長女が「魔の二歳児」を迎えたとき。
第一子の子育ては初めてのことだらけで、ただただ育児が大変で、寝ても寝ても寝たりなくて、私の体力が追い付かなかったほど。
寝不足になるとママもイライラ、それが子供に伝わってギャンギャン泣かれて、おもちゃぶちまけられて、またイライラの繰り返し。
魔の二歳児というものがあることは分かっていたけど、こんなにキツイの?
いつまで続くの?
ホントに二歳で終わってくれるの???
言葉で言っても通じているような通じていないような、分かっているフリが出来ちゃう年齢でもあって、自分の良いことだけを受け入れてテキトーに交わす術を持ち合わせているような子でした。
長女の育児はいつも頭の中がハテナマークでいっぱいでした。
長女が二歳から三歳になるころ次女がヨチヨチ歩き出し、どちらも目が離せずに、さらに育児ストレスでイライラしっぱなしでADHDを疑うヒマすらありませんでした。
長女が二歳の頃は旦那さんの転勤で関東地方から関西地方に家族で引っ越し、当時は兵庫県に住んでいたので、慣れない子育てと慣れない生活環境の中でも親子で楽しみたいと思い、週3でママ友たちと子育て広場に行ったり、お互いの家を行き来して持ち寄りランチを楽しんだりしていました。
魔の二歳児っていうぐらいだから、きっと周りのお母さん達も同じぐらいきっと大変な育児を味わっているんだって自分に言い聞かせていました。
ママ友と子育ての話になってもみんなが「こっちも育児大変よ~!」っていうから、同じ大変さで良かったと変に安心したり。
でも、今思うと「大変のレベル」が数倍も違っていたんだなって分かりました。
子育て広場に行ったときに長女と周りのお友達の成長を見比べてみたりしても、市の健康診断みたいなところに行ったりしても普通に診断され、他の子と著しく違うところが見当たらず・・・検診でも一度も引っかかりませんでした。
見た目も普通で、成長の遅れも指摘されなかったので、親の私でもなかなか気づけない病気だなと思います。
私は長女の育児が大変すぎて、長女(当時二歳)に手をあげてしまったり、娘に当たる毎日で育児ノイローゼになりつつありました。
ママ友の子供と遊んだり子育て広場に居る時は、活発でいつも元気で天真爛漫でお友達も多くて、伸び伸び遊んでいて楽しそうだなと思っていましたが、年齢を重ねるうちに協調性がなくて飽きっぽくて集中力がなさすぎかな?と思うようになりました。
飽きっぽいのもこれも性格の一つだから仕方ないかなと思うようにしたり、でもそういうところが目につくようになったり。
それでもまだADHDや発達障害を疑うことはありませんでした。
でも、幼稚園の入園式の日に前代未聞の出来事をやらかした長女。
後にも先にも、入園式の日にそんなことをする園児はいなかった・・・、と園長先生のお言葉。
うちの長女が最初で最後でしょうって。
ハイすみません。
その出来事は次のブログで。