バチバチのギターリフから始まり、ボーカルの切れ味の良い歌声、ドラムの軽快なビートが重なり合います。他のフォーリミの曲と比較すると少しダークな雰囲気がありますが、それがいつもと違う格好良さを醸し出しています。
ライブのおなじみは
・イントロのギターリフに重ねて「fiction」と題名を発する(つぶやくと叫ぶの中間ぐらい)
・歌詞の「ここにあるから」の「ここ」を場所や地名に返る
(YONFESではモリコロにあるから)
・「ここにあるから」で地面を指差す
・間奏に入る前にRYU-TAが「〇〇(地名など)まだまだいけんだろ!」「1.2.3.4.GO!」と煽る
という感じでしょうか?
フォーリミ自身もお気に入りの曲だそうで、ファンからもライブで盛り上がる定番曲として深く愛されています。
さて、大好きなこの曲ですが、歌詞の意味の解釈が様々あると思います。大好きだからこそ、愛を込めて自分の解釈を連ねさせていただきます。
まず、この曲の鍵となる感覚となるのが、先程書いた
イントロのギターリフに重ねて「fiction」と題名を発する(つぶやくと叫ぶの中間ぐらい)
という部分。
フォーリミのライブに行ったことがある方、もしくは映像を見たことがある方はこのGENさんの発する「fiction」が脳内再生されると思うんですよね。
ではそれは「叫ぶ」でしょうか?大声を出しているかんじではありません。
では「つぶやく」?そんなにブツブツ言っているかんじでもありませんね。
仮に私が、
GENさんはライブで「fiction」とつぶやく
と書いたら、ライブに来たことのない人はどんな想像を働かせるでしょうか。
本当にライブに来て、その「fiction」を聞いた時、その発し方を初めて自分の耳で聞くことができます。つぶやくってかんじではないじゃんと思うかもしれません。
つまり何が言いたいかというと、
自分が耳で聞いたこと、目で見たこと、身体で感じたことなどを言葉で表すには限界がある
ということです。
言語の不可能性です。
先述した例では、GENさんがライブで「fiction」をどう口にするのかを表すことが難しいということです。
私の主観で、「勢いよく叩きつけるようにfictionと言う」という表現をしたとしても、実際にそれを聞いたことがない人たちが、この文章だけを見て言い方を想像したとすると5人いれば5人とも違う想像になるのではないかと思います。
このfictionという曲には、この感覚がつきまとっているのではないかと思います。
では歌詞を見てみましょう。
※言語とは、気持ちや考えを文字で表したもの、くらいに考えてください。
大切な思い出繋いであみだくじ
ああ心ふたつに バラバラバラバラ
自身の持っている大切な思い出を、言語にするために思い起こして記憶をつなげている。
どの言葉を使って紡ぐかを、まるであみだくじのように決めていく。たどり着いた答えは、絶対にそれでなくてはいけないわけではない。その言葉でも、他の言葉でも、自分の経験を完全に表すことはできない。だから、とりあえずたまたまたどり着いた答えを使って言語化している。
自分の中に実際にある思い出の感覚と、思い出を頼りに出来上がった言語。もともと持っていた気持ちと、言語化したことにより記憶が整理され、客観視することで再構築された気持ち。自分の気持ちが2つに分裂し、バラバラになっていく。
平凡なストーリー描き神隠し
ああ心見えずに 暗い暗い暗い暗い
自分にしか感じられない気持ちを言語化したはずなのに、出来上がった言語はありきたりな言葉の羅列であり、自分の感じたものががまるで神隠しにあったように、表面化されていない。
気持ちを言葉にできないなんて、自分の能力のなさに落ち込む。言葉というものを媒介しないと自己を表現できない人間の未来は乏しい。他の人の言葉もなんだか信じられなくなってくる。泣きたい。
自分勝手に切り取って 断面と断面を
おとぎフィクション ノンフィクション
つべこべ言わずに ここに集めて
自分勝手に脳内を切り取ってくっつけて、自分の中を言語というおとぎ話として整理して、表現している。おとぎ話の中身はもはや自分の中身を完全には表現できていない虚構であっても、おとぎ話という存在としては、成り立っている。つまりおとぎ話というノンフィクションが出来上がっている。
作り物だとか偽物だとか、つべこべ言わずに言語をここに集めてほしい。
メロウに重なり微かに観えて来た
世界を 綴って映して
(mellowとは、熟しているとか芳醇なとかの意味があるそうです。しかし、完全に英語としてのニュアンスが熟しているもしくは芳醇なという言葉に当てはまっているかはわからない。mellowに近しい日本語を当てはめるのではなく、メロウというカタカナ表記をして、他の解釈も認められるような余地を残しているのではないでしょうか。)
集めた言葉が、言語が重なり合って、自分の気持ちや考えが客観的に観えてきた。そんな新たな世界をまた言語として綴り、写し取っていく。
言葉と音が重なり観えて来た
奇妙な 世界だ
そしてさらに音が乗ることで、言葉だけでは表しきれなかった気持ちや考えを表現できる可能性が広がり、自分の世界が観えやすくなっていく。
言語にし、曲にすることで客観的に見る自分の中の世界は、実に奇妙だ。
(言語は完全に気持ちや行動を表すことはできないけれど、不完全であるからこそ逆にその言語化されたものを再解釈し咀嚼して気づく、自分の知らなかった気持ちがあるのではないでしょうか。)
快適なイメージ繋いで神頼み
ああ心ふらつき ふらふらふらふら
言語化しやすいような、解釈しやすいような言葉を神頼みで、みんなに伝わりますようにと繋いでいく。自分の気持ちと言語化されたものとの間で自分が揺れ動く。
騒々しい過去の残骸も
掘り起こし今見つめ直す
見えはしないけど ここにあるから
悪い記憶も、言語にすることで客観的に見つめ直すことができる。そして言語にすることでその頃の気持ちを思い出すことができる。気持ちそのものは、完全に言語にして見ることはできないが自分の中にしっかりとある。
メロウに重なり微かに 観えて来た
世界を 綴って映して
言葉と音が重なり 観えて来た
奇妙な 世界だ
間奏
言語化ができないことに対する葛藤、言語が一人歩きして暴れている様子、自分が客観的に観える新たな発見、などを表しているのかなぁ。
メロウに重なり微かに 観えて来た 世界を
言葉と音が重なり 観えて来た 奇妙な
メロウに飲まれてイかれた
メロウの世界に おかえり
メロウみたいな、適当な言葉なんかに惑わされて感覚が狂ってしまっている自分、そしてみなさん。狂ってもなお、言葉っていうものに縛られている世界に戻ってきてるようです。ここは、作り物の世界なのです。
テーマとしては
・言語は不完全であり、言語化ができない気持ちや考え、言語にすることでこぼれ落ちてしまう微細な感覚が存在するということ
・一方で、言語のおかげで自己客観視できているということ
・言語は結局作り物で、そんな世界で人間は生きているということ
イントロなどにでてくるギターリフは、こんな状況への警報なのではないかなとも思います。
言語論的転回や言霊の考えなどが関わってくる歌詞であると思います。
まとまりがなくなってしまいましたが、わたしの解釈はこんなかんじです。異論受け付けますのでお気軽にコメントどうぞ!