あまちゃんを毎日、見ている。
それがどんな意味があるのか。世間で評判だから見ているのか。
好きな DJ が見ているからか。
尊敬している先輩も見ているからか。
宮藤官九郎だからか。三陸の地震が悲惨で、同情しているからか。もっと言えばその悲惨な震災地に行ったからか。
新しい物語はない。人の感情に食い込んでくる物語があり、それは人類の誕生から変わらないのだと思う。
人種によって違うのか。
あまちゃんの魅力は何だろう。毎朝、牛乳で浸したフルーツグラノーラをほおばりながら、能年玲奈の演技に一喜一憂している。
物語の磁力は、どこから入ってもだいじょうぶなところだろう。15分で、十分なのだ。人は15分で物語を語ることができるのだ。感動を盛り込むことも、笑いを盛り込むことも、15分で可能なのだ。
毎日、ドラマが起承転結を盛り込んでいる。すごい才能が、一種のオマージュと素直さによって形成されていることに驚く。
人生の魅力とは、すんでいる場所ではない。場ではなく、人なのだというような台詞があった。小泉今日子が、田舎を恨んででてきた人よりも、田舎を捨てられずに持ち続けている人のほうが、結局成功するというようなことを言っていた。
ちょっと記憶違いもあると思うが、だいたいそんなニュアンス。
それで思い出したのが、南場智子のインタビュー。結局、経営はテクニックではなく、一種の強い欲望のようなもの。なりふり構わないで猪突猛進する人が結局、最後には勝つ。
それがなかなかできないから、ほとんどの人は凡人なのだ。不満と愚痴の人生を送らざるを得ないのだ。$McJのブログ-長い髪の能年玲奈