母、父のもとへ | 乳管内乳頭腫が乳がんだった

乳管内乳頭腫が乳がんだった

3年前に乳管内乳頭腫と言われその後経過観察
2017年6月に乳がんになってしまいました

3月3日、母は父のもとへ旅立ちました

 

ここからは私の備忘録としてつづりたいと思います・・・

 

緩和病棟への移動は20日となりました。

それまでは血液内科で今まで通りの治療、(ハイドレアの服用、輸血)を行いました

 

姉は母が入院が嫌いだったため、緩和の主治医に

『家に帰らせたい、私たちが留守の間(全員働いているので日中は母一人)何かが起こっても

それは仕方がない、納得しているので退院させたい』と強く希望しました。

私は心配でしたが、姉と話し合い、看護士の友達にも相談して

本人、家族が望むことが一番だって解り、承諾しました

 

主治医も『ご飯が食べれて、熱も出なければ退院していいですよ』とおっしゃってくださり、

3月2日に退院が決まり、その間は日中は病院、夜に外食に連れて行きました。

ご飯はしっかり食べ、すごく喜んでいました。

 

3月1日、夜みんなと家でご飯を食べて私の希望で母と病院に一泊しました。

緩和は家族が泊まれるのでありがたいです。

 

なかなか寝付けなかったんですが、ある時、ふと、自分が起き上がりました。なぜ

起き上がったのかいまだわかりませんが。無意識に。

その時母を見ると私を見つめていました。

トイレに行きたかったようです。この出来事は本当に不思議でした。

 

そしてまた寝つき・・・何か物音で起きると母がトイレに行こうとうろうろしていました。

起き上がってトイレに連れて行こうとすると、『あんたは耳がいいねぇ』って言っていたのが

嬉しい一言です

 

その後、もう一度トイレに。ご飯をしっかり食べているので大きいほうを2回しました。

 

おむつの世話は一度やると平気になってしまって。看護婦さんを呼ぶこともなくきれいにすることができました。

 

緩和病棟は心電図とかの音も聞こえず(乳がん、再建の入院の時、うるさいくらい何か機械の音が看護士詰所から

していました)

すごく静か。詰所には看護士さんは常に不在でたくさんの病室を見回っているようでした

 

2日、広島から甥夫婦が来てくれました。

姉妹で退院手続、姉夫婦、甥夫婦、姪、私、母とウナギを食べに行きました。

半分ぐらい食べました。食べないとまた入院だと思っているようです。

家に帰って、しばらく休ませて。その間めいめいのことをしました(私はイオンに行きました笑)

夜は父が好きだった蕎麦屋に。

ビールと蕎麦掻、そば豆腐、天ぷら、そば一段をしっかり食べました

そば豆腐なんて、私の分まで食べているし、天ぷらも車海老の天ぷらを3本、私は

冷凍のほうのエビでした>笑

 

すごく楽しかったです。

 

 

そして帰宅。

その時ふらふらするって言っていて私はビールを飲みすぎたかな?(実際いつもより飲んでいた気がした)

よっちゃったかな??くらいしか、思っていませんでした。

 

そして早めに母は寝ました