど準備をして引き返すことに

 

雨が降っていました

 

ちょうど名古屋インターチェンジそばに来たとき、姉から電話

今どこにいる?と

もうすぐ名古屋インターチェンジだと答えると

『そう、解ったゆっくりおいで』って

 

ん?何かおかしい??気がする・・・・

 

bluetoothで、電話の取り方はわかるけど、かけ方がわからん!!

 

傍にいるであろう姪にかけたかったのですが、できず・・

 

運転中、『今日は3月3日か。。。3日かもな。。。』母はきっとみんなが忘れない日に

亡くなるとずっと思っていました。

祖母は姉と母の誕生日の間の日、叔父はGW。祖父は戦争

父はバレンタインデーだったので母は3月14日かも・・なんて思っていたんです

 

道中、事故らないように、スピード違反で捕まらないようにそんなことを考えながら

車を走らせていました

 

 

 

夕方の渋滞に巻き込まれながら

やっと病院に

 

病室を開けると

 

 

目を真っ赤にした姉と姪が駆け寄ってきました

 

え??間に合わなかったの??

 

黙っている二人

 

母のそばに行くと、まだ温かい母

 

『まだ温かいよ』

 

うなずく二人。

 

何も考えられなかった

ただただ温かい母の顔を触ることしかできなかったです

 

どうやら名古屋インターで電話がかかってきたときに亡くなったそうで

私以外の親族には知らせたそう。みんな向かっているって

姉が私が事故を起こさないように言わなかった。うん、それでよかったと思う

 

今は全員が集まってから医師が死亡宣告するらしく

少ない親族が集まった18時過ぎに宣告がありました

 

きれいにしてもらう母。

もともと綺麗なほうの母なので、びっくりするぐらいお顔はきれいでした

 

 

母が亡くなるって子供の頃は想像できなかった。

側にいてほしくて、側にいるものだと思っていました

 

亡くなる前日甥夫婦を名古屋駅まで送っていくときに

どういうわけか父が入院していた病院の前を父が亡くなってから初めて通りました

そして忘れてはいけない出来事の一つ!緩和病棟に行くように指示があった日、

私が一人で実家でお風呂に入っていると誰かがいる気配

(椅子をひく音が聞こえた)がして、姪が帰ってきたのかな?

と思ったのですが、結局誰もいない。もしかしてお父さん??

お父さんむかえに来た??

 

きっとお父さんがむかえに来たのだと思います

絶対!!

 

10年前に父が亡くなって母はすごく落ち込んで。。。脳出血を起こしてしまいました

今はお父さんと仲が良かった先日乳がんで亡くなった幼馴染と一緒に楽しくお酒を飲んでいると思います

 

余命宣告されたとき、思い切って母に感謝の気持ちを言えてよかった。

言いたくても言えなかった後悔はしたくなかったので私はよかったと思う

 

母はどう思っていたのかわからなかったけど

だから私を待っていなかったのかもしれないです

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