たおとMondpaco -2ページ目

たおとMondpaco

ゆったりゆうゆうわくわくすぺーす(*^o^*)とTao

前回、メッセージを綴ってから妙にざわついてしまって、しばらくしてからもうあのときの「今この瞬間」はあのときにしか表現できないことなのだと。もっと大切にしないと。なんだかわからないけれどいとおしさを覚えてしまった。

 

それが自分のなかのどくどくしたものであろうと、ざわざわしたものであろうと、やりきれない、どうしようもない憤りがわきあがってきたものであろうと、自分とともにいてもいいんじゃないかって。

 

どんなに打ち消そうとしたって、嫌なことだってあるし、避けたいことだってある。どうして熱して熱くなってしまった鍋を無理やり冷やさなければならないのか、ふと違和感を覚えてしまった。

 

こんなつよい情動や衝動はそのときにしか表現できないし、あとから思い出して表現したとしても、きっとそのときの情動や衝動そのものではないだろう…

そうおもったのだ。

 

☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆

 

今しか表現できないことが生きづらいのならば生きづらさに素直でいる。

 

降り止まない雨はないのだから…

 

すべてが無駄ではなかったのだ。

すべてが「今この瞬間」にあったのだ。

つむがれていた。

 

☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆

 

ネガティブさの根っこが苦しみならばその苦しみを徹底化してみよう。

おのれだけでなく社会、人類、地球、宇宙…にまで徹底化してみよう。

 

「一切皆苦」

 

苦そのものから苦に対する自分の側のありようへ還る

 

苦を枠や不完全さへ置き換えてみるならば、この三次元のシステムに身を置くことで、枠や不完全さをも経験するためにこの地球にうまれてきたのではなかったのか?

 

しかし

ただ、それだけでもないはず…

 

枠や不完全さがあるからこそ生を観ずることができる。

 

きっと

生の甘美さがあるのである。

 

不完全、それでいて完全なのである。

 

生は甘美である…

 

離散性。

一見バラバラにみえるものがつむがれていた

 

離散性。まだかたちになっていないところにあるまだかたちになっていないことを創造し目に見える形へ表現する、一見バラバラのようにみえるもの、一見バラバラにあるものを紡いでいって、ちがっていていっしょ、とともにある…

 

☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆

 

『バケモノの子』のなかで「意味は自分でみつけろ!」と。

それがぼくのなかで剣のように胸のなかに生きつづけているんだ。

 

なにかおおいなるものにつつまれている…

妙な安心感につつまれていて

ただいま。

おかえり。って

妙ななつかしさを覚えてしまって。

 

ほんとうは意味があるとかないとかどうでもよくて。

 

意味は自分でみつけるもの。自分でつくるもの。自分の人生はみずからつくっていくものであり、自分自身を表現することであると。だからこそ私たちは決めること、願うことができるのである。

 

私たちには制限にこだわらない自由さがあるのだから…

 

過去という「今」も未来という「今」も大切にして、現在という「今」「この瞬間」を大切に生きていくことだってできるのである。

すべてが「今この瞬間」にあるのである。

 

すべては選択である。

それは必然である。

すべては必然である。

それは選択である。

 

☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆

 

「生は甘美である…

 

まだかたちになっていないところにあるまだかたちになっていないことを創造し目に見える形へ表現する、一見バラバラのようにみえるもの、一見バラバラにあるものを紡いでいって、ちがっていていっしょ、とともにある…」ことをわかちあう。

 

それがぼくの意味である。

 

そして

 

二極統合

 

それが僕の意図である。

 

☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆

 

それが前回、前々回、そして、このメッセージを綴った意味なのかもしれない。

 

☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆

 

正直、

今、どんなに考えても、今の自分には何をしたらいいのかわからなくなってしまった。

 

…けれども、

 

今の自分にできることを考えたとき、

自分自身を表現することであり、このメッセージを伝えることであった。

 

そして

このメッセージを伝えることがぼくにとっての小さな一歩となった。

 

このメッセージを伝えたことで、

これでやっと、等身大の自分のままで小さな一歩が踏み出せた。

 

ありがとう。

 

とある図書館にて。

前回のメッセージではネガティブな思いをそのままに綴って、生きづらさといったネガティブさも、ネガティブな思いをもっているおまえ自身が悪いとか、そもそもネガティブな思いをもっているおまえ自身の問題だからと、不特定多数の誰かの目に触れる場で綴って、ネガティブさをありのままに表現していいのかとつっこみが入るかもしれないとおもったし、かといってスルーされるだけで、そもそも誰にも相手にされなければむなしいともおもった。

おまえ自身も、おまえのメッセージもぜんぜん成長していないし、後半は教訓めいたメッセージだとうざったいとおもった人もいると想像するけれど、それでも、なんだかわからないけれど、ネガティブさを押し殺さなければならないわけのわからない空気に生きづらさを覚えたのである。ぼくにもきちんとネガティブさもあるし、それにぜんぜん成長していないし、懲りずに同じことを繰り返している。それでも、自分自身を観る。今のぼくにはこんなメッセージしか綴れない。それでも、いとおしいんだ。

二重否定

二重ジャッジ

二重洗脳

 

「たくさんの人たちとつながらないと自分には価値がない」

「夢や目標をもたないとどんどんダメになってしまう」

「個性がないと自分でなくなってしまう」

という二重否定

 

「つながれない自分はダメだ」

「価値がない自分はダメだ」

「夢や目標がない自分はダメだ」

「弱い自分はダメだ」

「ネガティブな感情はダメだ」

「ポジティブでいなければならない」

「個性がなければならない」

「他人と協調しないと社会で生きていけない」

「普通であるべきだ」

「無難にしているしかない」

 

「{こんな自分はダメだ}はダメだ」

という二重ジャッジ

 

「個性がなければならない」と「他人と協調しなければならない」

という二重洗脳

 

「ほんとうは変わりたくない」

 

根っこのおもい

 

「ほんとうは変わりたくなんかない」なんて

そんなことをおもってはならないと

自分で自分を否定している

 

それでも

なんだか生きづらい

 

生きづらさ

違和感

 

違和感そのものから

違和感に対する自分の側のあり方へ還る

 

二重否定、二重ジャッジ、二重洗脳、二重…、二重…

葛藤する

 

ほんとうは何がしたいの?

今、何をかんじているの?

自分って、何者?

 

もしかしたら

自分自身へ還るメッセージなのかもしれない

 

目の前の現実がどうしても受け容れ難い

受け容れ難い現実ならば受け容れ難いと感じている

受け容れ難いと感じている自分を否定している

自分を否定している自分を否定しない

否定しないと判断している

 

受けとる…

 

否定しないと判断している判断を判断しない…

 

 

手に取った本に

「自分が今、もっとも欲しているこたえがあるページをひらく」と

開いた…

 

「えええ゛ぇ…、こんなはずはない」と

ほかのページを開いて

否定したくなる衝動にかられてしまった

 

今、起きたことを消し去ってしまいたい

なかったことにしたい

 

否定したくなるくらいの抵抗や反発をしてしまったのに…

気になる

 

どうしても気になって、気になって、気になって仕方がない

 

抵抗しながらも、反発しながらも、違和感を覚えていた

 

もんもんとしたまま…

 

なんとかして

否定したくなる衝動をおさえて

否定している自分自身を受け容れようとする

 

それでも

自分のなかの

受け容れようと

受け容れなければならないと受け容れたくないとの狭間で

自分のなかの「強制」と「禁止」の狭間で

対立し、葛藤して

またザワついてしまった

 

受け容れることすらも否定したくなったら…

 

ゆさぶっているのは誰?

ゆさぶられているのは誰?

 

ゆさぶっているのも自分

ゆさぶられているのも自分

 

それでも

自分とともにいてみる

自分とともにいてあげる

自分とともにいる

 

あああ

今、この瞬間に、ハッとする

ハッとした瞬間、吾に還る、、、

 

ただ、今この瞬間にあった

ただ今この瞬間に佇んでいた

自分にくつろいで…

 

そぉっと…

掬いあげる

…。

 

メッセージそのものから

メッセージに対する自分のあり方へ還す

 

メッセージそのものも大切

大切なのだけれども…

実はメッセージに対する

自分のあり方そのものがメッセージ

…であるという視点へ還ることができた

 

なんと 軽やかで

なんと 創造的なのか…

 

 

自分は何者で 自分はどこからきて 自分はなぜいるのか…

それは…

静けさとともにおとずれる…

 

fermata

 

 次の「今」という序章のはじまり…