こんにちは。内田明子です。

 

年末年始は、紅白も見ずにずっとSpotifyで音楽を聴いていました。

 

私は米津玄師さんの曲が好きなのですが、先日、米津玄師さんの「パプリカ」の英訳を担当されたネルソン・バビンコイさんのインタビューをALCさんのサイトで読む機会がありした。

 

 

以前からEテレでパプリカの英語版を見るたびに、ずいぶんと原曲と印象が違うなぁと思っていたので、この記事を読んで、翻訳の難しさを改めて実感したのでした。

 

 

 

 

今日は、この歌の歌詞からいくつかのフレーズをピックアップして日英の対比をすることで、翻訳や英作文をするときの視点について考えてみたいと思います。

 

個人的には、米津玄師さんの「パプリカ」の詞は、輪郭の曖昧な、大人が昔の夏の記憶を思い起こしているような懐かしくもの悲しいような印象を与えるに対し、どういうわけか、ネルソン・バビンコイさんの詞、明るく元気のある子どもらしい雰囲気があるように感じています。

 

一体この違いはなんなのかと何度も歌詞を見比べた結果、いくつもある要因の中で、次の二つが際立っていました。

(1) 「撞着法」の使用

(2) 「人称代名詞」の使用

 

少し難しい言葉をなので、ひとつずつ実例を挙げながら見てみましょう。

 

1. 「撞着法」の使用

撞着語法とは、別名「オクシモロン(oxymoron)」ともいい、意味の矛盾するような言葉を対置して並べることで、印象に残る表現を得るレトリックを指します。一般的には、「賢明な愚者」「明るい闇」などがわかりやすい例として挙げられます。米津玄師さんの作品は「撞着語法まみれ」と言って良いくらい、彼の作品は撞着語法に特徴付けられます。早速例を見てみましょう。

 

パプリカ花が咲いたら 晴れた空に種を蒔こう

サビの部分ですし音として聞いているとあまり意識しないのですが、ここに撞着語法と考えられる表現が含まれています。

 

「空に種を蒔こう」 当たり前のことですが、通常私たちが「種を蒔く」のは私たちの足下にある、土であり地面です。それなのに、ここでは「空に種を蒔く」という天地逆転した表現が用いられています。

 

これは英語ではどう訳されているのでしょうか。相当する英訳部分を見てみましょう。

Paprika, when our flowers start to bloom Put the seeds into your hands and throw them in the sky

 

 英語の特徴として、1つの音符に一語を乗せなければならいので語数が増えてしまうのは避けられないのですが、見比べてみると"when our flowers start to bloom"の"our"/"start"、"Put the seeds into your hands"(手に種を取り)の部分が追加されています。

 

問題の「空に蒔く」の部分は、"throw them in the sky"と訳されています。つまり、「種を蒔く(植える)」とう意味から、「種を空に投げる(=撒く)」という意味に変更されています。

 

従って「空に種を蒔く」という天地逆転した意味が消えてなくなってしまっています。

 

日本語では「種を(空に)まく」と言った場合、「蒔・播く(plant)」の意味と、「撒く(throw/scatter)」の意味、どちらにも解釈でき、そのどちらの意味が本当なのかは曖昧にされていますが、英訳する際は意味を明確に限定しなければならないという難しさがここに現れています。

 

もうひとつ例を見てみましょう。

 

帰り道を照らしたのは思い出の影法師

通常「照らす」のは「光」であって、「影」ではありません。しかしここでは「影法師が帰り道を照らした」と言っているので明かな撞着語法です。

 

では英語版ではどうなっているでしょうか。

Memories will light the way back home

「帰り道が照らされている」という意味については正確に訳出されていますが、残念なことに「影法師」という言葉は影も形のなくなってしまっています。従って「影」が「照らす」という撞着語法も消えてしまいました。

 

2. 人称代名詞の使用

日本語には、冠詞が存在せず、さらに敢えて人称代名詞を使わなくても意味が通じるので、曖昧になりがちという特徴があると言えるかも知れません。

 

それが最も顕著に現れているのが次のフレーズです。

誰かが呼んでいる

とてもシンプルで、遠くで誰かが名前を呼んでいる声が聞こえてくる、といった雰囲気でしょうか。

 

英語版では次のようなフレーズになっています。

Someone's always calling out your name

と、"your"がはいってします。つまり、呼ばれているのは「あなた」(曲の聞き手)の名前なのです。ここでも日本語では、誰の名前が呼ばれているのか明示されていないのに対し、英語ではそれを「あなた」に限定してしまっています。それだけで大分フレーズの印象が変わってきます。

 

もう一つ、例をあげてみますね。

 

夏が来る 影が立つ

And when summer comes, see our shadows grow

ここでも「影」は「私たちの」と限定されています。つまり、「私たち」が太陽を背にして夕暮れ時に歩いているというイメージが明確に記述されることになります。

 

先ほどの「パプリカ花が咲いたら」の部分でも"when our flowers start to bloom"と「私たちの」との限定的な形容代名詞が用いられていることからもおわかり戴けるように、英語には「視点が明確化」されるという特徴があります。

 

今回は「撞着語法」、「人称代名詞」この二点に絞って話を進めましたが、まとめると、

 

「日本語の曖昧さを英語で表現し伝えるのは難しく、どうしても意味を限定しながら訳さなければならない」

 

というようなことが言えるのではないでしょうか。

 

必ずしもそうでであるとは言えませんが、「英文は、意味を明確に限定しながら書く」という視点は、伝わりやすい英語を書く上で持っていても良いのかなと思っています。

 

また機会があったら続編を書いてみたいと思います。